ショートショート「そんな夢の話」(読了時間3分)
ヒロくんはベッドから飛び起きた。怖い夢を見たのだ。どんな夢かは忘れてしまったが、とても怖い夢だった。
怖い夢はこの頃、毎晩のようにヒロくんの所へやってくる。ヒロくんはまだ小さいけど、なんとなく分かっていた。なんでこんなに怖い夢ばかり見るのか。
それはある夜のこと、居間の方からママとパパの怒鳴り声が聞こえてきて、ヒロくんは目を覚ました。そっと見てみると、ママが泣き叫びながらパパを叩いていた。
ママは、ヒロくんがおねしょをした時でもあんな顔はしない。ヒロくんは怖くなってベッドに戻り、頭から布団を被った。
それからすぐに、怒鳴り声は突然聞こえなくなった。ヒロくんはママとパパが仲直りしたんだと思って安心したけれど、次の朝、ママの顔は赤黒く腫れていた。
その日の夜からだ。怖い夢がやってくるようになったのは。きっと、ママとパパがケンカしているから、こんな怖い夢がやってくるのだ。
でも大丈夫。どれだけ怖い夢も、朝になれば消えている。ママとパパも、きっとすぐに仲直りしてくれる。そうすれば幸せな夢だって見られるはずだ。
そう思って少し落ち着いたヒロくんは、朝ごはんを食べるために居間に歩いていった。
「ママー、朝ごはん……」
居間のドアを開けたヒロくんは、そこで固まってしまった。
「あら、ヒロ。もうこんな時間なのね、朝ごはん作らなくちゃね……」
ママはそう言ったけど、ヒロくんの耳には届かなかった。ヒロくんの感覚器官の中で、今、働いているのは目だけだった。血まみれで倒れているパパと、赤い包丁を持っているママを映している、その目だけ。
「どうしたの、ヒロ。すぐ朝ごはんを作るわ。目玉焼きでいいかしら?」
ママはそう言いながら、ヒロくんに近付いてくる。手には包丁を持ったままだ。ヒロくんは、倒れているパパとママを交互に見比べた。
「そうね……ヒロ。ママね、パパを殺しちゃったの」
ポトリ、ポトリ。血が滴る。
「パパが悪いのよ? でもパパを殺してしまったら、ママも生きていけないわ。ヒロ……一緒に死にましょう?」
ヒロくんは、居間から飛び出した。小さな足を思い切り動かして廊下を走る。ママは、その後ろをゆっくり歩いて近付いてきた。新築の家は、普段ならヒロくんが思い切り走らないと足音なんて立たないのに、ママが歩くたびに床が軋む音が聞こえた。
ヒロくんは、なんとか追いつかれずにドアにたどり着いた。振り返ると、ママが優しい笑顔を浮かべたまま、すぐ近くまでやってきていた。ノブを回して、思いっきりドアを押す。
ガシャン!
しまった。鍵は開いていたけど、チェーンが掛かっている。ヒロくんは小さいからチェーンに手が届かない。でも逆に、いくらヒロくんが小さくてもその狭い隙間からは出られない。
そうこうしている間に、ママは後ろからヒロくんの体を左手で掴んだ。笑顔を浮かべてヒロくんの方を向いているけど、その目はただ黒いだけ。どこか違う世界を映しているみたいだった。
ママは包丁を振り下ろして、ヒロくんの首を刺した。何度も刺した。
視界が真っ赤になった。何もかも赤く染められて、どこか遠くの方へ消えていくようだった。
沈んでいく意識の中で、ヒロくんは、ママが自分自身の首も包丁で突き刺したのを見た。それを最後に、ヒロくんはその小さな二つの目を閉じた。
……そこで、ヒロくんはベッドから飛び起きる。
居間に行くと、パパが新聞を読みながら笑っている。ママも朝ごはんを作りながら笑っている。
「あら、ヒロ。朝ごはん、目玉焼きでいい?」
やっぱり、怖いのは夢の中だけだ。朝になれば消えている。そう思ったヒロくんも安心して、ニッコリと笑う。
目を閉じてから命が尽きるまでの、ほんの少しだけの時間。ヒロくんは、そんな幸せな夢を見て、死んだ。
(了)
あとがき: 「夢オチ」を真剣に考えた結果、こんなことになりました。
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