ぐらしあすの「介護施設におけるお話聞きまっせ専門職員の配置が望ましい」

以下はぐらしあすの主観であり、自身への自戒の意味も含め記述する。

とにかく介護現場は忙しい。
食事の準備や食事介助、おむつ交換、時間ごとの体位変換、洗濯、シーツ交換、おやつ準備、このコップは誰それさんのもので、はしやスプーンも各人のものなので、それも覚えなければ始まらない。コーヒーよりココアを好む等の嗜好の把握、入浴介助などなど。

とにかく忙しいにもかかわらず、命を預かる身としての報酬は十分とは言えない。
処遇改善というのがあるが、とても助かるという額でもない。
国が職員の給料の底上げをしなければ、バーンアウトしてしまう職員や、夫婦共働きでなんとか生活をしているという状況が現実である。
実際に疲れがたまっている職員は多い。

利用者さんと話をしながらも、職員はたいてい自分の次の段取りを考えている。
臨機応変に対応出来る職員もいるが、ただ自分のルーティンをこなしている職員もいる。
そんな状況であれば、毎日同じような質のサービスの提供が難しい。

利用者さんにはお話し好きな人もいるが、あまり話しかけないでオーラを出している人もいる。
知的障害と認知症をもつ利用者さんがいる。
言語的コミュニケーションは難しい。
機嫌が悪くて抵抗が激しくても、そっと手を差し出したらその手を触る時がある。
適度なスキンシップは重要だな。

介護現場で初めてユマニチュードという言葉と手法を知った。
要は職員は柔らかくドンとしていて、利用者の後ろからではなく、正面から目を見ながらこころつなぎを行うことが重要。

認知症と言えど、利用者は職員のことをしっかりと観ている。

しかし、上記のように現場は忙し過ぎる。

ぐらしあすは介護技術はしょぼいけれど、利用者と話をするのは誰にも負けていないという自負があった(自信過剰ですみません)。

ということでふと思いついた。
配置基準の問題もあることだろうから、介護職員としての立場でいいので、介護をしない、お話聞きまっせ専門の職員がいれば、現場の職員も、施設にとってもゆったりと出来るようになれるのではないかと。

いつも思っていることだが、その時その時楽しいお話をするのも良い。

が、しかし、利用者は80~90歳代の方が多く、我々職員からすると人生の大先輩である。

これまでの長い人生のプロセスに於いて、利用者一人ひとりがそれぞれの体験、経験を通して歩んできたことは、その人の宝物である。

例えば、若いころは腕の良い漁師をしていた男性、物理の教師をしていた女性、バレー部で活躍していた女性等、話をしているうちにどんどん出てくる。

職員はその人のヒストリーに興味を持つということは重要。

今現在は自分の部屋がどこか忘れてしまったり、せっかくたたんだ洗濯物を引っ張り出してきてそのあたりにまき散らしたり…。

しかし、だ、本人が思い出したくない経験などには触れないが、活躍していた頃の話を聞かせてもらうと、どうしたら可能な限りエンパワメントが可能なのかということを考えるも、介護施設でストレングスを引き出してエンパワメントにつなげることは、非常に困難である。
しかし、はなからあきらめてはいけない。
そうすることによって刺激を受け、脳と行動の活性化をはかれるのではないかと考える。
もちろん自分のペースでゆっくりと過ごしたい利用者には、それはそれで尊重する。

昔介護施設とバイトのダブルワークをしていた時に、ぐらしあすよりも10歳以上の男性がバイト先にいた。
話をきくと、バイトとは別に、昼間介護現場で利用者さんの見守りをしていると言う。
その人にはぐらしあすが介護施設にいることは伝えてなかった。

ちょっといじわるいっぽいけど、ぐらしあすはその男性に、見守りの内容を聞いてみた。
その男性曰く、利用者は徘徊が激しいので、「ここに座っとき」を通しているという。
その男性が見守りをしている利用者さんは気の毒だなと思った。
見守っているあんたがずっと座っとけっちゅう話である。
それは職員都合であり、本人主体であれば、例えば利用者がそわそわしてきたらそれに敏感に反応し、何をされようとしているのかを察するようなゆとりが必要。

自分が利用者で、何かしようとしているときに強引に椅子に座らせられるのは苦痛極まりない。

利用者が家に帰りたいと言えば、心苦しいけど、「もうこの時間帯は家に帰る車がないんですよ、また明日にしましょうか?」とか「そっか帰りたい?じゃ車いすでドライブに行こうと誘い、フロア内で車いすを押し「右に行くか左に行くか決めてもらって、そっちの方向に車いすを押す」、これだけでもだいぶんと落ち着くのである。

そうやっても同様なことを繰り返されるが、またまた同じようなことを行う。

一人でどこかに行こうとされていたら、職員都合で「どこにいくんですか?もう自席に座っててください」ではなく、自力歩行が出来る方には、転倒に気を付けて、後ろからついて行くというのも良いだろう。

利用者は、もう帰る場所(自宅での介護は困難)がないので、このままずっとお迎えが来るまで施設で過ごす方がほとんど。
誰かの手助けがあっても、1日中ベッドの上で過ごす人が多い。

だからこそその人のヒストリーを尊重し楽しい経験を教えてもらい共有する。

ちまたでよく聞くのはどこの介護現場でもやっぱり人手不足。
ぐらしあすの場合、定年というのがなかった、つまり、体力気力があればそれがなくなるまで働き続けることが出来る。

そんなこんな意味で、ある時は散歩相手、お話相手、車いすドライブの運転手など、すべてはユマニチュードと心的コミュニケーション作り出すことが重要。

介護現場では、介護の仕事は直接しないが、毎日フローアーをゆっくりとうろうろして、話をしたい人をさがし、こころをつなぎ合わせる積み重ねがあれば利用者さんにとっても有意義な時間となるであろう。

もう一回いう、利用者のヒストリーを知ることは何はともあれ、基本の「基」であるとということ。

このお話ききまっせ専門職員は、あながち施設にとってもありがたい体制ではないだろうか。

そのような人物を探している施設があれば、そこに行ってみたい気がする。

あるいはこちらから趣旨説明をして営業をしてみようか。

上記は以前から考えていたことである。



ディプレッションまっさかり。ぐらしあすの「こころの声」を中心に、自分が体験したことや、時折感じる何のエビデンスもない、主観の記事も徒然に書いていきたいとおもいます。よろしくおねがいします。