短編小説「25時のヒーロー」(読了時間12分)
一日が二25時間あると気付いたのは、小学3年の大晦日だ。
それまでにも新年を起きたまま迎えようと挑戦した事はあったが、実際に成功したのは、その時が初めてだった。
減って行くカウントダウン。3、2、1。
で、時が止まった。
「新年明けましておめでとうございますっ」
ついに起きたまま新年を迎えられた! って事で、興奮気味にそう言った僕に、返事は無かった。お父さんもお母さんもお姉ちゃんも止まっていた。テレビも止まっていた。出演していたアイドルは、マヌケな顔のまま静止していた。
僕以外は皆、一日24時間。僕だけが25時間あるのだ。その差の分、僕は24時から1時間、皆が止まっている時間の中を生きる。
24時を時計が指して、僕は家を抜け出した。中学生になった今は、もう24時まで起きている事の方が多い。毎日、この止まった時間を経験する。
外に出てみると、雪が積もっていた。でも、寒さは特に感じない。24時から25時までは、気温も営業時間外のようだ。
僕は雪道を走って、駅の方へ向かった。雪が降ってなくてよかった、と思った。雪が降っている日は、空中で止まった雪が邪魔でしょうがないから。
「ミキオくん、早いね」
駅に着くと、平田さんがニコニコしながら待っていた。いつもはジャージなのに、今日はワイシャツ姿だ。
「いやぁ、残業が終わってないんだよ。部長の親戚に不幸があったらしくてね、早退しちゃって。仕事が終わらない終わらない」
僕も宿題が残ってます、と言うと、やはり平田さんはニコニコと笑った。禿げ上がった頭とメガネが特徴的な優しそうな顔が、ヒョロっとした体の上に付いている。スーツを着ても貫禄は全くない。
「アキラさんはまだ来てないんですか?」
「ああ、アキラくんは、今日は休みだって」
何でも、彼女が部屋に来てるんだって、とニコニコ。時間が止まってるんだから彼女は関係ないと思うけど、平田さんの笑顔が消える事は無い。ちなみにアキラさんは大学生だ。
僕と、平田さんと、アキラさん。この町内では、僕ら三人だけが一日に25時間の時間を持っている。最初に平田さんと会った時はびっくりしたが、平田さんによると、一日が25時間な人はそれほど少数でもないらしい。宝くじが当たった人の数よりは多いよ、だとか。
平田さんは、他にも色々と教えてくれた。その中でも重要だったのは、24時から25時までの間には『敵』が出現すると言う事だ。
『敵』は、皆が止まっているのをいい事に、やりたい放題だ。多くはミステリーサークルを作ったり、部屋の物を勝手に隠したりする悪戯程度の物だが、中には人をさらっていくような場合もある。神隠しとか、大抵の超常現象ってやつは、『敵』によるものだ。
だから止まった時間の中を動ける平田さんは、奴らから皆を守る事にした。
毎日24時になったら、すでに知り合いだったアキラさんと駅に集合して、辺りをパトロールするのが日課だと言っていた。アキラさんは休みがちだと言う事もあって、その日以来、僕もパトロールに参加する事にしたのだ。
「じゃあ、今日も二人ですね」
「うん、まあ大丈夫。行きましょうか」
僕らは世間話とか、もうすぐある学年末テストの話なんかをしながら、雪道を歩いた。駅前の大通りはまだまだ車がたくさんあったが、全て止まっているので、間をすり抜けて歩くのは簡単だった。
この止まった時間の中で起こる事はどこにも記録されないし、ほとんどの人に記憶されない。それが少し面白いな、と思った。
「お、ミキオくん、あれ見てごらん」
しばらく歩いた後、平田さんがビルの一角を指差した。小さな、茶色い物体が動いている。発見。
