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なんでも、うまくやる

「ほら! 完璧!」

麻衣はミシンの糸切りボタンを押してから、子供用の手提げを、両手で目の前に突き出した。この出来なら、商品として売り出しても恥ずかしくないレベルだ。生地は無地で麻のナチュラル系から、鬼滅の市松模様まで幅広く取り揃えてある。大きすぎず小さすぎず、小学生の子供が、腕にぶら下げて歩くには丁度いい。麻衣が、子供用手提げのハンドメイドをやり始めたのは、長女が小学校に入学した時からだ。

離島生まれの麻衣は、小さい頃から勉強が得意で、将来は医者か弁護士かと、先生、家族、親戚、隣近所の期待を一身に受けて育った。麻衣自身も「選ばれた人間が歩む道」のチケットを持ち合わせているつもりでいた。

高校は県で一番の進学校に進んだ。毎日橋を越えて通学する学校で、麻衣は上位クラスに入れなかった。島での一番は、一歩外に出れば中の上くらいなものだった。握っていたプラチナチケットが葉っぱだと気がつくまで、そう時間は掛からなかった。

東京の大学を出て、薬剤師になった。薬剤師の資格を取るまでも、麻衣は苦労をした。必死に勉強しなければ取れる資格ではなかった。だが、島の人間たちはそっぽを向いた。医者にはなれなかったのだと、麻衣を担ぎ上げていた手を途端に離した。勝手に期待しておいて、「駄目なら人間としての価値が無い」と、丸めてゴミ箱に放り込む。「お前たちの娘と息子は薬剤師にさえなれないだろう!」と、麻衣は胸の内で、大人だった奴らを糾弾した。出来の悪い同級生や妹のほうが、ゴミ箱にぶちこまれず、大事にされているのはなぜだ。両親も世間に申し訳なさそうな顔をした。麻衣を守ってはくれなかった。麻衣は東京の総合病院に就職して、島には寄り付かなくなった。結婚式も東京で挙げた。最低限の家族以外、島の人間を式に招かなかった。

働いてからの評価は上々で、仕事をきっちりこなす人、として病院内で頼りにされた。子供時代の栄光再び、だ。病院で10年ほど働き、不妊治療の末に子供を得て、続けて次女にも恵まれた。子育てで精一杯になり仕事を辞めることにした。未練はなかった。私なら、また再起できる。麻衣はそう信じ切っている。

ママ友作りに成功して、趣味で始めた手提げ作りが評判を呼び、何人ものママ友にプレゼントした。それがきっかけで、ネット販売や地域のイベント販売の常連にもなった。だが、麻衣一家が家を求めた団地は、子供たちが成長するにつれ、小学校に入学する児童数は減り続け、手提げの需要は目に見えて落ちていった。

目の前の手提げはネット販売用だ。こんなに上手く出来るのに、買ってくれる人は、未定だ。麻衣の気持ちは沈む。

手提げ作りを始めてから通い出した整体院の自動ドアを潜る。

「こんにちは麻衣さん」

麻衣を担当しているのは、ここの院長で、麻衣と同じ40代。細身で、イケメン。夫よりも、子供たちよりも、しばらく会っていない両親よりも、今の麻衣を知っている人。

「麻衣さん、今度お食事とか行きません?」

お互い、妻、夫、子供がいるのに、院長は軽く麻衣を誘って来る。

「そうだね、いいよ」

麻衣はちやほやされるのが好きだ。

そして、思う。

私なら、なんでもうまくやる。と。


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