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ハートにヒビが入るほど綺麗な海を探しに行く物語-8-

岸壁の上の熱い日差しと潮風は既に行きに濡らした服を乾し海苔のようにパリパリに乾かし、海から上がったばかりの体の水気を蒸発させていった。

リュックの中からペットボトルを取り出し、目にしみる海水を洗い流そうと蓋を取り顔に浴びせかけた瞬間、水が熱湯のようになっていて驚いた。
単独での無人島探検とはいえ他の観光客に貴重品を盗まれないように人が来ないような岸壁の上にリュックを置いたままにしていた。
島の周りで生きるか死ぬかの悪戦苦闘をしている間にリュックの生地の上からとはいえ太陽の熱でぬるくなるどころかペットボトルの水は熱湯のようになっていた。恐る恐る手の上に少しずつ出して冷ましてから顔を洗った。
ゴーグルもつけないで泳いでいたので目が海水でしょっぱく一刻も早く洗い流したかった。
湯になったミネラルウォーターをのどに流し込むと、ずっと海の中にいて冷えてしまった体を内側から温めてくれた。
熱い岩の上に少し水をかけ、その上に腰をかけ休んでいた。
そうしていると登ってきた穴から若い女性の声が響いた。
ねぇ来て!ここに穴があるわ!!!
岩肌の縁から海を覗き込むと黒人の若くてきれいな女の子たちが4人泳いできた。
もう岸壁の真下の海も平泳ぎして足がつかないほどの深さらしい。
あたしが登った窪みのところまで様子を見に来たが、登るのはきれいな体が傷つくと思ったのか彼女らはすぐに帰っていった。

岸壁の上から水面までは2mくらいだろうか、彼女たちの泳いでいる様子からみると飛び込んでも海底で体を打つことはなさそうだった。
彼女たちに水しぶきがかからないよう遠くに行ったのを見定めてから一段と低くなった岸壁の縁まで行って下を見下ろした。
少しばかり水面までの距離は縮まったが、それでも少しおっかなかった。
日本にいたときの大学の教育史でやったが、記録に残る限りの一番古くからあった教育制度はイニシエーション、つまりある歳に達した時に行われる通過儀礼であったという。
崖の上から命綱もつけずに落とされたり、燃え盛る火や鋭い剣の上を歩かされたり、体に大人のしるしともいえる刻印を刻み込まれたり、残酷ともいえる儀式を超え、恐怖を克服することで人は一人前とみなされた。
誰も自分の勇気を試す所を監視しているものはいないが、ここでひよって飛び込まずに帰ったらずっと気持ちが悪いだろうことに違いなかった。

空気を肺の奥の奥まで飲み込み目を閉じ、覚悟をきめて熱い岩の崖を蹴った。
体が地でもない海でもない場所に躍り出た。
一瞬の落下の感覚と、肌を打つ水の衝撃、足の裏で感じる海底への柔らかい着地の後、目を開けたら冷たい水の中の視界が歪んでいるところだった。
水面にでて空気を吸った。空気が肺に再び入る感覚が気持ち良かった。
教会のおじさんが経験したような水の中に沈むというプロセスが洗礼の重要な部分だとしたら、これも洗礼のようなものになるのだろうか。
ダンテが神曲で死後の世界について書いていたが、地獄に洗礼を受けてない人がずっととどまり続ける場所があった。
そこにはキリストが現れる前の時代に生きていた人々が受ける天国にすすむことができずにとどまっていて、ソクラテスやアリストテレス、プラトン等の哲学者、アエネアス、カエサルなどの歴史上の人物がそこにいたということだ。
特にそこの人たちは罰を受ける様子もなく、永遠にとどまり続けなければいけないとのことだ。
ただそのあとに洗礼を受けた後に罪を犯した人たちの煉獄の描写の方が凄まじく、犯した罪によって裁かれる人の罰の救いようのない恐怖が描かれていた。
自分がこの後に善く生きることができたのならこの時に洗礼を自分で受けたとみなして天国に行くこともできるだろうし、何か罪を犯すことがあっても教会で洗礼を受けたわけではないといいはれば地獄の入口にとどまることができる、と勝手に都合の良いことを考えた。
しかしたとえ自分が善い人生を送ることができたとしても得体のしれない天国という場所に行くよりも、長い永遠の時をソクラテスやアリストテレスと共に語らえるのならそちらの方が断然魅力的に思えた。

もう一度窪みの穴から岸壁を登ると先ほどの黒人女性の一人が勇敢にも登ってきていた。
一般的に逞しい体つきをした黒人女性と違ってその若い女性はモデルのようにすらりとした体つきをして、健康的な体の魅力を引き出すように背中のざっくりとあいたカラフルなワンピースの水着を着ていた。
若々しいその黒檀の肌は出来上がったばかりのマコンデ彫刻のようにつややかだった。
その手には一匹の魚が握りしめられていた。
海にいる仲間たちに自慢げにみせていた。
捕まえたの!?と聞くと照れくさそうにはにかんで笑った。
女性はぴちぴちと手の中で暴れる魚を高く掲げ、仲間に見せた後、槍投げのようなフォームを作り、遠くに魚を投げて海に帰した。
先ほどあたしが海に飛び込んだのを見ていたのか、その女性は自分も飛ぼうという素振りを見せていた。
しかし思ったよりも高いのに飛ぶのをためらっているようだ。
さっきはどこから飛んだの?と聞いてきたので、さっきあたしが飛んだ場所より一段低い場所を指し示してあげた。
女性はほかの仲間の視線を大きな声で呼び集めダイブした。
水のはねる音と歓声がビーチに響いた。
無事に水面に浮かんできた女性が海からこちらに手を振って笑いかけた。
それに手を振り返し、あたしはペットボトルの水を一口飲んだ。

あたしはもう一つやらなければいけないことがあった。
岸壁に一段とそびえる高い場所があった。
そこから飛んでみたいと思った。
その場所までおずおずと足を伸ばし、下を覗き込むとさっきより断然高く3m少しほどあった。くらくらしそうな高さだ。
さっきの場所からはうまいこと怪我をせず飛べたがこの高さで海底にぶつからず水面に上がれるかどうかはわからなかった。
さすがに危ないのでやめておこうと思った。
イニシエーションはさっきので十分じゃないか。よしておこう。
それでもその崖に背を向けると後悔が押し寄せた。
たった一人で来ているので臆病にも飛ぶのをやめたなんて言う不名誉なことを語る人はいない。いたとしてもここの崖はさすがに危ないのでやめる決断の方を賢明とみてくれたであろう。
だがそれを自分が許すかどうかまた別の話だった。
縁に立つと背筋に電気のような寒気が走った。
早まる心臓の鼓動を抑えるために目をつぶると、緑の混濁した真っ暗い水の中で、水面も水底もわからずに水草に絡み取られて沈んでいく自分の姿がフラッシュのように浮かんだ。
あわてて嫌な妄想を消すのに目を開いた。
自分はもっともっと遥かに高いところから飛んだ経験がある。
その時の経験もやはり恐怖に満ちたものだった。だがあたしはやってのけた。
飛べないはずがなかった。だが生涯二度とすることはないだろうと思っていた。
大丈夫、あたしは生きて帰ってきた、昔のあたしがやれたことを、今の自分が、やれないはずがない。
一つ一つの言葉を、空気とともに飲み込むように唱えた。
彼もいった。真の恐怖とは、人間が自らの想像力に対して抱く恐怖だ、と。

見て!彼女が跳ぶよ!!!!

ビーチに黒人女性たちの明るい声が響いた。

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