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【詩の雑感】 加藤周一「四つの四行詩」

 今回の「詩の雑感」で取り上げる詩は加藤周一「四つの四行詩」(1942)である。

  寂しさの極みにたえて天地に寄する命をつくづくと思ふー伊藤左千夫


野のみちの尽きる彼方に
山裾に 白壁かげる
村はまばる 西空の国
夕暮に希望の熟れる…


想出は 何故 あのみちで囁いた?
夏の日の末 雲は死に 花咲いた
野に ひとり 悲しみは風にはこばれ
人の世は 遥かな空に 匂つてゐた…


あゝ 青い 空の底に
花びらの 流れる 時
みちとほく ふるへる 鐘に
古い日の 綻ぶ時


私は夢に白鳥を見た
私は真昼寂しさを見た
白壁かげる山裾の村
流れる空に うかぶのを見た!

加藤周一「四つの四行詩」

 「野の径の尽きる彼方に / 山裾に 白壁かげる」というセンテンスで1つ目の四行詩は始まる。これは自然豊かな村で日が暮れてきて影が伸びてきていることを表わしていると思われる。
 次に「村は瞻る」とくる。「瞻る」とは「目を見張ってよく見る。注視する。見つめる。」という意味である。夕暮に訪れる穏やかではないきりっとした鋭さを感じる。
 そして「西空の国 / 夕暮に希望の熟れる…」で1つ目の四行詩は終わる。日の暮れかかる夕暮れの時間帯を「西空の国」と表現するのはおもしろい。そんな「夕暮」にどんな「希望」が「熟れる」のだろうか。さらに不穏さを増す。

 2つ目の四行詩の始まりは「想出は 何故 あの径で囁いた?」とくる。ふいにとある径で「想出」がよみがえり驚いているのだろうか。
 次にくる「夏の日の末 雲は死に 花咲いた / 野に ひとり 悲しみは風にはこばれ / 人の世は 遥かな空に 匂つてゐた…」はその「想出」の情景であろう。黄昏時の幽玄さを「人の世は 遥かな空に 匂つてゐた…」と表わすのは秀逸である。「夏の日の末」の夕暮れ時の孤独な悲しみがより色濃く眼前に浮かぶ。

  3つ目の四行詩は「あゝ 青い 空の底に / 花びらの 流れる 時 / 径とほく 慄へる 鐘に / 古い日の 綻ぶ時」と寂しげな情景を思わせる文章がくる。「青い空」が浮かぶなか、「花びら」はひらりと舞っているのか、それとも文字通り川かなにかに「流れ」ているのか。想像力が搔き立てられる。そんななか遠くから「慄へる鐘」の音が聞こえる。その音により古い日の絡まった想い出が「綻ぶ」。

 最後は「私は夢に白鳥を見た / 私は真昼寂しさを見た / 白壁かげる山裾の村 / 流れる空に 泛ぶのを見た!」という四行詩で終わる。「夢」に見る「白鳥」は何を意味するのか。白鳥処女説話でうかがえるように処女性を意味しているのだろうか。また「真昼」には「寂しさ」を見る。それらの複雑な心境が、不安定な「白壁かげる山裾の村」の「流れる空に」まざまざと「泛」んでいる。「私」はふいに想いだされた「想出」によって、行き場のない感情を発露している。

 

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