全てが止まっている中なので、『敵』は実に見つけやすい。僕らは数匹で行進している『敵』の後ろをついて行った。
『敵』はポメラニアンが直立二足歩行をしているような姿をしていて、どちらかと言うとかわいい。僕らが真後ろを歩いていても、気にする事も無く、無邪気に行進を続けている。
こいつらが何者だとか、どこから来たのかとか、何をしたいのか、なんて事は全く分からない。25時を過ぎると消えてしまうし、それまでの間に調べるような人も居ないからだ。
「平田さん、やっぱり今捕まえた方がいいんじゃないんですか?」
今までにも何回も言った意見だが、一応繰り返してみる。
「いやいや、やっぱり何か悪い事をしない限りは、そっとしておいた方がいいよ。かわいそうだからね」
「でも、結局毎回なんかやりますよ、こいつら」
「今回は違うかも知れないじゃないか」
平田さんは、疑う事を知らない子供のような顔で笑う。きっと、いい人ばかりの中で生きてきたんだろうな、とすら思う。中学生の僕でも、もう少し他人を疑う事を知っているのに。
『敵』達は、雪の上をちょこちょこと行進し続ける。僕らはその後をのんびり歩く。何も知らない人が見たら、散歩にしか見えないだろう。
やがて『敵』達は、雑居ビルに入っていった。
「ありゃ、これは会社の近くだなぁ。帰りが近くて嬉しいね」
平田さんが笑う。
僕らが中に入ると、『敵』達はエレベーターのボタンを押そうとしていた。だが、どうも身長が足りないようで、ぴょんぴょんと飛跳ねているだけだ。
平田さんが代わりにボタンを押すと、『敵』達は一斉に振り向いて、お辞儀をした。ちくしょう、かわいい奴らめ。
エレベーターは五階で止まって、『敵』達はぞろぞろと降りていった。それに続いて僕も降りようとしたら、平田さんに制止された。
「行く前に言っておくけど、こんなとこ、普段は来ちゃダメだよ。まあ、キャバクラってとこなんだけど、来るなら大人になってからにしなさい」
会社の近くと言うだけあって、平田さんも付き合いで何回か来た事があるらしい。僕は分かりましたと素直に答えて、エレベーターを降りた。
キャバクラのドアを開けると、甘い匂いが漂っていた。気温は感じないのに、匂いはちゃんとある。そこらへんの境目がどうなっているのかは、よく分からない。そう言えば、エレベーターは動いたし。
「あ、奴ら勝手にお酒を飲んでますよ。まあ悪戯みたいなもんですけど、さっさと止めましょう」
僕は店の奥でテーブルの上の高そうなお酒をストローで飲んでいる『敵』を指差したが、平田さんからの返事は無かった。振り返ってみると、平田さんの顔から笑いが消えていた。
「部長……」
平田さんの視線は、左側のテーブルで下品に笑っている男に注がれていた。その手は隣にいる女性の腰に回されている。年齢は平田さんより若いが、上司なのだろう。
そしてさっき言っていた、早退した部長って言うのは、あの男の事なのだろう。親戚に不幸があった、と言う様子ではないが。
しばらく平田さんはそちらを眺めていたが、やがて『敵』の方を向いて、苦笑いを浮かべた。
「すいませんね、ミキオくん。さあ、止めましょうか」
正直なところ『敵』はすごく弱い。僕は空手を習っているが、別に強くは無い。でもそんな僕が軽く頭を殴るだけで、簡単に目を回してしまう。あまりにも弱いので、ついこちらが悪者のような気までしてくる。
平田さんも、趣味だと言う太極拳を、少し早送りにしたような動きで、ぽこぽこと『敵』を倒していく。
『敵』は僕らの攻撃を避けながらも、お酒にストローを突っ込んで飲もうとしていた。だが、反撃のそぶりはない。ほんの数分で八匹の『敵』が全て、床で目を回す事になった。
「相変わらずだけど、この子達は何がしたいんだかね」
