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ハートにヒビが入るほど綺麗な海を探しに行く物語-7-

 自分の両の目が追うものはただ動いている岸壁の天井のみだった。

自分が島のどの位置にいるか、あとどれくらいの距離が残されているかも考えることなく、ただ自分が確実に前に進んでいるということのみに集中した。

天井を見ることだけに専念していたので時々不意に現れる横壁や岩に頭や腕をぶつけて悶絶した。
体のかしこが傷んでゆくのを感じた。それでもただビーチに帰ろうという強い意志は傷の痛みを掻き消し、水を掻く手、水を蹴る足に力を込めさせるばかりだった。
時々壁を強く蹴り推進力を利用して前に進んで行った。
足の裏を鋭いサンゴや貝殻が深く切りつけ、傷口に海水がしみた。
もう海底に足がつくことはなく、時々泳ぐ手をとめると頭まですっぽり
水中に沈んだ。
天井に大きな穴があった場所に行きついた。
行きの時に水に身を横たえはるか上から降りる光に見惚れていたものだが、すでにその穴の縁に手がかけられそうなまでに満ち潮は進んでいた。
ここまでくればもうビーチは近い。
無我夢中に水を掻き、大きくせり出した岸壁を越えると、遠くに人の姿が見えた。

安堵に体の力を少し抜いたとき、再びそばで水がはねる音がした。
ここにきて現れたか!もう少しでビーチにつけるというのに!
既に頑張れば帰れる距離になったビーチに目をやった。
人の姿は見えているとはいえ助けを求めて気づくかどうか、気づいたとしても船が来るのに間に合わない距離だった。
もう駄目かもしれない・・・、一人で無謀にも禁じられた場所に立ち入った罰なんだ・・・と覚悟をした。
薄眼で水音のした方向を見ると、パシャパシャとこちらに何かが近づいてくるのが見えた。
その姿を確認して目を見開いた。
藍色の飛び魚が3匹水面を2,3回跳ねていた。
一気に体の力が抜けた。
もしかして先ほどの水音の正体もこれらの魚だったのかもしれない。
村上春樹の短編小説のに出てきたが、ジョセフ・コンラッドが真の恐怖とは人間が自らの想像力に対して抱く恐怖だと書いているらしい。
まったくだ。いらぬ心配に脅え、いたかもわからないサメに実際に食われるよりも先にパニックに陥り、海に命を飲まれるところであった。
ジョセフ・コンラッドは今まで読んだことがなかったが、無事に帰れたら、絶対読みたいと思った。

遠くに見える人の姿は次第に大きくなり、数を増やしていった。
ふと気づくと岸壁に大きなくぼみがあることに気づき、海を歩き始めたばかりの頃、登って自分の荷物を置いたところまで戻ってこれたのだとわかった。
あの時は自分の重さにこの窪みの縁に昇るまでに苦労したものだが、窪みの縁の上まで水が来ていたので労せずして登ることができた。
水から出たとたん無重力から解放され、自分の重さやいままでたまっていた疲労が体にのしかかった。
それでも岩肌を一つ一つしっかりとつかみ確実に上っていった。

岸壁の上に顔を出したとき、膨張したオレンジ色の太陽が岩肌を染めていた。
それを見ながらあたしはある記憶を思い出していた。
あたしはクリスチャンではないのだが、幼いとき、日曜日に日曜学校に通っていたことがある。
教会は時たま子どもたちにお菓子や食べ物をふるまったり、映画を上映したりして子供や人を呼び集め布教活動をしていたので、友だちと一緒に遊びに行って、意味もわからずにイエス・キリストや聖人や天使の絵が描かれたきれいなカードをもらえるのを楽しみにしていた。
そこで宣教師や信者の人がお話をするのをおとなしく聞いていればカードがもらえた。
昔はおじさんと思ったものだが今考えると若い20代ほどの人がいてその信者の人の話が印象的だった。

幼い時に聞いた話でうろ覚えだが確か洗礼についての話だったと思う。
 そのおじさんが小さい時に、お父さんに知らないところに連れていかれたそうだ。
そこには水の張った浴槽があって、幼かったおじさんは白い服を着せられ、大人の人が同じような白い服を着て浴槽の中で待っていた。
浴槽の中にはいるように促され、入っていくと、頭をつかまれ水の中にいきなり沈められた。
突然のことでびっくりしてもがいて水から出ようとするが、頭をつかむ手は力強く水から出してもらえなかった。
苦しくて息が持たなくなると、頭が一度水の中から出され、その瞬間に息を吸い込もうとするが、間をおかずに再び水の中に沈められた。
どうしてこんなことをされなくちゃいけないんだと水の中で苦しい思いをし、きっと自分は殺されてしまうんだと思った時、頭の手から解放された。
水から解放され、息をした時、幼かったおじさんはなぜか世界がとたんに輝いて、キラキラしたものに変わったことに気づいた。
今まで見た風景が全く違うもののように変わり、感動に包まれたそうだ。
それを聞いたとき、子供ながらに無理やり水の中に沈められて世界がきれいに見えるように変わるなんてそんなバカな話ないと思った。
水に沈められたので目でもうるんでそう見えたんだろうと思った。
だけれども今はそのおじさんの体験したようなことがわかるような気がした。
オレンジ色の太陽に照らされたビーチや島の森は確かに同じ場所であるが違う風景だった。
安堵と、感動と疲労が指先や頭のてっぺんまで広がり、あたしはその場にへたり込んだ。
夕暮れの太陽はいまだに力強い熱を持ち、火照る岩肌が座り込んだあたしの肌を焼いた。
太陽な穏やかなような色をしているにもかかわらず地や砂浜を焦がし、この島は神秘的な美しさと癒しを持っているのと同時に強さと厳しさを持っていた。

気がついたら自分の体はあちこち切り傷だらけで、白い短パンに赤い染みを落としていた。

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