幸せ!じゃないのなら、見落としてるのはもしかして
こんにちは!大高です。
最近ラジオで生配信をよくしてます。収録で好き勝手しゃべくり007も大好き007なんだけど、生放送は独特の面白さがありますね。クセになります。
さて、今日は「なーーんか幸せじゃないんだよなァ」な人に贈る記事です。
そんな時、見逃してるポイントがあるのです。
強烈な幸福感はなくても生きていけるけれど、せっかくの人生100年時代。
できるだけ長く、空気をたくさん吸い込んだ肺みたいに幸福感を感じていたいから!
幸せのスタート地点はどこか
私は3歳と0歳8ヶ月の子供を育てています。
8ヶ月の赤ちゃんはすごくメリハリの効いた快と不快があるようです。最近はおもちゃで遊んだりすることも増えたけれど、ほんの少し前までは寝てるかおっぱい飲んでるか。
眠ければ不快だしおっぱい飲みながらウトウトできれば快適。
だけど大人ってそんな単純なものではないじゃないですか。おっぱい飲みながらウトウトしてたら割と問題だし。
何か考えようにも様々な事象が絡んで一つに見えたりすることもあって、一体この紐を引っ張ったらどこにつながってるんだろう?と思うようなことばかり。絡まったネックレスみたい。
コーチングではこの紐を解く作業もよく行います。
だから幸せを感じたいのにそうでないなら、「幸せについて」の紐は一体どこから出ててどこに繋がってるんだろう、と気になるのです。
幸せを感じるのは現在の自分なのだから、別にわざわざスタート地点を知る必要なくない?と思うかも知れません。
だけど私は空腹があるから満腹がある、シラフがあるから泥酔がある、と思っているのです。
もちろん一度も空腹になったことがなくたって満腹になることはできるのだけど、その場合満腹についての幸福感には差が出るのかなと。
お酒だって普通に飲めてれば楽しかったけど、やっぱり妊娠期間を終えての一杯は格別だったし!
だから、幸せについて語り考えるとき、不幸についても同時に考え語りたい。
そう、幸せじゃない人が幸せを感じるために見逃しがちなポイントは不幸を感じること、だったりする。少なくとも私はそうだったのです。
いつだって自分がスタンダード
私たちは、それぞれの自分を精一杯生き抜いてきました。
裕福だったり貧乏だったり、犬がいたりいなかったり、両親がいたりいなかったり…
それぞれがそれぞれを生きてきたはずです。どんなに似ているところが見つかったって全く同じ人生を送ってきた人なんてこの世にいなくて。
その人生がどんなに他人から見て「マジかよ」と思われるような特殊な環境だったとしても、実はその当事者である本人はその特殊さにピンときていないことはよくあります。
うちは夜ご飯にパスタが出る家だったんだけど、遊びに来ていた弟の友人が「お前んち…夕飯にパスタでるの!?」と驚いていたり、大皿文化だった我が家で育った私が友達の家に泊まったときに一人ずつ小鉢にもられたおかずを見て驚いたり。
これは些細な例だけど、そうやって自分にとっての『当然』は意外に他者から見ると『仰天』だったりするのです。
そうすると何が起きるかというと、身に降りかかっていた/いる不幸を不幸と捉えていないという純粋無垢、アタックも驚きの白さになるわけです。
当然の日常からエネルギーを使って抜け出そうと動くことなんてできないししようとも思わないものだから、そのまま過ごしちゃう。
その結果が、「なーんか幸せじゃないんだよなぁ」です。
幸せになりたいと、思う
「なーんか、幸せじゃないんだよな」は私が25年以上温めに温めてきた想いそのものです。
まじで話すと引かれるくらいのことが起きてたのに自分ではそれをそうと思わず、アホ面引っさげて「あれ???」つってた。逆に強い。
それは単なる疑問ではなくて、「あーあ、一回くらい強烈に幸せだと思ってみてぇなぁ」という願いも金木犀くらいのささやかさで香っていました。
そしてコーチングを受けるようになって気がついた。「待て待て、赤子も黙るほどの不幸で草」と。
その瞬間、詰まった血管が流れ出すみたいに思考の血行が良くなったのがわかりました。
本当はあれも嫌だった、怖かった、辛かった、死にたかった。だからもう変わりたいんだよ。変えたいんだよ。
お腹が空いてたと気がついたから、ご飯が食べたいと思えるのに近い。
不幸だと気がついてやっと、幸せになりかったんだという自分の右ストレートを強烈にくらいました。
「全然、大したことではないのだけど」
これまでお話しさせていただいたクライアントさんの多くが、表現は違くとも口にされる言葉です。
「恵まれてはいる」「もっと辛い人もいますよね」「欲を言うならこうなんですが…」
私も言っていた。
これを読んでくれている人がギクッとしてくれてるなら私はニヤッとしちゃう。
みんな自分は不幸だったなんて思いたくない、当たり前。だからそうやってブレーキをかけるもの。
愛されてはいたんです、親が少し表現下手だっただけで。
でも今も辛いんでしょ。
いじめられたんですけど、高校からは離れたんで大丈夫なんですけどね。
でも今も忘れられないんでしょ。
母に死ねって言われたんです、本気じゃなかったと思うんですけど。
でも、本気で傷ついたんでしょ。
どうだっていいよ、どうだっていい、誰かのことは一旦抜きにしよう。
大切なのは、自分の辛さを軽く見積もらないことじゃないでしょうか。
今も辛いなら、それは大したことなんだと思います。
それを認めてあげられた時、そこから抜け出したいというエネルギーが湧いてきます。
受けて当然だと思っていた出来事をおかしいかもと思えるようになった時、私たちは進化するのです。
私たちは自分の幸せスピードメーターを、少しだけ多めに見積もるものなのかもしれません。
60キロ道路で、60キロ出ていると思っている。
でも、なんだか幸せじゃないなーと感じた時起きているのは、実は40キロしか出ていないという事なのかも。
正しい目盛りを見て始めて、「もう少しスピード出せたのか」「自分は少しゆっくりだったのか」と知る。
だから、アクセルが踏める。
だから一度、勇気を持って自分の幸せスピードメーターを見たいのです。
どんな悲しさが、どんな寂しさが、どんなやるせなさが、ブレーキとなって自分が気が付かないうちにスピードを落とすことになっているのか。
立ち止まるために不幸に気がつくのではなく、スピードを上げるために不幸に気が付きたい。
それはもちろん、快適なだけの作業ではないけれど。
それは勇者の剣
楽ではないし、しなくてもいい。だけど、幸せを感じるための足がかりになるから不幸に気がつくステップを踏む。
それはなんだか、勇者の剣みたいです。
抜かなくてもいい、抜いてしまったら戻れない。
だけど勇者は抜く。それがそのストーリーの主人公だから。
私たちも、選んでいい。剣を抜くか抜かないか、今抜くか、あとで抜くか。
ひとりで抜かなくてもいい。勇者だって仲間がいるもんだし。
抜かなくてもいいけど、勇気を持って抜いてもらいたいなとは思います。
私は自分が普通だと思っていて、でも不幸かもしれないと気がついて、そこから抜け出したくてたまらなくなって変わったから。
しあわせになりたい、幸せを感じたい。だってなんか、幸せじゃないから。
そんな時にはもしかしたら幸せスピードメーターの目盛りを正しく読んでいないのかもしれません。
前に進むために、アクセルを踏むために、不幸に気がついてみませんか。
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