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死にたくても生きていかなきゃいけない生きていくしかない

私は何個か精神病の診断名が下されている。
中学生の時に初めて精神科を受診して、診断された病名。
今では説明するのが面倒なくらい病名がある。
最初は認めたくなかった精神疾患。
今はもう諦めとどうでもいいやという感情がある。
未だに認められないけれど、悔しいけれど、それを気にしていたら生きていけない。
毎日泣いて過ごす日々になる。それだけは嫌だった。
受け入れらないけれど付き合っていかなければならない病気と共に過ごして早ウン十年。
色んな薬を試した。
その処方薬を乱用した日々もあった。
入退院も数え切れないくらいしたし、カウンセリングも受けているし、電気治療も受けた。

そして自殺未遂もした。

この自殺未遂で私は自分で死ぬことは無理だなと、何となく思った。
そして次同じ事をして、死にたくても死ねない体になってしまう恐怖もあった。
どんなに死にたくても生きていくしかないと悟った。
それは私にとって絶望だった。


私は悔しい。何故なら幼い頃に描いてた自分とはかけ離れているから。
そしてそれが、親や同級生によるいじめや教師によってこんなに歪んでぐちゃぐちゃな自分と未来にされたと思っているから。
でも1番は【それら】に負けた自分を憎んでいる。
私は私自身を、ちょっとやそっとじゃへこたれないと勝手に思っていた。
前向きといえば聞こえは言いけれど、結局実績の無い自信に満ち溢れていて自惚れていただけだ。


死にたいという感情は、私にとって日常茶飯事だ。生きていたいと思う日の方が少ないかもしれない。
それでも誤魔化し誤魔化し生きている。
学生時代の辛さを、風俗で働いていた時の惨めさを、精神疾患だという事実を認められないまま死ねないのだ。悔しいから。こういう所だけは負けず嫌いの自分が出る。
もう自死は選べないのだ、選びたくないのだ。
意地だ。意地で生きている。
昔、自殺をすると【知らない知り合いが増える】と聞いたことがある。
詳しくは覚えてないが、自殺した人の周りが勝手にその人の事を知ってたかのように振舞ったり、自分の懺悔や美談としての踏み台にするという感じだったと思う。
そんな憎たらしいこと絶対にされたくない。
もう周りを見返してやりたいという気持ちは、無くなってきた。
ただ自分の人生を生きてみたい。


いつ死ぬか分からない人生。
片意地はらずにお気楽に生きて行けたらいいのにね。

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