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フリースクール活動日記 2024/03/07-深大寺

 この日もいつものように準備をして出発する。多摩駅集合ということなのだが少し欲を出し(電車賃を出し惜しみ)、西武線へと乗り換えることなしにひたすら歩くことを自らに課して1時間と40分ほど。ようやく集合場所に到着した。カッパくんやχαοσらが突撃してくるのを避けることもできずに疲労困憊の極みへと到達していたために一時はどうなるかと途方にくれたものだった。
 いつもであれば、このあとには「そう途方に暮れていたが、幸いなことに危惧したようなことは起こらなかった」とでも書くだろうが、残念ながら今回は本当にその危惧が‘当たってしまった’。
 集合後はまず武蔵野の森公園、掩体壕大沢一号、二号のあたりを通り、野川を目指す。いつもならば調布飛行場の飛行機発着なども見ることができるのだが、あいにくと少し前に飛行機は飛んで行ってしまったためにそれは見ること能わず。
 こんな寒い日だというのに、皆元気はつらつとしておりやつれたような顔をしているのは僕だけ。掩体壕の周りを走り回ったり、展望台に駆け上がったりして遊びだした。

 さすがにそんな体力は所有していないという面子は近くの大沢1号の前で「我こそは大沢零号」、「いやいやわたくしドクロ仮面こそが大沢3号でございます」などと名乗りを上げる。昨年来た時とほとんど変わっていないことに驚いたが(多摩駅を出てしばらく行くとある「毎日毎日豆乳のパックをここに捨てるのはやめてください」との張り紙は1年が経過した今でも変わらずにあった)、そんなことに感動するものなど誰もいない。ポンプで水を汲み出し、掩体壕前で踊る。それに半ば巻き込まれるようにして僕もあちこち駆けずり回る。思えばこのころからすでに下地はできていたのかもしれない。こんなことをしなければ、体力が余っていれば。あんなことは乗り越えられたかもしれないのに……
 しばらく歩き、野川へと出た。ここからマコ姐の指導に従って菜の花を摘むことになる。昨年はまだ勝手がわからなかったため結局使い切ることができなかったが、今年は分量なども調整できるようになったと自負していた。そのため、昨年は狂ったように引き抜いていた大根(根があまりにも小さいことから一部界隈では小根と呼ばれている)にもあまり注意を払わないでいた。ダカラかどうかは知らないが、いつもと勝手が違う。いつもならば川べりに生えている大根を数本引き抜くだけなのだが、今年は川の中洲にある菜の花や岸辺ぎりぎりに生えている土筆をねらっていたためにあのような事態に相成ったのかもしれない。

最後尾からとられた写真。
ずっと前方に見えるのは最前列ではけっしてなく中堅である。
かわらず最後尾

 その前兆というのも確かにあった。龍角散が突然着ているものを脱ぎだし、下に着こんでいた水着をあらわにしたこと。そしてその直後にメンバーの幾人かが岸から岸への飛び移りに失敗したこと。ただ、それぐらいで気を付けることはできなかった。せめて靴下の替えぐらい持ってきておればよかったのだ。そして、そう思ったのは僕だけではないだろう。この日、このフリースクールでは過去最大規模の池(川?)ポチャ者を出した。
 この日、いつものように隊列は細く長く分断されていた。最後尾はemmanmoやマコ姐と歩み、また最前では僕やヨッシー、龍角散などが土筆探しに熱中していた。川の岸辺にあった藪を見たならば誰しもが見つかるはずがないというだろうが、残念なことに僕たちは先年ここで土筆の群生を見つけてしまっていたのだ。とはいっても、10本程度のものだったが。またそれを採ろうと這っていった龍角散があわや顔面から川に転落しかけた珍事も記憶に新しい。
 そんな轍を踏まないべく、5,6度ほど川に転落しそうなことはあったもののそのすべてを踏みこたえて進んでいったとき、上流の方で(僕たちは下流に向かって進んでいた)龍角散がわさびらしきものを拾ったといううわさが流れてきた。それも、川で流れてきたもののようだ。だがトリカブトかもしれないとレイセンに言われて気を悪くしたのか、急にそれを片手にこちらへ走ってくることに、僕よりも前方にいたソースが気が付いた。
 それを避けた僕は中洲へと追いやられたのだが、幸いなことにそれ以上追ってくる様子はない。それに油断したのか、事態は急速に悪化し始めた。
 中洲の端に生えている菜の花を採ろうと近づいたのが運の尽き。若干の傾斜があったことが災いしたのか、それとも僕の体重を支え切れなかったからか。それとも両方だろうか。いきなり足元が滑り、菜の花を通り越して川へと向かって落下し始めた。滑落というには語弊があるかもしれないが、それでもそんな気分だった。後ろに飛んでもいいが、おそらくバランスを崩して頭を打ち付けるか川に落ちる。ならばと思い前方に見えていた陸地めがけて跳躍した。跳んだ起点は左足だったから、右足から着地したことになる。バランスも崩さなかった僕は成功を確信し、直後に絶望を迎え入れた。陸地だと思っていたところは藁の重なった所謂「浮き草」だったのだ。脚が水に沈むことは必至と思われた。だが、そう簡単にあきらめることはできない。第一僕は替えの靴下もビニール袋も持ち歩いていないのだ。靴は防水性とはいえすでに水が靴紐の穴から流入してきているし、このまま沈めば靴を通り越してふくらはぎまでもが水にやられてしまうかもしれない。落ちてしまったものは仕方がないが、被害は少しでも減らさなければ。
 火事場の馬鹿力というやつか。とっさにそう考えた僕は足が沈み切る前にさらに力を入れて跳躍し……
 見事、浮き草に左足も載せることになる。当初の目論見は潰え、いくら危機的状況にあるとはいっても本当の意味での馬鹿力は一向に出てこない。なんとか次の一跳びで本物の陸地に取り付くことができたものの、そこはちょっとした崖のようになっているため、取り付いたとはいっても這い上がるのに時間を要した。