平田さんが、テーブルにぶつけた足を擦りながら呟いた。でもまあ、答えなんて出ないことだろう。些細な事とは言え、悪い事をしているから、僕らは止める。それだけの事だ。
「まあ、いいじゃないですか。それよりもう戻りますか? 平田さん、残業があるんでしょ?」
うん、そうだなぁ、と平田さんは答えた。僕も宿題がある。時間は二十四時半を回ったところだったが、25時ちょうどには戻ってないといけない。他の人からは突然消えたように見えるからだ。余裕があるに越した事は無かった。
こうして今日もいつも通り、25時のパトロールが終わる、はずだった。
戻ろうとすると、エレベーターが動いていた。
確かに操作すると動くようだったが、誰かが触っていない以上、動くはずはないのだ。当然、僕らは操作していない。この時間に、僕ら以外で動いている者。『敵』しか考えられない。
「敵……ですかね、やっぱり」
「アキラくんかも知れないよ」
平田さんはそう言ったが、本気で言っていない事は表情でわかった。
「普段、一組しか『敵』は出ないですよね。なのに、なんで」
「いや、前に一度あったよ、二組目の『敵』が出てきた事」
その言葉で、僕も思い出した。そうだ、一回だけ、あった。でもそれって。やばい。やばいじゃないか。
エレベーターが開いて、中から二匹の『敵』が現れた。
大きさはさっきのポメラニアンっぽいのと変わらない。でもパンダっぽい白黒の体だ。かわいいと言えばかわいいが、こいつ、実は強い。
別に怪物的な強さではないが、空手で言うと、県大会でベスト8に入るぐらい、だろうか。それはつまり、僕と平田さんでは到底敵わないということだ。
前にこいつらが現れた時は一匹だったし、アキラさんがなんとか倒してくれた。もとヤンキーだと言うアキラさんは、かなり強い。だが、アキラさんは今ここには居ない。
「ど、どうしますか?」
僕らを気にも止めず店の中に入って行く『敵』達を見ながら、平田さんに尋ねた。でも平田さんは何も答えない。
パンダっぽい『敵』達は、店の真ん中に立って、その場でクルクルと回り始めた。幼稚園児がダンスを踊っているような光景にも、獣が獲物を探しているようにも見える。
やがて、片方が止まった。続けて、もう片方も止まった。二匹の『敵』が、一つの方向を向いた。
間違い無く『敵』達は、部長を見ていた。平田さんの上司の、部長。下品な顔のまま止まっている、あの男。
小走りに近付いた『敵』は、軽々と男を持ち上げた。男は腰に手を回した格好のまま、こちらの方に運ばれてくる。こちら、つまり出口の方へ。
ると、平田さんが両手を広げて、出口を塞ぐように立ちふさがった。
「平田さん、やめましょうよ! 僕らじゃあいつらを倒せません! こちらが邪魔をしたら、あいつらは攻撃を仕掛けてきますよ!」
前もそうだった。
「それに、あの男って、平田さんの上司でしょ! 嘘ついて早退した奴でしょ!平田さん達が残業しているのに、こんなとこで遊んでいたんじゃないですか!」
「そんな事は関係ないよ。いや、自分でも何でこんな事してるか分からないんだけどね」
平田さんはそう言って、太極拳の構えを取った。パンダがまるで僕らなど見えていないように、近付いてくる。3m、2m、1m。
「ハァ!」
平田さんが掌底を真直ぐ突き出す。しかしパンダは当り前のように飛び上がり、それを避け、しかも二匹同時に平田さんの顔に蹴りを入れた。部長の男を持ち上げたままだ。やばい、前回思ったよりも強いかも知れない。
その場に倒れこんだ平田さんに、上から二匹が襲いかかった。僕が助けようとすると、片方が平田さんから離れて、僕の方に攻撃を仕掛けてくる。必死で防ごうとするが、何せ連打が早い。僕も倒されて、上から攻撃された。
