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Super Star Spectacle 2022

"潮目を変えられる人"を、不思議と目で追ってしまう。
論を立てられなくても確証はなくても、直観として。

潮目を変えられる人。自分の人生を、自分で切り開く人。
とはいえ自分の物語を自分で動かせる人は、決して少なくはない。
大きくても小さくても、人は何かしら自分の道行きを自分で決められる。
根拠はないけど私が魅せられるのは、その賭け方だ。

身ひとつまるごと賭けて、全部を燃料にして自分の信念に巻き込んでいく。
そんなことができる人が、できると私の勘が告げた人が、視界にふと収まるのだ。
その様は一種の引力のようで、目に鮮明に焼き付いて離れない星のようで。

そんな人の進む先を見ていたい。できるなら応援していたい。
私にとって、"推し"とはそのようにして生まれるものだ。


ポエムはさておき、去年の秋頃からプロレスを見始めていました。
DDTプロレスリング。きらめき満漢全席の最高なエンターテイメント。
好きな選手はたくさんいて、肩入れしている選手は何人かいて、その中でもいっとう肩入れして推している選手がいます。

上野勇希さん。

配信ベース、時々現地の程よい距離感の地方在住初心者オタクながらに、初めて現地に足を運んでからそろそろ一年になるので、自分の記録として残しておこうかなと思いました。対戦よろしくお願いします。

春雷は直観を射貫いて

そのそもそもの始まりは4月のこと。
DDT FREE -April- 新宿のライブハウスからの生配信。

DDTのてっぺんには無差別級のベルトという一番の証があります。
無差別級。それは誰にでも、どんな存在にも開かれたベルト。
当時、上野さんはその挑戦者で、チャンピオンの遠藤さんとの前哨戦でした。

(ライブハウスでプロレスをしてるの?と思うかもしれませんが商店街とか路上とか、いろんなところにプロレスはあります。今度ゆっくり探してみてくださいね)

仔細は省きますが、上野さんはチャンピオンの遠藤さんを絞め落とし、その後に僕がDDTを背負うと宣言したのです。誰に任されるでものでもない、新しいものを作ると。

そこで何かが琴線に触れたのです。何かは分からないが何かが起きる光景が見えてしまった。その気持ちに賭けよう、何かが起きる瞬間を見届けたいと強く思ったのです。

私は突き動かされるように、本当は配信で見る予定だった次週の大会のチケットを取っていました。今日の試合が、あなたの発した言葉がとてもとても好きだとお伝えせねばならぬと、今まで会場に足を運んでこそ積極的に行きはしなかったサイン会に行かねばならぬと、頭にはそのことばかりがありました。

多分それを、推そうという気持ちになったと書くことが一番通りが良いと思います。肩入れしていた選手が、明確に推しとしての像を結んだ。そんな瞬間が4月にあったなと思い出すのです。


勇敢なるキミからの

好きな選手がたくさんいて、肩入れする選手が何人かいたと先に書きましたが、そもそも上野さんが肩入れしている選手だったことには理由がありました。目に留めるきっかけがあったのです。

初めて配信でプロレスの試合を見た、去年の11月のことでした。
その日、ゲスト解説の方が知っている人だったのでプロレスを見た程度にはお気軽でなんの知識も無かった私にとって、プロレスの試合は心揺さぶられるほど楽しいものでした。
そもそもあの日の楽しかったという経験が、今日ここまでを繋げてくれているのだと思います。きっかけはなんであれ、好きな物事に辿り着き、それを好きだと見つけることができた。これってとても幸運で幸福なことだと思います。

それはそれとして、ゲスト解説の方が試合を楽しんでいる様子も、良かったねと言う気持ちでみていたのですが、ふとお話のトーンが変わった場面がありました。その日のセミファイナルです。(下の動画の冒頭二分がそれなので見てくださるとありがたいです)

上野選手に夢を見ている、自分を重ねてしまう瞬間がある。その言葉の重さ。今思うと、それが最初のフックだったのかもしれません。
ゲスト解説の方だって死ぬまで芝居をしたいと言い切り、東京ドームにだって立ったこともある光り輝く方ですが、その方の夢というものがこのリングに立っていて、戦っていると言う。

