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海外女1人旅をしたほうが良い10の理由 その2.人との出会いがいっぱいある

海外に1人で旅行に行くと、自分から話しかけなくても、いろいろ話しかけられることが多い。

日本でも旅先でたまに話しかけられることがあるが、日本では相手のことを気遣ってか、関心がないからか、その割合はだいぶ少ないと思う。

もちろん、1人で海外に行くのは寂しかったり、危なかったりするところもあるけれど、何人かで旅するよりも圧倒的に知らない人と出会えるので、それが楽しみでもある。


まずは、最も人と接する機会が多い飛行機の中での出会いをご紹介したい。

ソウル行きの飛行機に乗る前、トイレの鏡の前で大声で1人言を話しながらあわてている日本人を見かけ、面白い人だな、と思っていたら、機内で隣の席になった。

3人掛けのシートに2人で座っていたので、トイレで見かけたと話しかけたら、ソウルのリピーターで何回もソウルに行っている、と話してきた。
なぜか血液型の話になり、お互いB型同士ということを知り、より会話は盛り上がり、食事の時間を除き、ほとんど話しっぱなしという状態に。
わたしは自分がB型ということもあり、結構、強烈な個性の人でも面白い、と思ってしまう質だ。

最後には、梨泰院(イテウォン)の行きつけの店の名刺までくれて、ぜひ行ってみてよ、と誘われた。
(結局、梨泰院には行ったけれど、名刺の住所にはたどり着けなかった)
飛行機に乗るまでは、ちょっと体調悪いかも、と思っていたのに、カルビ弁当をたいらげられたのは、付属のコチジャンのおかげもあるけれど、話が盛り上がったのも一因だろう。

パリ行きの飛行機に乗った時は、後ろの座席の女性2人が睡眠時間を除いてずっと話していた。話の内容を聞いていると、1人がモロッコに行こう、と何回も誘っていて、もう1人がパリで用事があるので無理、と繰り返していた。わたしは隣の人とまったく会話がなかったので、ちょっと楽しそうでいいな、と思っていた。

飛行機を降りた後、隣に立ったモロッコに行こうと言っていたフランス人(日本語ペラペラ)が、わたしにもスペイン経由でモロッコに行こうと誘ってきた。
ちょっと面白そうかも、と思ったが、わたしはスペインに行くだけで時間がいっぱいなので、断った。
彼女は私と同じ神奈川県に住んでいて、フランスに3ヶ月里帰りするが、その前にモロッコに行くらしい。
会社員なのに3ヶ月休めることにも驚いたが、飛行機の中で旅行のパートナーを探すって、なかなか大胆だなと思った。

ちなみに、スペイン帰りにパリから乗った飛行機では、わたしは隣の日本人女性と寝る時と食事・トイレ以外、ほとんどしゃべりっぱなしだった。
わたしは真ん中の席に座っていたが、隣のおそらくフランス人男性(?)は、ちょっと困っていたかもしれない。
(特に何も言われなかったけれど)
この方もかなり個性的な方だったが、旅の思い出になっている。

次は、町での出会いについて。

日本人にたくさん出会ったのはゴールデンウィークに、モスクワ経由でチェコのプラハに行った時のこと。

モスクワにはビザなしで行ったので、トランジットホテルに宿泊し、翌日にプラハに移動することになっていた。
今はもっと便利になったかもしれないけれど、その頃(2001年)のシェレメーチエヴォ空港は、入国審査にかなり時間がかかり、トランジットホテル行きのバスが来たのは、到着してから3時間後のことだった。

入国審査の手前で出会った大学生くらいの日本人男性は、アフリカに向かう飛行機はこっちでいいのか、不安げに尋ねてきた。
おそらく、航空会社の人に聞いた方が確かだと思う、と答えたはずなのだけれど、はじめてのアフリカ1人は怖いよね、と心の中で同情した。

わたしは海外1人旅が2回目だったから、そこまで不安じゃなかったけれど、それでも「地球の歩き方」のWebサイトでトランジットホテル行きのバスは3時間くらい待つかもしれない、という情報を見ていなかったら、
周囲に日本人はちらほら見えたけれど、本当にここで待っていて大丈夫なのかと心配になったと思う。

