「私はできるはず」の答え合わせをする
心の奥底では自分に自信があった。
諦めていなかった。
心の底で自分のことをどう思ってるか?というのをこっそり考えてみてほしい。
私はずっと、本当にずっと、自信がなかった。本気で自信がないと思っていた。
だけどコーチングを受けたり、こうして記事を書いたり、クライアントさんに触れたりするなかでわかったことがある。
私は私を諦めていなかったんだ、と。
だからもがいていたし、誰かに見つけてもらおうとしていた。引っ張り出してもらえれば、きっとすごい奴になれると思っていた。
自信がない私も本当の私だったと思う。
少なくともそう感じたとき、それは私にとっての事実なのだから。
けれど、本当は自分に期待できている私もまた本物だ。できる。私はできる。そうに違いない。
コーチングを学んでから、今に至るまで、私はその思いの答え合わせをしながら生きているような気分だ。
きっとできる、私はできる。その答え合わせ。
え、ダメかも。そう思う日もある。
キツい期間も定期的にくる。組織に属して働いていない以上、波はあるから。
でも辛い時、萎んでいく自信を感じつつ、どこかで冷静に、まあ私はどうにかできる女だしなぁ、とも感じている。
この感覚、『書き初めの宿題』で強く味わったことがある。
私は左利きなのだけど、左利きには習字というのは地獄のイベント。
左で筆を持つと、文字の入りや払いが上手くいかない。かといって右では、普段字を書いていないので綺麗な字が書けない。まあ右で書くしかないんだけど。
ある年の冬休み、母が、大量の半紙と書き初め用のデカ半紙を買ってきた。
次の日の朝、両親の寝室である和室は書道部屋になった。
まずは普通の半紙に一文字ずつ練習する。『世界遺産』なら、『世』だけを、母のOKが出るまでひたすら書き続ける。
全部の文字にOKがもらえたら、書き初め用のデカ半紙に書いていく。
見本を見比べて、ひたすら書き続ける。OKがでたら、学校で配られた半紙に提出用の書き初めをする。
結局、左利きの私が、右手で筆を持ち、「提出できる」と思える書き初めを完成するまでには10時間かかった。
年明けの学校で提出し、帰宅。
翌日書初めが張り出されたところを見たら、私の書初めに銀色の花が貼り付けてあった。書道を習っていて、スポーツも万能な、華奢なあの子の書き初めには金色の花が貼り付けられていた。
銀賞だ、とすぐにわかった。
ただの一つの中学校、一学年での話だ。県で銀賞ってワケじゃない。でも、嬉しかった。
私は、本気でやろうと思えば、ちゃんとできる。そう思った。
だから大人になるにつれて本気で挑戦しなくなっていっても、どこか奥底では「私は本気になれば絶対に大丈夫だ」と思えたのかもしれない。
まあそのせいで、コツコツ書道教室に通わなくても、10時間の練習で成果が出ちゃうラストスパート癖はついてしまったかもしれないけれど。
絶対無理じゃん、と思うことは、世界に山ほどある。
私は総理大臣にはなれないし、不老不死も無理だろう。
だけど、もっと身近な、ちょっと難しいかもなぁ、くらいのことは、自分を信じて挑戦すれば、然るべき手順を踏めば、叶う可能性が高い。
自信が無いと感じている時、それは本物の感情で。
だけどもっと奥の奥の奥に、できるはずだと思う自分をちゃんと捕まえていたい。
ーーーーーーーー
大高あみのセッションが気になる方へ✉️
無料の通話企画、対話を仕事にしたい人への個別相談、体験セッション、読んでよかった本の紹介、新しい学びの話、夕飯のレシピ、公式LINEでしか公開しないお誘いなどなど……大高あみからメッセージが届きます!
メッセージいただければお返事もします!
大高あみ公式LINE 登録特典つき
🎁 ターゲット設定ワークシート
🎁 売れないコーチ時代の提案資料&解説動画
体験セッション、個別相談、添削企画などもこちらでご案内しています!
https://lin.ee/3IUhexh0Z?
サポートしてもらえたら嬉しいです。なにに使おうかな。ジェネリックそうめんじゃなくて、揖保乃糸を買えます。