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#仕事哲学

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仕事をするときの考え方やこれからの働き方など、理想の仕事の仕方を考察した投稿をまとめていきます。
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記事一覧

自分の人生は自分のもの

最近、人事関連の書籍を読んだ。「ジョブ型」に関する書籍である。 要旨を簡単に言うと、 ・旧来の日本企業は新卒一括採用で「就社」し、一社で仕事人生を終えることが多い。若いうちは意気揚々と仕事に励むが、自身の出来ることが見え始める中高年になると会社へのぶら下がりが出始めて、仕事力が落ちていく ・一方ジョブ型は「就職」であり、企業と個人が対等な契約関係。自身のキャリアは自分のもの、企業側は必要な時に必要な人材を雇うことが出来る。 というものだ。 日本企業においてこの移行が進むのか

「進捗会議」は誰のための会議か?

昔、あるクライアントの課長さんが、 「オレのために進捗会議は必要ない。メンバー(進捗報告する側)のためにある。のに、メンバーはその意義を分かっていない。」 というコメントを伺ったことがある。 当初、駆け出しマネージャーだった私もそれまで気になっており、以降その方と同じ思想で進捗会議を進めるようにしているが、その「やり方」を今回は紹介していきたい。 よくある進捗会議は下記のようなものではないだろうか? Aさん「計画に則って粛々と進めてます。問題ありません。」 Bさん「xxとい

”リモートワーク” は存続するか?

コロナ下で急速に導入・浸透した「リモートワーク」、そもそも対面で仕事をすることの意義は?緊急事態宣言の解除やワクチン普及等でコロナが収束をしていった後にどうなるか?について考察した。 昔は、毎日オフィスに出社し自分のデスクに座り、一日オフィスで仕事をし、終業後家に帰るのが「働くこと」であった。朝夕の通勤ラッシュ・タイムカードでの勤怠管理・直行直帰・アフターファイブなど、「普通は朝から 夕まで会社で働く」が ”当たり前” であった。仕事の仕方も、「ビジネスマンたる身だしなみを

”反省” することに意味はあるのか?

「反省の色が見られない」 「深く反省し、今後は絶対このようなことがないよう努めます」 「反省しているのだから許してあげよう」 「なぜ失敗したか反省して次に進もう」 などなど、失敗をしたり/過ちを犯した際に必ず行うべきもののように扱われる言葉である。この”反省”という行為の意味と要否を考えたい。 「反省」 ①自分のしてきた言動をかえりみて、その可否を改めて考えること。  「常に反省を怠らない」「一日の行動を反省してみる」 ②自分のよくなかった点を認めて、改めようと考えること。

「任せた」と言われたら勝手にやろう

上司に「諸々任せた」と言われた時、あなたはどう思うだろうか? 無責任?仕事押し付けて何もしない上司?頼り甲斐がない? 本当にそういう上司もいるであろうが、必ずしもそうではない。 良い上司が言った場合には、「自身で主体的に道を切り開いて欲しい」というのが上司の気持ちである。 良い上司がこの言葉を発する時、 ・この仕事、部下でどこまで出来るだろうか? ・彼/彼女なら、こういうやり方を取ってここまではスムーズにでき、この辺りで詰まるかもな ・詰まった時には相談に来るか、自分なりに

”例え力” が高い人は仕事が出来る

「成功率3割、野球のバッターなら名選手」 「目標ないのは、ゴールなくマラソン走り続けているようなもの」 「土台がしっかりしていないと大きな城は作れない」 など、何かを何かに例えるケースを見聞きする方も多いと思うが、例える力が高い人は頭が良いと考える。その理由を解説していきたい。 まず、どのような例え方が良いかという点から整理をすると、 ・相手が分かる例え方であること (野球に詳しい人の「xx年の巨人阪神戦のようだ」というのではない) ・例えが的をえていること (「プレゼンの

テレワークに適応できない人は取り残される

3度目の緊急事態宣言が延長され、テレワーク環境で仕事されている方も多いのではないかと思う。業種によってはフル出社、もしくは週1-2回で出社されている方もいるかもしれない。 緊急事態宣言が明けた後、もしくはワクチン等によりコロナが収束した後に、「コロナ前と同様にフル出社しよう/したい」と思ってしまっていないだろうか? もしそう思ってしまっているのであれば取り残される。コロナ後の世界は変わる、テレワークに適応できるようになろう。 よく言われていることだが、日本ではテレワーク適用

あなたは個性的でありたいか?

