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大切ということは、日常になるということ。

20240723.

わたしの大切な友人が
引っ越しを終えて、婚姻届けを出したと
連絡をくれた。
嬉しいね。嬉しいな。

いろんな幸せの形があっていい。
いろんな生き方があっていい。

どんな生き方も、素晴らしいね。

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福岡県にある「うつしき」というギャラリー。
そのホームページに綴られていた日記でわたしが好きな記事がある。3ヶ月ほど前に出会った記事だったが、わたしもこの思いは根本にある気がしていて。

もしよろしければ。


子供たちと一緒に居る中で、
衣服はその人の一部である
ということを思うようになりました。

現在1歳半の末っ子を見ていると
“衣服”と”自分”に境界線がないように思えます。
だから、必死にご飯を食べて米粒まみれになっても、外で思いっきり泥水に入って汚れようが、
裸でご飯を食べ、裸で泥水に入っているような
感覚に近いのではないでしょうか。
”汚れる”という概念がないのかもしれませんが、
それとは別で着せられているけれど、
自分となんら変わりがない様子。

初めて意識した好きな服|うつしき

境界線を無くす衣服との向き合い方、
わたしはすごくいいな、と思った。

いつからか、衣服ひとつとっても
そのものが持つ背景を聞き、作り手の想いを知り、人の気配が感じられる服を好むようになった。今だけじゃない、長く着られる大切な1着を求めるようになった。だからこそ、汚したくないと思っていて、きれいに着たいと思っていた。それが大切に着ることだと思っていたから。

けれども今は、大切という意味が変わっていき、きれいに着ることよりも大事なことがあると思うようになった。

山に入れば、土は湿り潤う草木がお出迎えしてくれる。衣服もわたしも同じように濡れるし、土もつく。時には傷もつくし、跡もつく。
でも、それでいいと思うようになった。
それが、いい思うようになった。
大切な衣服だからこそ、自分の一部であるかのように共に生きていきたい。そんな気持ちに変わっていった。

食べること、暮らすことと同じように、着ることも生きることの一部でありたい。
体に入る食べ物のように、時間を紡ぐ暮らしのように、衣服もまた、自分を自分へと導き、わたしを作ってくれる大切なものでもあるから。

たくさん汚して、たくさん洗えばいい。
破れたら縫い、ときにまた染め直せばいい。
たくさん悲しんで、たくさん笑って、何度も歩き出す。衣服もわたしも、なんだか似ている。

なにより、大切に着る。はひとつではないことを知った。汚さないように、特別に扱う大切さもあるけれど、わたしはそうではなくて、たくさん着て、たくさん洗って、日常の一部になることが大切に着ることだと、今は思っている。それは、衣服と自分との境界線がなくなって、自分の一部になっていくかのように。

どんどんと、衣服がわたしに馴染み、わたしが衣服に馴染んでいく。衣服がわたしのように、わたしが衣服のように、整っていく。お互いをより魅力的にする。心地が良いと思った。

衣服との向き合い方が変わって感じたこと。
それはどんなことも、大切ということは、日常になるということ。互いが馴染んでいくということ。共に生きるということ。そう思った。

衣服も。きっと、人も。
それがきっと、大切ということ。

だからきっと
友人と友人のパートナーも
互いが大切だと感じたから
大切な人を日常にする
決断をしたのかもしれない。

なんて、思った。

理由はいつだって
単純で、シンプル。
それだけのこと。

だけどわたしは
そのシンプルが
まだまだ難しい。

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冷たいもの、食べたくなって
水羊羹を。

なんだかこれも
ひかりと水の境界線を
無くしたかのような
すてきなお菓子。




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