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推し活のススメ

“推し“という概念にちょっと苦手意識を感じる。

いやいやあんなに“推し“で騒いでいるではないか!
“オタク“な日々を送っているではないか!

それはその通り、私は正真正銘推し活に勤しむオタクではあるのだが、“推し“という概念の押し付けがあまり好きじゃない。

「あなたの推しは誰ですか?」とか「推しが生きがい」みたいな言葉が世の中に溢れているが、世間の考え方と私の“推し”という考え方にギャップを感じることが多々ある。



私にとっての“推し“とは「生き方考え方や表現が尊敬できて、心から幸せであってほしいと願ってしまう人」のことである。

夢を追いかける姿や、表現に対して妥協しない姿、芯を持った考えを発信し続ける姿などを見ると、「この人が今後どう生きていくのかを追いかけていたい」と素直に思う。
そしてその生き方を知れば知るほど「彼ら彼女らのようにカッコよく生きたい」と憧れる。
さらには、大変おこがましいことに「こんなに素晴らしいのだから幸せに生き続けてほしい」と願ってしまう。

共に同じ時空を生きれることにものすごくパワーを感じる。私の生きる糧になる。心の支えになる、そういう存在が、私にとっての“推し“である。

ただひたすら、彼ら彼女らの尊敬と憧れが止まらない。だからこそ、幸せを願ってやまないのである。

突如髪型が変になっても「好きなように生きろ!」と思うし、熱愛報道が出ればただただ平穏な幸せを願うし、脱退や引退の時は(もちろん寂しいしたくさん泣くし立ち直るのに時間は要するけれど)その決断を支持するし、メディアへの露出がなくなってしまえば静かに受け入れてそれ以上は追わない。




けど、今の世の中、“推し”へのエゴが強すぎる人が多すぎる。

「あんなに応援してたのに!」「ずっとアイドルでいてくれると思ってたのに!」「こんなに貢いだのに!」そう騒いで信じられない言葉を投げつける人が平気でいる。

「私だけの“推し”だと思ってたのに!」などと自分勝手な考えを押し付けて、そのせいで辛い運命を生きているタレントもいる。

そういう“推し活”が本当に見ていて耐えられない。許せない。

“推し”といえども彼ら彼女らも1人の人間であるわけで、立派な人生を歩んでいる。その人なりの生き方がある。

我々オタクは勝手に「推させていただいている」立場でしかない。勝手に期待して、勝手に喜んだり失望したりしているにすぎない。

それを理解しないまま“推し活”に勤しむ人が多いように感じる。

だからこそ、最近活発になっている“推し活”文化に正直あんまり乗り気になれない。“推し”を近くに感じることで得られるパワーは確かにあるけれど、いくら私が大きな愛をお金や時間に換えて貢ぎ続けたとしても、“推し”の人生と私の人生はずっと一定の距離がある。それをきちんと理解して立ち振る舞わなければいけないと思っている。

オタクよ、“推し”の人生を、幸せを、静かにただただ願い続けようじゃないか。
オタクによって、奪われる幸せはあってはならない。
私たちオタクに、彼ら彼女らの人生を邪魔する権利はない。



毎日毎日、いろんなニュースが耳に入ってくる。

私はこれからも、「人と人」である一定の距離を保ちつつ、彼ら彼女らが選択した人生を信じて待ち続けたいと思う。

頼むから、みんな、ずっと幸せであってくれ…!

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