ぐらしあすの「ひきこもりと社会とのつながりについて」

最初に、ぐらしあすは「ひきこもり」を否定しない。
なぜならば、その行為は自らが選んだことであるから。

ひきこもり者にはエネルギーや欲望があることを知っている。

あるひきもりのA君(男性)の家を訪問したことがある。
ご家族と一緒に暮らしているので、衣食住の問題はない。
ただ、自室にこもっていることが彼の1番のリラックス状態なのだ。
よくよく話を聞いていると、好きな漫画や音楽雑誌の発刊日には一人で書店に行くという。
また、ジュースが飲みたくなったら、近所の自販機まで買いに行くという。
家族に対しての暴力は伴わない。
そういった自分に興味のあることには、エネルギーを出すことができるということ。今のところ将来への見通しは感じられない。

また別のB君(男性)は、家の中の壁がぼこぼこになっている。
家はいたんでいるものの、そういうエネルギーの出し方もある。
親御さんは困ってサンドバックを買った。
それからB君はエネルギーをサンドバックに叩きつけている。

問題は自分が今後どうしたいのかということと、エネルギーの方向性とエネルギーの放出の問題かと思う。

すんなり支援者を迎え入れてくれるなら、一緒に物事を検討していける。

あまり人と接触したくなければ、親や支援者との交換日記やメールのやり取りもある。
しかし、親や支援者は本人の抱える問題をさらに広くとらえにくい面があるのも事実。支援者はほかにも支援を必要とする人々もいることだし。

このNOTEでは、自分の意見や思いを発信したり、他の方の記事を拝見したりすることができる。

もう一つの提案は、ある人に興味を持ち相互交流が始まれば、ビデオトークなど出来たら面白い。2人ともが顔出しOKあり、1人が顔出しOKあり、2人とも顔出しNGありで、言葉の音色、トーンなどでもっと深く交流できるのではないかとも思う。

もう一つ、これは前から思っていたことだけど、外出はしたくない、知っている人と話をしたくない、自分の容姿を見てもらいたくない、でも時々誰かと話をしてみたいというときにうってつけなのが「アマチュア無線」だと思う。
気楽なときに、気楽に周波数を合わせ、どこの誰だか知らない人と話をしてみる。話が合いそうになければ適当に話をやめればいい。
どこの誰かはわからない人と、無線を通して会話ができるというのも、ある意味ワクワクするものではないだろうか。



ディプレッションまっさかり。ぐらしあすの「こころの声」を中心に、自分が体験したことや、時折感じる何のエビデンスもない、主観の記事も徒然に書いていきたいとおもいます。よろしくおねがいします。