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働いていた頃を思い出すと作文だけする人生でいたくなってくる

 世間には上手く隠されているけども、素晴らしく美しい瀟酒な場所においても、というより、素晴らしく瀟酒な雰囲気を完成させている場所というのは、どこかに非常な重労働をこなす立ち位置が存在する。スチュワーデスという仕事がその重労働の一つであると私は思い付いた。とはいえ、彼女らの資生堂の化粧品で作られたような美しい顔は、間近で人に見られるからこそ時間をかけてグラデーションに塗り上げられるのだろう。彼女らの仕事には、顧客に対する責任感のある社交性が求められる。こういう仕事を獲得する人というのは、数年がかりで下準備をしているものだ。スチュワーデスの採用倍率が高いのは言うまでもない。私が東京の瀟酒なレストランで働き始めた時、雇用の始まりも雇用が終了した時も、勤務形態は一貫して非正規雇用の時給制であった。そもそも、最初の時点で時給で働く立ち位置を希望していたのは、地方の病院で国家資格を持った心理職として働いていたことが原因である。その心理職としての失敗があったので、管理的な立場で働くのに病的な不安があった。レストランで割り振られた仕事は、まず営業時間中、料理人が仕上げた料理を、出来る限り沢山トレーに載せて、レストランの表の社員に運ぶのが仕事であった。それと同時に社員が渡す客が食べ終わった食器を、一回で大量に運べるように出来る限り大量に重ねて、レストランの表から裏の洗い場に向かって、営業時間中も、営業が終わって客がテーブルの上に皿を残して立ち去った後も永久にその食器を運び続けるのが仕事だった。非正規雇用の配膳人は、テーブルについて直接客に料理を出したりはしない。こういう単純労働であることもあって、人の表情に気がつく必要が無く、特別な社交性を身に付ける必要も無かった。私がいた東京のレストランは非常に煌びやかな場所であったけれども、そういう場所にいても、社交性を身に付ける必要が無いと、打って変わって瀟酒になるということも無い。煌びやかさに影響を受けて豪華な衣服を身に付け始めるという現象が起こるのは、その姿で人々の中に入って行き、交流し始める場合だろう。私のように固定の立ち位置で単純労働を与えられている場合はそういう風にはならない。華やかな場所というのは、客の支払う金額が高い分、正規雇用の社員に常に緊張感があった。そういう厳しい雰囲気の漂う空間にいて、人ではなくひたすら作業の方を向くように求められる仕事を、20代のうちに数年間経験したことが、31歳になって一年弱無職になって後、自分の感受性を発見することに繋がったという実感がある。これから先は、20代の頃のような重労働からは逃げ続け、実家で暮らしつつ、時折アルバイトで日銭を稼いで、あとはひたすらに日々文章を書く人生を生きていくと決めている。

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31歳、実家暮らしアルバイト生活の、一人っ子のノンセクシャル女性😼😽 日記、エッセイ、時折評論です。 ひたすらこつこつ書き続けていくのでよろしくお願いします。