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去った者・残された者のウェルビーイング 《前編》‐‐「お母さんは、いつまでも私のお母さんだ」

2022年3月23日、母の4回目の月命日。

昨年の11月23日(火)、私の母は急性心不全で突然この世を去った。まだ60歳の若さだった。母が亡くなる前日は幸運にも、父母私の家族3人で久しぶりに外食をした。買い物もした。明日はおでんをつくるよと言っていた。私の将来の話を沢山した。その日は久しぶりに実家に泊まった。母は普通通りだった。でも、その普通が高血圧で体調悪いのに頑張って耐えてやっとの状態だったのかもしれない。「先に寝るね」「うん」が最後の会話になった。ちょうど祝日だった、母は朝アラームが鳴っても微動だにしなかった。隣で寝ていた私は驚いて飛び起きて、お母さんと何回も呼びかけた。触ると身体は冷たかった。私は青ざめた。救急車をとりあえず呼んだ。来るまでの間、必死で心臓マッサージをした。一緒に救急車に乗った。それでも母は起きなかった。

それから私は、毎日のように母のことを想った。

最近は友達のように仲良くて何でも話せる母。ピンチの時に頼れる、いつも私の心配ばかりする母。愛ゆえに沢山叱ってくれた母。そんな母といると私はいつも自分中心になりがちで、母の体調をちゃんと気遣うことができていなかった。前兆なく突然のことだったからこそ、私が普段から体調を気遣うことが出来たら、母を救えたかもしれないのに。
悔しくてたまらない。

また、母が私に与えてくれた大きな大きな愛をちゃんと認識できていなかったこと、それ故にその愛に対する十分な感謝を伝えられなかったことも、悔しくてたまらない。

月日は流れたものの、思ったよりもその後悔と悲しみは消えていない。ふとした時、「お母さんに最近会ってないな、会いたい」と思う。そのすぐあと、「ああそうか、この世界にはもう母がいないんだったな」と独り言をいって、母の死に適応しきれてない自分自身の意識に驚くことがあったりした。

暗闇をとぼとぼ歩くように生きていたらいつの間にか母の死から4ヶ月ほど経ち、ほんの少しずつではあるが、心の整理がだんだんとついてきた。過渡期を抜け出した今、自分のために母のために、記しておきたいことがある。

それは、死はネガティブなこと、だけじゃないということ。むしろ死は、悲しみにしか開けない扉をもたらし、去った故人と残された者の双方にきっと真新しい希望を生み出してくれること。

もちろん、私にとって1番かけがえのない存在の母が亡くなったことは悲しみ極まりないことだ。

それでも、死をポジティブに捉えられるようになったのは、私は母が亡くなったことをきっかけに、人生で最も大切にすべきことは何か?に気づくことができたからだ。

それは、自分にとってかけがえのない人の今生を、とにかく大切にすること。言い換えると、共に生きる他者に対し"一歩先の愛"を持ち、愛を行動に変えること。出会えた奇跡に感動し、感謝すること。一緒に過ごす時間に、「互いにとって良い」が必ずあるように努めること。溢れる感謝をこれでもかというくらい沢山、言葉でハッキリと伝えること。

これらの言葉は、月並みだと思われるかもしれない。                               

しかし、 私の大切な友人・知人達も、家族も、そして私自身も、突然明日死んでも全然おかしくない。母の死は現実であり、突然の死が空想でなくリアリティに富むことを証明している。そう考えると、上記に並べた「一歩先の愛を持った行動」がどれだけ重要なことだろうか。                             

私は母に対してそれが出来なかった分、私が出会った素敵な人達、お母さんが大切にしたかった祖母や伯父、親戚、ひいては私の暮らしを支えてくれる、顔・名前は知らないがつながっている人達に対して愛と感謝を忘れずに生きていきたい。(そうすれば、人生を通してきっと何があっても寛容になれて、みんなと共に幸せに生きることができるのでは?と思ったりする。)

一見マイナスでしかない親しい人の死を受け止めることができた私はいま、「母が私を誇りに思うような人生にしたい」と、悲しさを希望に転換してポジティブに生きている。

母は娘の私中心に、生きていたんだろうなと思えるエピソードをあげようとすれば枚挙にいとまがない。娘想いの母にとって、私の幸せは、母の幸せにもなると願って、私は私の幸せのために精一杯生きたい。共に生きる他者に愛をもって。

このようにして、親しい人の死に向き合うことは、この世に残された人達のウェルビーイングを作り上げるものでもあると思う。
同時に、これは私の願いにすぎないが、故人を想い生きることは故人が死後の世界で幸せになることだと思う。

・・・

気持ちを整理するのに4ヶ月、かなり時間がかかってしまった。

どれだけ母が私を愛し、私を思いやって生きてきたのか。あまりにも壮大な愛だから、愛を受け取り切るまでにすごく時間がかかってしまった(亡くなって初めて"愛を受け取る器"が私の中に出来上がったのだから、受け取るのに時間かかるのは当然)。でもやっと、人生の栄養ともいえる母の「愛」をしっかり消化・吸収することができたから、それが生きるためのエネルギーになって、私は今前を向いて生きている!

母はこれまでもこれからも、自分の全てを使って、私が一人前の大人になるように育てようとし続けているのかもしれない。

そういう意味で、
お母さんは、いつまでも私のお母さんだ。

・・・


後編(次の投稿):
私の母と祖母(母の母)のエピソードから見出した、真の幸せとは?私の使命とは?

その問いの答えについて

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