入国審査に並んでいた時は、隣にいたインド人に、「どこから来たの?」と英語で聞かれて、「日本。あなたは?」と返し、「インド」と言われたが、英語力がなく、会話が続かなかったのが残念だ。
空港では、巨大なバックパックを背負った、欧米系の60歳を過ぎたと思われる1人旅女性を見つけ、パワフルだな、と感心した。

トランジットホテル(ノボテル)に移動すると、3階のフロアに缶詰状態になった。
あらかじめ米ドルを準備していたので(ロシア・ルーブルよりも米ドルが良い、という情報を事前に調べていた)、売店に食事を買いに行ったら、ほとんど食べ物が残っていなく、仕方なく日本から持ち込んだお菓子でしのぐことになった。
ホテルはそこそこ高級だったこともあり、ドアと反対側にある窓ガラスからは、1階にウェディングドレスとタキシードを着たカップルが見えたが、こちらはお腹が鳴ってひもじい思いをしているのに、下では結婚式、というギャップが思い返しても笑えてくる。

翌日は、エレベーターで1階まで移動し、会議室のような大部屋に、ほぼ日本人ばかりが50人以上はそろって食事をした。
(エレベーターから大部屋の間にはロープが張られていて、他の場所には行けないようになっている)
8人掛けくらいのテーブルに詰めて座ったのだが、これからどこに行くのか、という自己紹介をしたり、このホテルなんかすごいよね、などの会話をしたりして、会場内はハイになったような盛り上がりを見せていた。
やはり、一種異様な状態を一緒に体験すると、知らない人同士でも団結力が増すのかもしれない。
再びシャトルバスで空港に戻り、1人でプラハに向かった。

プラハでも、ゴールデンウィークの関係で、多くの日本人に出会う。
まずは、プラハ城の下で日本人のご夫婦に道を聞かれる。わたしが道端で「地球の歩き方」を読んでいたので、日本人だと気付いたようだ。
その後、スメタナ・ホールのある旧市庁舎の館内ツアーで、1人の日本人女性と出会う。
彼女とは、そのままミュシャ美術館に行き、そこでまた違う日本人女性2人(いずれも1人旅)と出会い、通りでも2人の日本人女性(いずれも1人旅)に出会った。

最後のほうは、実は日本人に出会うのにうんざりしていた感もある。
会社三昧の日々を過ごして、やっと外国に来たから、1人になりたい気分もあったので。
最後に知り合った女性は、日本人に出会えてすごくうれしそうだったので、反応が悪くてちょっと可哀想そうだったかなと思う。
「後で食事に行くから、良かったら来て」と言いおいて、素早くその場を逃げてしまったので。

夜になって、再び集合し、日本人女性6人で食事に行った。
お酒を飲めない人が多そうだったけれど、ついビアホールにみんなを連れて行ってしまった。
「ビールと古本のプラハ」という本を読んで、プラハのビアホールにぜひ行ってみたかったので。
ちなみに、アメリカのバドワイザーはチェコのビール・ブドヴァルが起源といわれている。

ビアホールでは、かなり酔っぱらってるがノリの良いチェコ人のおじさん2人とドイツ人青年1人と相席に。
ドイツ人青年にどこから来たのか聞かれて日本から、と言ったけれど、その後の英語が聞き取れなかったのに、何となくうなずいてしまった。

隣に座った女性(道で最後に知り合った女性)に「なんて聞かれたの?」と聞かれ、実はよくわからなかった、と言ったところ、そんなんじゃ駄目だよ、というようなことを言われた。
彼女は明らかに年下だったのだけれど、はっきり言う人だなと思った。
しかし、後々考えてみて、やっぱり良く理解していないのに、気安くうなずくのは、誠実さに欠けることに気付いた。