絶対絶命。平田さんのメガネが割れるのが見えた。僕も打つ手無し。一発一発の重さは無いが、このまま連打を続けられれば、本当にヤバイ。25時までにまだ20分以上ある。そう思って、絶望しかけた時だ。突然、僕を蹴り続けていた『敵』が、横に吹っ飛んだ。
「おいおい、大丈夫かよ、ミキオ」
アキラさんだった。隣を見ると、平田さんの上に乗っていた『敵』も蹴り飛ばされたようで、だいぶ向こうの方で倒れていた。
「アキラさん、どうして……」
「あ? いや、彼女とケンカしてよ。どっか行っちまったから、止まってる間に捜そうとしてたんだよ。そしたらこいつ等が居るもんだから、後を追ってきた、ってわけ」
僕は家を飛び出したアキラさんの彼女に感謝した。
「ミキオ、平田サン。下がってろ。あいつらまだ来るぜ」
アキラさんがそう言って、僕を襲っていた方の『敵』へ走った。ぴょこん、と飛び起きた『敵』も、アキラさんの拳を避けようとする。
さっきの蹴りが効いているのもあったのか、勝負はアキラさんが優勢だった。手数は変わらないが、きちんと強い打撃を与えている。
もうすぐ倒せると思った。でもその時。
「アキラさん! 後ろ!」
僕は叫ぶ。だが、遅かった。後ろから、平田さんを襲っていた方の『敵』が、アキラさんを羽交い絞めにしてしまった。形勢は、一気に逆転。蜘蛛の巣に絡みつかれたように動けないアキラさんに、何発も『敵』の足が打ち込まれた。
どうしよう、と思考が始まる直前。僕が躊躇するより早く、平田さんが走った。速かった。いや、動きそのものは定年間近の年齢を感じさせるものだった。でも、意思の強さ、判断の、覚悟の早さ。素晴らしいスピードで、平田さんが走った。
「ハァア!」
平田さんが打ち込んだ掌底は、『敵』を倒すほどの威力は無かった。でも、その一撃で、アキラさんへの羽交い絞めが一瞬解けた。アキラさんは、それを見逃さない。全く警戒していなかった前方の『敵』に、鉄拳が振り下ろされる。その勢いで振り払われたもう一匹には、サッカーボールキック。
『敵』は二匹とも、目を回して床に倒れた。
「やっぱり見つけた『敵』は、何かある前に倒しましょうよ。それに、パンダっぽいのが出た時の為に、罠とかも用意しといた方が」
エレベーターの中で、僕は平田さんに提案した。いつもより強く。でも平田さんの反応はいつも通りだ。
「最初から、彼らが何かするって決め付けて行動するのは良くないよ」
そう言って、ニコニコ笑うのだ。
「ミキオ、平田サンにその話したって無駄だって。俺が何回言っても聞かねーもん」
アキラさんは、すでに諦めているらしい。
「まあ、今回みたいな事もあるけど……毎回そうとは限らないさ」
平田さんはやはり、疑う事を知らない子供のような顔を見せた。
ポメラニアンっぽい『敵』は悪戯をしたし、パンダっぽいのにはボコボコにされた。そして上司は嘘をついて早退して遊んでいた。
それでも全てを信じるような顔をする平田さんは、正しいのかどうか分からない。バカ正直と言われるだろうし、また騙されたりするかも知れない。でも、見ていてなにか心地よい気分になれた。
「さあ、急いで戻ろう。もうすぐ二十五時だ。みんな動き出すよ」
平田さんがそう言って、僕らは帰路についた。
家に着き、机に向かった時、時計を見ると24時を少し回っていた。でも、僕らにとっては24時ではない。
25時。もう、全ての人々が動き出した時間。止まった時間の中で、この町の何人かを救ったちょっとだけヒーローな僕らは、宿題の続きをしたり、ケンカした彼女を捜したり、残業をしていたりしている。
(了)
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