みなさんは、「あなたは個性的だね」と言われてどう感じるであろうか? 嫌な気分になり「普通でいよう」と思う方もいるかもしれないが、多くの方は「そうかなぁ…」と言いつつポジティブに捉えるのではないかと思う。「自分らしさ」を相手に認識してもらい、自身の存在意義を見出してもらえたように感じるからであろう。 ただ、本当に個性的でありたいのでしょうか?どこまで個性的でありたいのでしょうか?考えてみて頂きたい。 この質問に対し、周りに流されず「ありのままの自分」で居続けている!と断言でき

全ての社員は「顧客」を向いて仕事をするべきだ

企業において「誰のために仕事をしているか?」という課題に対し、 「営業は顧客を向いて」「人事は新卒・中途社員を向いて」「財務は金融機関を向いて」「ITは従業員を向いて」仕事をするものだ、とさも当然のように話す人がいる。 だが、それは違う。全ての社員は「顧客」を向いて仕事をするべきだ。 企業が大きくなる時、ほとんどの企業は分業体制を取る。一定程度の人員を超えると業務管理が行えず、組織としての活動が行い辛くなるからだ。 大企業ともなると部署だけで3桁を超えることは珍しくない。例

”飲みニケーション”は存続するか?

20年ほど前には”大事”とされてきたが、現在は自粛を強いられている「飲みニケーション」。この活動の本質と今後の存続是非を考察したい。 20年ほど前くらいまでは、オフィスを離れてホンネを引き出すための「飲みニケーション」はビジネス上は”非常に大切な活動”と多くの人が認識していたと思う。「一杯やっていくか」と部下を誘う上司、「今度一席設けさせてください」と取引先を誘う営業、その場で普段聞けないホンネを聞き出すということも含めて仕事力として考えられていた。「飲みの場では”無礼講”

「常識」は覆してナンボ

「常識」 一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力。「常識がない人」「常識で考えればわかる」「常識に欠けた振る舞い」「常識外れ」 国語辞典の説明・例文でも常識は「もつべき」ものとして使われることが多い。常識はもたないといけないものなのだろうか? 筆者はなるべく「常識」という言葉は使わないようにしている。何が常識で何が常識でないかは曖昧であることと、「常識だから」という言葉で思考が途絶えるからだ。しかしビジネスの中でも「常識的に考えればこうなる/すべき」

理想の上司 ~任せて責任を取る~

理想の上司は、「本人の意志に任せて自由にやらせた上で、結果責任だけは取る」というものであると考える。わかっていてもなかなか難しいものだが、今回は2つのイイ話を紹介したい。 エピソード①:「舌を噛み切る寸前まで黙って見守る」 サービス業にて顧客向け商売をしていると、上司と担当者で顧客を訪問して説明するという機会が多くある。主に担当者が説明を行い、顧客が質問や指摘をし、内容に応じ担当や上司が回答をするという形になるのが一般的だ。 しかしこの理想の上司は一切しゃべらない。担当が

「1Qじゅうに着手予定」は意味がない

「この施策はいつ頃実施しましょうか?」 「期初はバタバタするものの重要な施策なので、遅くとも1Q(第一四半期)じゅうには着手する予定です」 という会話が良くある。コンサルをしていると良くあるが、クライアントと協業する取組の提案や顧客向け営業などでも同じような会話がされるケースも多いであろう。ただ、この ”着手予定を決める” 行為には何も意味がないことがほとんどである。 企業改革/業務改善など新しいやり方を取り入れる時、何かしらへの投資/購入を行う時、新しい取組を立ち上げる時

「お手すきの際にご確認ください」

部下:「xxをまとめたので、お手すきの際にご確認ください」 筆者:「暫く手はすかないが、見ないで良いということ?」 部下:「いえ、困ります。xx前に必要なので、今週中には確認頂きたく。」 といった会話を筆者は良くする。性格の悪い感じの応対ではあるが、仕事の本質を伝えたく敢えてこういうやり取りをするようにしている。(もちろん、その意図は都度伝えています) みなさんもつい「お手すきの際に…」、言ってしまってないだろうか? 「お手すきの際に~」という言葉は一見相手を気遣う良い言