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ハートにヒビが入るほど綺麗な海を探しに行く物語-11-

ここの国では見返りの見えない善意ほど危険なものはない。

田舎ではどうだがわからないが、少なくともダルエスサラームでは初めて会った素性の知れない人の度を過ぎた親切には必ず黒い下心が潜んでいると考えてよかった。

以前に夜中に友人と道端を歩いていて、大きな蛮刀を持った強盗に襲われた。自分は幸い怪我もとられたものはなかったが、その時の被害を日本大使館に報告しに行った。
その時大使館の領事が直々に話を聞いてくれて、その際に教訓としていろんな人の被害にあった話を聞いた。
仲好くなってご飯を御馳走してくれたと思ったらそのご飯に睡眠薬が混入されていて旅行者が起きた時には荷物がすべてなくなっていた話、10年来仕事のパートナーと信じていたタンザニア人に殺されお金を奪われた話、夜だけではなく昼間の道路でも人が多少いるところで堂々とタクシ‐の中に引きずり込まれて銃を突き付けられ金品を出せと脅かされた話、夜中にカップルで外出していたら集団強盗が現れ、彼氏の前で彼女が犯され最終的に殺されてしまった話・・・聞くと憂鬱になるような話ばかりだった。
そんな話をとことん叩き込まれ、もう二度と強盗に会うまいと誓って2週間もたたないときだった。
 
 町の中心部まで友人と用事があってきたとき、用事がないとめったに来ない街であたしは買い物がしたかったが、友人は興味がなかったので、その場で分かれて一人で街を見て歩いていた。
そうしていたらよく英語が喋れるタンザニア人がコンニチハ、と挨拶をしてきた。
だいたい道端で声をかける輩のことは無視していたが、ちょうど道に迷っていたので彼に聞いた。
彼は聞いた場所の近くで妹がお店をやっている、ついでだから連れてってあげる、とついてきた。
それまでの道では楽しく話をし、タンザニアの文化についていろいろ教えてくれた。
テクノロジーについて大学時代勉強し、日本の技術力に憧れをもっていた、と彼は話した。「日本の友人を作るのが小さいころからの夢だった。君が初めてのその友人だ。一時的なこの場限りの友人としてじゃなく、ずっとずっと、友達として付き合ってほしい。今日は長年生きてきた夢がかなった。あぁ、今日は本当に運命的ないい日だ。神様、本当にありがとう。」と彼は胸の前で十字を切った。
道端で何か買おうとするとローカルの値段まで値下げ交渉をしてくれたし、君という人に出会えた記念だ、奢らせてくれ、とカフェでビールやタバコをおごってくれたりした。
道端にいる人がみんな彼に挨拶をした。友達が多いのだな、と好印象に思った。
カンガというタンザニアの伝統的な布を売る店で働いていた彼の妹もとても親切だった。
彼は仕事は順調か、体は大丈夫かなどと妹と共に働いている人たちにも気を使っていて、こんなに女性に優しくできる人に悪行はできないだろうという安心感を与えた。
職業を尋ねるとあたしがよく行っているショッピングセンターで働いているという話をしていたのでちゃんと職のあるしっかりした人だとあたしは判断した。
極めつけの決定打は家まで招待して、友人や母や兄弟、というひとまで紹介してくれたことだ。
最初家まで行くことに抵抗があったが、泥棒が自分の家を教えるかい?という言葉に納得していった。
だがそれも全て念密な計画のうちにすぎなかった。
今考えればその日にあった旅人にここまで緻密に信じ込ませるトリックを瞬時に作り上げる頭の速さに驚くばかりだ。その賢さをまともに使えばきっとここは日本よりも、アメリカよりも、どこの国よりも発展できるに違いない。
暗くなったから大学までタクシーを呼んであげるよ、という言葉に甘えて彼が呼んだタクシーに乗った。運転手のほかに助手席にもう一人いたが彼の友達だ、と紹介された。
暗い悪路ばかりをぐるぐる走るのに疑問を感じ、どこに向かっているの、と聞いた。
そしたらかれはこういった。
「いいか。よく聴け。お前と、俺は、友達じゃない。俺たちは、悪い人たち。マフィアだ。」

結局、鞄を奪い取られ、大金を取られた。お金を得た彼らは「thank you. my friend」といった。そして「 誰かに話してみろ。町のどこにいても見つけ出して殺してやるぞ。」といってあたしを解放した。
その記憶は大きなトラウマになり、この国の多くの人間を心から信用できなくなった。
その言葉通り少ない2,3人の友人だけにしか打ち明けられず、彼らに再開する恐怖から町のどこも、大学でさえ安心して歩けなくなった。
パラノイアのように挨拶をする人からをも眼を伏せ、逃げるように無視して通り過ぎた。一度、お前は俺が挨拶するのに無視する礼儀で返すのか、としつこく返事を迫られた。がんと口を固く結び足早に逃げたが、背後で怒りのオーラと後をついてくる気配を感じたので、全力で逃げた。
素直には部屋に入らず、巻くように違う建物に入ってしばらくしてから部屋に帰った。
しばらくたってからようやく警察に被害届を出しに行った後には、他人に話してしまったためにマフィアに殺されてしまう、という強迫妄想の恐怖に食事がのどを通らず、眠りに就こうと目をつぶればあたしを殺そうとする彼らの姿が目に浮かび、一睡もできない日が続いた。食べても直後に全て吐き、水を飲んでも胃が傷み、最終的に入院した。病院の点滴に流し込まれた強力な睡眠薬によって事件後から一週間程ぶりにようやく悪夢を見ずに眠れた。
3日ほど入院して、その間清潔なベッドで寝て暇をつぶすのみだった。
3食ともに意外においしい病院食と合間合間に出されるひどく甘いミルクチャイやお菓子に腹が段々と張って行くのを感じた。
それでも退院するときおなかいっぱい食べた後に体重計で自分の体重を測ったら一週間で少なくとも6キロも減っていた。
親切ほど怖いものはない。
新しくタンザニアにきたばかりの友人に、そういう考え方ってなんかかわいそうだね、といわれたが、あたしだってこんな考え方はしたくないし、できれば人は皆生まれながらに性善だ、と言いたいものだ。
しかし事実ここは隙を見せたら命にだってかかわる国なのだ。
そういう犯罪に巻き込まれた状況に陥った時、せめてレイプされたり殺されなかっただけラッキーといえるぐらいだ。

そういう経験をして痛いほどわかっていたのにもかかわらず、ガイドの曖昧な説明に疑問を感じずに数十分歩いた。
結局何もなかったとはいえ自分の甘さを責めた。
もしかして二人でこのままトレッキングを続けていたら森の奥で体を汚されるようなこともあったかもしれない。
すべては推測にすぎないが、推測の内容が現実に起こらないに越したことはなかった。
なにかの本で、人が想像できることは全て現実になりうる、と書いてあった。
「もういい。帰るわ。」
そういって帰りの船の時間に間に合うように早足で引き返した。

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