みんなと同じにできないだけなんだ。


テレビで自閉症の特集が流れ、ぼんやり見ていると、大学生の自閉症の女性が小学校の頃の記憶を話していた。

「とにかく学校にいくといろんな情報や音が一気に入ってきて、その状況に耐えられなかった。中学の時は配慮してもらい、放課後にマンツーマンで授業を受けていた」

それを聞いて、あ、と思った。

自分も小学校が苦手で、行くと大音量のノイズが体中を走り、頭が痛くて、何も発言できなくなり、ただ教室の中で小さく丸まり、友達ができないので、休み時間は廊下をひたすら歩いていたのだ。

先生に特別学級なるクラスに放課後来てみない?と誘われた。
子供なりにそこにいく子は他の子と何かが違うから、そこへ行かされるんだと気づき、絶対に行かなかった。

結局小学校を三年生の時から卒業までストライキした。(小5は半年くらい行ったが)


大きなものに、わたしは抵抗していた。


母は泣きながら「なんであんたはみんなと同じことができないの」と言った。
子供のように、思い通りにならない現実に悔しがって泣いてるようにも見えた。

9歳のわたしは、「なんでお母さんは人と違うわたしを、責めるのだろう?」と不思議に見つめた。
父親も世間の常識からズレるのを嫌い、わたしを猛烈に責めた。
それから一歩も家を出ることをやめて、両親とも誰とも話すことがなくなり、ただひたすら読書や絵を描いたり、音楽を聴き続けた。

もしかしたら、わたしも実は心療内科などに行っていれば、そういう診断を受けたのかもしれない。

けれど、そういう病気です、と言われたとして、何か変わったのだろうか?
あの子は病気だから、と、周りが配慮しだして、わたしの心は楽になったのだろうか?


今思うと、みんな個性があるのが当たり前なのに、みんなと同じであることが大事と言われているような集団生活で、特別扱いされるなんて地獄でしかない。

わたしは小さな田舎町の狭い世界に、抵抗していたのだ。


大人になってからやはり俗世間に馴染めないところもあるし、「変わってるねー」なんて言われることもあったが、

一部の人たちと芸術家からは「ふつうやで」と言われた。

世界はひろいな、と思った瞬間である。



2017.4.27『もそっと笑う女』より

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