なんたること…

 改めて白日の下確認してみれば、せっかくの判断も水の泡。両足ともに水を滴らせ、靴・靴下は全て水浸し。幸いズボンには被害がなかったが、それは珍しく乾きやすいものを着用していたからだ。
 水にぬれた靴を、履いていくわけにはいかない。それは経験則だ。龍角散に氷の張った池に突き落とされた(当人は事故だと弁明している。確かに作為的ではなかったかもしれないが、偶発的な部分はよくて5割。それ以外の部分は大なり小なりすべて彼が原因を担っている)あの苦い記憶を忘れたことは一度もない。そのときは結局、靴が乾かなかった。せめて少しでも早くに乾くといいなと思い、靴も靴下もすべて脱いだ。これが、なかなか寒い。特に前回とは違って日が出ていないのが一番つらいところだ。前回は1月、今回は3月とは言えども日光の有無は非常に重要だ。
 だが、それと同じくつらいこともいくつもある。たとえば地面。草の上を重点的に踏んで歩いているのだが、たまに石を踏みつけることがあり、そうなるととても痛い。たまに出会うコンクリートの場所だけは日光が浸透しているのかほのかに暖かかった。
 その後もしばらく歩き、昼食の位置に辿り着いた。ここでいざ食事をとろうとするのだが、手足が震えてなかなかうまくいかない。他にもトッキー、キートン、ことりんごやシャコが落ちている(中学生は僕だけ……)のだが彼らは軽傷だったものが大量に靴下を買ってきて、それを皆で共有するという荒業で乗り越えている。が……そんな小さな靴下に、僕の足が入るわけがない。しかしこの寒さはどうにかしなければと思案していた僕の目の前で、新たにヨッシーが落ちた。それを見て、ひらめくものが。一昨年12月。水上アスレチックに行った際にある事件が起きた。ハラッパラッパが背中から全身水に転落し、下半身を水没させ挙句の果てに泥だらけの道に転落したメンバーまでも現れたのだ。そのとき、靴下の予備を忘れたハラッパラッパがとった行動からヒントをもらい、ある奇策に打って出た。
 当フリースクールでの通称「カッパ作戦」だ。手袋をまず外し、それを履いて即席の靴下となす。正直言って金具が足元に来て痛いし踵より後ろは覆えなくて寒いけれど、それでも最初よりかはましだ。そんなことよりも、もうここにいるのはやめよう。僕が足袋(たびあしぶくろ)を履いた間に、既にヨッシーが落ちてカッパくんが飛び込む事態となっていたのだ。このままでは全員が転落する。そういう未来になる。なってしまう。
 emmanmoから貰ったビニールを足に巻き動き出す。どれだけあがいても、靴が乾くことはなかった。靴下を買いに行けばよかったかもしれない。が、今回の目的の一つは蕎麦を買うこと。蕎麦を買い終わったときにはもはや、200円ばかししか残っていなかった。それを鑑がみればこの選択もあるいは正しかったのかもしれない。そんなことをつらつら考え家路についた。
 以下、水に落ちた者たちの勇姿

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