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モノを持たない。

ここ数年だろうか。モノを買って、それらを家に招き入れることに興味を持たなくなってしまった。在宅ワークであまり外に出ず、家で読書をしたり楽器や絵を描いて遊ぶ方が圧倒的に充実感があるため、洋服やバッグ、化粧品類にあまり関心が向かなくなったことが理由の一つ。そして何より、狭いアパートのクローゼットやキャビネットに収納しきれず溢れたモノを見るのが、ほとほと嫌になってしまったのだ。


2LDKのアパートは狭いので、もともと物入れは狭いし少ない。それでも、大きな家が欲しいと思ったことはない。家族3人、ここに入り切らないものを所有する必要性は絶対にないという毅然たる確信はあった。それでも断捨離を定期的にしなければ年々モノは必然的に増えていく。


久々に、過去2年間で数回しか袖を通さなかった洋服を取り出して、衣装ケースに入れてみた。クローゼットのスペースが半分空いた。ケースの中の洋服を見て、なぜ今これらを所有しているのか考えた。店内での確かな「必要であろう」とか「頻繁に着るだろう」とかの判断がいかに見当違いであったかを思い知らされる。これを所有すれば何か自分に価値が付随すると思ったんだろうけれど、現実には1~2日でその幻想は色褪せてしまう。今年、数回か着て、来年は知らない。


中にはとっても気に入って何年も着用しているものもあるけれど、これらとの出会いは他とはちょっと違って特殊なような気がする。最初から相性の良さというか、心地良さのようなものがあって買う時も迷いがない。懐かしい友人に再会した時のように、あっさりと安心して受け入れてしまえるところがある。でも、そんな出会いは1割くらいだろうか。それ以外の消費は、暇つぶしであったり、根拠のない必要性であったり、そこにある空虚を埋めるたものものであったりする。


占有率が半分になったクローゼットを見ると、心の余裕が増した確かな手応えがある。選択肢が少なさが、日々の生活にこれほどの鮮明さと静かな落ち着きを与えてくれるとは。「万が一のために」というアイテムは山のようにあるけれど、それらに貴重なスペースの占有権は与えない。残ったのは、日々使用するものであり、長年愛用できるもの。この爽快感を体験してしまうと、この空間に何かを手軽に持ち込めなくなってしまう。


家の中にあるものは、できれば使用率50%以上を目指したい。使用頻度は低いけど必須というアイテムはガレージに保管。何よりも、自分に何が必要かは「決められる」のではなくて意識的に「自分で決める」ということ。とにもかくにも「これを持つべきである」とのメッセージが流布する現代。雑音に翻弄された無意識な消費はできるだけ避けたいものである。

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