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音楽と孤独と人間不信

どうもあめりぃです。普段はボカロPやってます。
今回は自分語りになってしまうんですが、自分の体験してきた「孤独」について話していきたいと思っています。

僕が孤独を感じた場面って約22年生きてきていっぱいあったのですけれども折角なので音楽と結びつけていきます。


僕は大学に入学してすぐ大学の軽音部に入りました。そこでバンドを組んで、いつしか「オリジナルバンドとして活躍したい」と思うようになりました。
そしてバンドを組んですぐに曲を創り、結成から3ヶ月にして自身初のオリジナル曲をそのバンドで完成させました。しかもその曲はライブハウスで大盛況。僕の数少ない成功でした。

しかし、それもつかの間。僕のバンドは方向性のブレによって周りからどんどん置いていかれ、恐らく周囲のバンドマンからの評価も微妙でした。自分は元々70’s〜90’sの音楽が好きなものだったのでしたから、大学生で同じ趣味をしてる人なんている訳もなく会話にもついていけませんでした。

しかも大学の軽音部も軽音部で僕の思う音楽の場ではありませんでした。部室ではみんな話をしたりゲームばかり。その割にみんな馬鹿みたいにバンドを組んでライブが近付けばキャパがオーバーする程曲をコピーする。それが繰り返されるような部活だったのです。

私はどうもそこでライブハウスの事も軽音部の事も好きになれませんでした。でも一番真面目に練習してるのは自分で、将来部長になるのも自分だろうといった状況。僕は嫌いなものに全力で取り組む事に全力を尽くしました。そして結果、部長になるのです。

そんな状況でもオリジナルバンドはやりたかったので軽音部はやめなかったし、ライブハウスでライブをするのもやめませんでした。ただ、この辺りで気付いた事があったんです。

音楽的にも人間的にも理解者がいない。

軽音部でいうと周りはその軽音部の構造に慣れてしまって「これが普通」というような雰囲気でした。ライブハウスでも相変わらず音楽仲間を見つけられず、実力不足も相まって伸び悩んでいました。




また、リーダーになった立場を支えてくれる人がいるとは言え、僕はリーダーなんて向いてないしやりたくなかった。人前に立つだけでも緊張するような人間が部長をやってバンドリーダーもこなしていたので、もう躁鬱状態でした。だから周りからは「面白くて変なやつ」と思われていたでしょう。躁鬱っぽくなったのは「弱さを見せてはいけない」という自分の強がりだったんだと今では思います。

その後結局バンドは解散。軽音部は部長を最後までやり遂げましたが、とてもライブに出ようとは思えませんでした。

皮肉なことにバンドをやりたくて入った軽音部でバンドをする事が嫌いになってしまったのです。ここから僕の人間不信が始まります。

僕はその後、なんとかバンドを続けて約三年間バンドリーダーを続けました。しかし、バンドはどうもみんなから情熱的なやる気を感じられず…当時の僕は優しすぎて怒ることが出来ませんでした。その結果、甘やかしてしまった。、

そして当然納得のいくクオリティにならず、僕は自分の音楽の力に限界を感じてバンドを解散させます。その後の部活での人間関係もどこか僕は愛想笑いで済ませてしまっていて、気を抜いて人と話す事がありませんでした。もう完全な人間不信で本心を出すのが馬鹿馬鹿しく感じてしまったんです。そこから約3ヶ月後、今はボカロPになって一人だけで音楽制作をしています。

なんとも悲しい出来事ですが、これが僕の人格を形成する大きな要因となりました。ここまで精神を病んだ事ってあまりなかったみたいで精神の疲れが肉体に出ることもありました。その中でも一番重かったのを例に挙げると一度失明した事でしょうかね。これはどうでもいいんですが。


過去の僕から学べる反省点は、まず優しすぎた事でしょう。なんでも聞き入れてしまったが故になんでも引き受けて、一人で戦ってしまった。しかも相談も最低限だけで精神的にやばくなっている事をなるべく隠していました。

それから何より人に恵まれなかったのは事実でした。正直同じぐらい本気で音楽をしようと思う人が目の前に現れなかったのが真実です。しかも自分は他人に興味なんていちいち持てない人でしたので尚更そういう人が見つけられなかったですね。

以上が僕の人間不信になったきっかけでした。あまり他人にマイナスや自慢話とかってしないようにしているんですが、ここで書かせてください。

僕はこの経験を経て一切人を信用しなくなりました。ズカズカと人の事情に入ってくる人を嫌うようになりましたし、馴れ馴れしい人はまず嫌いになります。人と音楽をやる可能性さえ今は信じていません。頑張っても理解されなかったので。

僕の今の生き方は好きに生きる事です。僕はこれまで好きではない流行りの音楽も勉強の為だけに聴いていました。すると不思議なもので嫌いではないのに嫌な気持ちになっていくんですよね。余裕がなくなるというか。


逆にバンドをやってた時はとにかく周りの話についていくのが精一杯でした。僕はさっきも言った通り70’s〜90’sが好きで、僕が聴いてるものって大抵誰もが一度は耳にした事のあるものばかりです。だからそれを好きと言っても深い話にならないし、寧ろミーハーに思われるのではないかと感じていました。

でもやっぱり自分に嘘はつけないようで、今は好きなものばかり聴いています。正直今のボカロの曲達の人気の理由が全くわからないものもあります。創り手としてどうなのって話なんですがもうそんな精神的余裕ないし、自分はそこまで優しくなれませんでした。

僕の経験で1番学ぶべきはもう一度言いますが好きに生きるということ。もし昔の僕と同じ状況の人がいたら、周りを気にせず自分が好きなものだけに没頭してみてください。変な優しさも疲れも消えます。
少なくとも僕はそうしないと生きていけませんでした。今でも人間不信は治らなくて、Twitterなども基本味方がいると思っていません。そんなものです。

もし孤独を感じたら周りとの相互関係なんて捨てて自由を得る事に集中しましょう。あなたはあなたです。たまには好き勝手言ってやりましょう。物に当たる日があってもいいんです。
とにかく頑張るのを辞めてみましょう。それで体を壊したら元も子もないです。もしその状態が続くなら環境を変えるのも手です。仕事とか学校から遠慮なく離れましょう。


「もっと辛い人はいる」とか「甘え」なんて言う馬鹿の言葉なんて聞かないでください。確かに辛い状況を耐えれば精神が強くなれるのは私が実感しています。でも人間全員がそうなれる訳ありません。

これを読んでいるあなたにとっては今が限界の可能性が高いです。あなたがおかしいのでなく、人は全員同じだと考える奴がおかしいのです。そういう人の言葉は無視してしまいましょう。


僕のような辛い立場の人々にとって人生の参考になりますように。
もうちょい気楽に生きましょう。何とかなりますよ。

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