そこにはどれほどの願いがあったのか、今も私には推し量れることはできません。けれどそれともまた違う夢を見てしまって、見届けようと思う私からは。ただこのとき、ゲスト解説の方があの場で夢を見ていると言葉にしたのは、とてもとても真摯なおこないだったのだなと思っています。


推し活という賭場

私が一番最初に好きになったスポーツがフィギュアスケートだった、ということもあるのでしょうが。
上野さんの佇まいを含めた姿勢の美しさ、そこから繰り出される楽しさから荒々しさ恐ろしさまで引き出せる表現の幅。時々見せてくれる、そのどれでもないふんわりとした様子。
そして自分の言葉を発し続ける勇敢さが好きです。

これは私の偏見でしかないのですが、言葉とは奥深く恐ろしいと思っています。字面だけ同じ言葉でも、その使い手その時々で言葉の色形質感は大きく異なります。昼の言葉など夜には何の意味も成さなくなることなんてざらにあるし、愛と勇気を語られようとも感じられるものがないならば、それは力にはならない言葉となってしまいます。

そして、言葉は自分を鼓舞することに使っても良い、有り様を定義するために使っても良い。言葉を大切にして、味方につけられる人は潮目を変えられると思っています。
世界は言葉で作られている以上、命でさえも言葉の前では有り様でしかなくなるとは新宿を巡る何かの駆け引きで聞いたのですが、ならば自分の舵取りなんてものは尚更で、だからこそ言葉を大切にしようとする人に惹きつけられるというのはあるかもしれません。

なおこれはニュアンスが伝わる方以外は聞き流して欲しいのですが、TheNIGHT(DDTはかつてABEMAで番組を持っていたのです)で素のお喋り聞いたときは北摂のお嬢さんやん!と思いました。丁寧で気立てが良く、人当たりもまろやか。八尾でいらっしゃいましたね。


TheNIGHT終了に伴い、上野さんは言葉にすることを鍛える場としてVoicyのチャンネルを持ち始めました。
私にとってはありがたいことでした。地方在住、たくさんどこにでも足を伸ばせる状況ではない。大阪大会は比較的全国の中でも開かれる方だし、リモートサイン会こそ少しは見ているものの、現場で直接その日の感謝を言える機会はそうはない。
一喜一憂を共にできているか、現地の場数を踏める回数、目を育てる機会は圧倒的に関東の方が大きい状態で、私はプロレスの中にどういう熱量があるのか分からないまま推しているのではないか。そういった不安は常にありました。
だから、上野さんの思考の過程や日常の中にあるものの一つの側面を少しだけ見せてくれる。Voicyがあることはとても嬉しかったのです。

できる範囲でコメントを送りたいと思って、時々Voicyにコメントを送っていました。推している殿方に直接の言葉が届くというのは、一瞬恐ろしさに足がすくみもするのですが、自分の言葉を表に出すことは見える誠意だと思って言葉を探しては練っていました。
上手いかどうか、伝わらなかった場合のこと、それを恐れないようにしようと挑戦していました。そのおかげで良いこともありました。悔しいこともありました。本来これは一方的な善意で、それは少なからず怖さも含んでいる行いだというのは頭にありながら、まるで初めての場所でお友達を得たいと願う時のような繊細さで、今も臨んでいます。このnote書いているのだって大概おっそろしいことだっちゅうんですよ!!!

それにしてもリングの上はハレとケの入り交じる不思議な場所です。
我々にとっては間違いなく非日常なのですが、これが日常である方も間違いなくいるのだと思います。
であれば起きることは何であれ現実の延長線上だし、そこにいるのは現実にいる人間であったり蛇界の方であったりデスワームさんや新たな命であったりするわけです。初めて現地を訪れてプロレスを見たとき、私はこのように感想を残していました。

少し見上げた先にある、ぼおっと白く浮かび上がるリングの上は、薄く霞がかかっているようにも見える。そこは俗域との境目かもしれなかった。

プロレスに祈りを持った日のこと

プロレスの観客は共犯者だとはよく聞いた言葉です。
けれどやっぱり不可侵の域というものはあって。
何か通じたものはあるという気がしながらも、根本的には祈るしかできないのだと肝に銘じて過ごしています。