英語ができないこともあるけれど、他の人を嫌な気持ちにさせたくない、気まずくなりたくない、ということは、外国人と旅先で深いつながりができなかった一因でもあるかもしれない。
日本と違って、外国の人はマイナスの意見を言っても、ただそう思うから言うだけで、自分が嫌いだからそう言っているのではない、という考えを持てなかったのは、ふだんからの習慣を引きずってしまっていたからなのだろう。

ビアホールの後は、みんなでチェコの郷土料理の店に行った。
わたしがアエロフロートでプラハに来たと言ったら、「信じられない、わたしは絶対に使わない」とちょっと馬鹿にしたように言う人がいた。
わたしは2週間前に急遽プラハに行くことを決めたから、アエロフロートしか取れなかったので、このルートを使ったのだが、言い返すことができなかった。

これも旅先で気まずさを出したくない、という思いがあったからだ。でも、そういう自己主張は正当な意見なので、その場で言うべきだったのだろう。
もしかしたら、2週間前に旅行を決めるなんて、すごいね、という話になったのかもしれないのだから。

帰りのモスクワの空港の免税店では、わたしの前に並んでいた日本人男性が、10個以上キャビアを買っていた。
レジのおば様とお兄さんが「あんなに買ってるよ!」みたいな会話をちょっとあきれたようにしていて、そのすぐ後でお兄さんは笑みを浮かべながら「Hello」と言ってきたのだけれど、どんな表情を浮かべれば良いのか、とまどってしまった。

日本人としては恥ずかしい反面、客の前で悪口を言うのもどうかと思ってしまったのだ。
結局、どういう顔をすれば良いかに正解はないのだけれど、こういう時、人間力が試されているような気がした。

モスクワからの帰りの飛行機では、ビジネスクラスにアップグレードしてもらえた(しかし、前の座席の背もたれは、離陸時にバタバタ倒れていた)。
ツアーでチェコに行っていた日本人のご夫婦と隣同士になり、奥さんとは、かなりしゃべり通しだった。
旦那さんも感じの良さそうな方だった。帰りの便の機内食は、キャビアも出て、かなりのおいしさだった。

この時の旅では、日本語を話す率が50%は超えていたかもしれない。

他の旅では、日本人遭遇率はそこまで高くなかったけれど、逆に外国人との遭遇率は高かった。

フィンランドのヘルシンキのバス停で、夜中にバスで到着したわたしに、ホテルの場所を教えてくれた女性。

スウェーデンのストックホルムのコンサート会場で、立ち見の座席をちょっと空けてくれた若いお母さん。

ストックホルムで道を聞いたわたしに、「良く見えないから」と言いながらも、老眼鏡を出して、道を教えてくれた年配の男性。

アメリカのニューオーリンズでバスを待っている時、「今度中国人の女性と結婚するんだ」と話しかけてきた、男性8人くらいでクルーズ旅の途中の男性。

同じくニューオーリンズのバーボンストリートの路上で、お互い酔っぱらいながら、プラカップに入ったビールで乾杯した年配男性。

ニューオーリンズの2階からセクシーなお姉さんが投げたビーズのネックレスを取った隣の女性に、酔っぱらって「いいな!」と言ったら、快く譲ってくれたこと。

ニューヨークのタイムズ・スクエアの階段に座っていたわたしに、神について語りかけてきたホームレスらしき男性。

フランス・パリの教会のゴスペルコンサート会場で、親しげに微笑んでくれた香港人(?)カップル。

パリのムーラン・ルージュで、特別に館内を撮影していいよ、と言ってくれたウェイターさん。

イタリアのヴァンティミリアで、列車の荷台からスーツケースを下してくれた男性。

メキシコ・メキシコシティの通りで、会話をしようと話しかけてくれた男性。

スペインのバルセロナ空港のショップで、「「グラシアス」って日本語で何て言うの?」と聞いてきた女性店員さん。

他にも、まだまだ出会いはあって、中にはあまり良くなかった出会いもあるけれど、今思い返してみて、わたしはこんなに人に助けられながら旅をしてきたんだ、と気づき、思わず涙ぐんでしまった。

あまり人を信用過ぎるのも危ないかもしれないけれど、海外に出たからこそ、人と出会う楽しさに気付けた気もする。

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