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切なげ捨て猫オーラの人間とバッティングして喧嘩する無職の妄想

 何かしら、世界中で自分だけにある特別な感情があるという確信がある変な人が職場にいたり、もしくは大変厄介で不幸なことに、そういう人間に絡まれて揉めたりしてしまうと、自分自身がこの世に生まれて与えられた日常というものが、めちゃくちゃに破壊されてしまう。こういう、死ぬほどめんど臭い本人的に特別な人間は上手く人に取り入って、見つけた自分を可愛がってくれる物好きな人に背中を撫でてもらっている。私に言わせると、こういう人々が可愛いと思えるのは、本人が本当に自分の価値を感じるあまり、社会と人間に対して繊細な不安を抱く少し不穏な雰囲気がある場合だけども、それこそ私は、この世界で、自分だけが彼らのその閉じ篭もる繊細な雰囲気に触れることが出来ないらしいと最近気付かされた。要するに、毎日ひたすら日常だけ感じる性格の私を前にすると、せっかく情緒不安定な彼らの良さというか、特別さである内に籠った繊細さが消えてしまい、私に対しておそろしく堂々と厚かましい態度になり始めるのである。一応彼らも人を欲しているということだろうか。実は、私はこういう世間でばったり出会う彼らの私に対する付き纏いが、僻みから来る嫌がらせであること、情緒不安定であるが故に大切にされる彼らにライバル視されていたからこそ、よっぽど毎日私の行動を確認する必要があって、ちょっとすれ違ってもその一瞬で全力で私に関わってくるのだと、ここ最近になって見抜いている。働いていた頃、基本毎日肌の表面が白くて、時折指摘されることはあっても、脂漏生皮膚炎が顔に全く無い日が殆どだった自分で過ごしていたうちは、こういうことにも気がつけなかった。根本的に無職であること、働かずにいられる人生がこの世で最も特別であると感じる性質の私は、いわゆるヒッピーのようなリラックスした雰囲気があって、こういう私の独特な雰囲気は、胸の内に特別さを抱いている切なげオーラの強かな彼らとバッティングしてしまう。彼らは確かに本当に明晰な一面があって、例えば人間が数人いる状況で、それぞれの立ち位置をしっかり把握していて、会話の展開によって、自分の特別さがいなされそうになると、その都度上手に振る舞って甘える他人を見つけ、自分に言及され過ぎてしまう状況から上手く離れて逃げてしまうのである。彼らのそういうところがある意味、完全に人に甘え切っていて可愛らしいのだろうと思ったところで、今度は私が、私自身の人間関係における自分の在り方に気が付いた。私が、場合によっては彼らからさえ疎ましく懐かれるほど、正直大方人の信用を得られるに違いない点において切なげオーラの彼らとタイマンを張れるのは、自分自身、素朴で邪気が無いと思えるところがある。私の永久に無職で部屋の中にいても、自分の周辺の環境を整えたり、その中で生活してそのことを描写しているだけで主観的に満足仕切れる独特のヒッピー体質の人間が、世の中に大量発生したら、社会が回らなくなってしまう。私はこれまで特別な才能を世に発揮した経験がない無職31歳の女性だけども、自分の日常生活の細部を全て点検しているだけで自分が人間らしいと思える性格で、根っからこういう人生だけでいられる気質の人間はあまり社会に多くないと、歳が上がって気がついた。文章を書くのは、その自分の生活の細部を観察するための手段である。私の、幸福が発展してゆく先は、無限に日常が続いていくという認識が態度に出ているこの独特な雰囲気は、場合によっては切なげ捨て猫オーラの彼らに限らず、接する人を妙な気持ちにさせて、常に相手にコミュニケーションを取る取っ掛かりを作らせていた気がしてきた。そしてもっと言うと、常に相手の方が、のんびり一日一日の日常を感じて過ごす性格の私よりも、常に目の前の人間の感情の変化に追われて焦っているように思える。常に目の前の人間の感情の変化に追われて焦っている彼らは、確かにのんびり屋の私と比べて、これは確かに本当に本物の切実さがあるように見える。あんまりにもひたすらに、日常を受けるだけで後はのんびりしている私からしたら、この手の切なげ捨て猫オーラの彼らと少しでもコミュニケーションを取った時、日常に生きるのではなく、特別な自分の存在を追いかけて、感情の緩急を見せて欲しいというあの独特の態度に、いきなり全然知らない道に迷い込んだかのように胸がざわざわする。言うなれば、完全に私と対立する関係なのだろう。1年以上働いておらず、そういう日常で最も感覚が発展する自分を見出す価値観の持ち主であるスタンスの私に、人々の前で特別であり続けると毎日実感を積み重ねるために常に人を観察して生きる切なげ捨て猫オーラの病んでいる人間が、社会的でない似たモノ同士の雰囲気の私を見かけて、不安を胸に抱いて私のところにやってくるのが目に見えている。要するに一方的な付き纏いである。しかも病人である彼らの手練手管の虎の巻は一千通りもあるのではないかと思える。そういうところは病んでいる人間独特の安定感すら感じて、こういうことを日中考えていると、はっきり言って、まだ全然無職でいたいと思える。

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31歳、実家暮らしアルバイト生活の、一人っ子のノンセクシャル女性😼😽 日記、エッセイ、時折評論です。 ひたすらこつこつ書き続けていくのでよろしくお願いします。