だからどのようなジャンルであれ、推し活とは賭場にいるようなものであるのだなあと思っているのかもしれません。背筋を伸ばして、真摯に捉えて全力で見極めることぐらいしか我々にはできない。
他のオタク見てる暇があったら推しを見なされというスタンスでオタクをやっているので、尚のことそう思うのかもしれませんが。
賭場では賭けたものの結果をどうこうすることはできませんが、流れはあると信じることも、流れは変えられると信じることもできます。そういう自由さが推し活の良いところですが、結局は自分の捉えよう次第でしかないおこないだとも言えます。


ここで話を私自身のことにずらすのですが、今年は転職をした年でした。
新しい職種。新しい環境。自分のことをゼロから作る挑戦の年。
新しい職場はとてもあたたかく優しい場所だっただけに、逆に戸惑うことばかりでした。自分にあまりにも自信がないのです。見込まれているものがあるから採用されているのに、自分には何もできないと思ってしまって勝手に困ってばかり。相手にも失礼です。

推し活を己の代償行為にしてはならない。推しがいるから自分は救われているのではなく、推しが見ている世界をより良く見たいがために、自分も生活や仕事に真摯でありたいという気持ちが揺らいでいました。
自分のありたいものを言葉にすること。それは私自身も私に向けて問うて語らないといけないよと最近思い至りました。時間はかかりましたが、推し活とはそれを通じて私が私を助けることにも繋がっているのです。


祈りは賭場の花

本当のスタートライン 踏み込んだ勇姿が
暗がりに取り残された あの日の自分を救うよ
リンクする瞬間をイマジネイション
まばたきも忘れるくらい 走り続けよう
光へ

RAY OF LIGHT 歌唱:THE 虎牙道

先述の4月の出来事から、12月の今までDDTの景色は目まぐるしく変わりました。そして端的に上野さんは5月、無差別のベルトに手は届かなかった。

とてもとても自分のことのように悔しくはあったのですが、オタクはこういう日のことを「その日ではなかった」と思うようにしていました。いつかとは言えなくても、もっとベストなタイミングがあったという意味でもあります。そしてとてもとても悔しかったことが、あ、本当に今推してるんだなという実感にもなりました。何事も己の好きの輪郭に触れるおこないは自分を強くします。

それからも上野さんはDDTを背負うと言葉にし続けていました。
DDTを超満員にするとも。

オタクは祈るしかできない。けれど祈ることこそが一番の自由なのだと思います。喜怒哀楽なんでもいい。その濃淡だってどうだっていい。みっともないことを口にするかもしれない。
けれど大切なのは拍手でも声援でも紙テープでも。現地からだろうが配信からだろうが、リングの上という不可侵の域といっとき触れ合えた気がするその瞬間の、何者にも邪魔されないそれぞれの祈りがあること。
オタクではどうにもならないことにだって愚直に流れを変えられると真摯に感情を乗せて打ち込むからこそ、祈りは推し活という賭場で花として、後から思い返せるのだと思います。

時は流れて12月の今、無差別のベルトは樋口さんの手にあります。
上野さんは8月にUNIVERSAL王者となりました。刺激的な防衛戦を繰り広げ、今もベルトはそこにあります。
秋にはリーグ戦を勝ち抜いて覇者となり、再び無差別挑戦への道を切り開きました。29日のメインがその場所です。

12月29日が、上野勇希さんが無差別のベルトを手にするその日でありますように。

いいえ、その日であると信じています。ずっとすっとその先の未来も絶対楽しい景色がそこにあることを今から楽しみにしています。Voicyのコメントにお返ししてくれるのも、サイン会などでいつも丁寧でいてくださるのもありがとうございます。どこが塩やねんと毎回思っています。だからお祝いしたいことをもう一つ増やしたいです。
節目があるたび、オタクが祈らなくて信じなくてどうするのだと思っていつも見ています。ハラハラする時もやったれ!と思う時も楽しく見ています。二冠王者の姿で新年をお迎えできることを祈っています。

次現地に行けるのは年が明けてからになってしまうので、noteから失礼いたします。それではまた🌿

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