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ココロが元気になってきたら・・

ココロが元気になってきたら
ちゃんと判断が出来るようになってきた。

去年の今頃は闇の中にいたような気もするし
少しずつ元気になったけれども
道のりとしては長かった。

でもそのたびに色んな人に励まされて
応援してもらって、どうにか
ここまでやってきた。
ずどーんと雷に当たってしまってココロが
真っ暗こげの状態でも普通にしてくれる
のがありがたい。


あー私の周りの人はみんな素敵な良い人ばかりだ。

わたしのちょっと苦手な母でさえ、わたしの夕飯いちご5粒の日から
毎日食卓にイチゴが並んでた。
そんでもってわたしは
「やはり昨日のイチゴより高い方が美味しい」
とか言う(笑
うっかり全部食べると怒られたりもした。

ココロが元気になると、ちゃんと判断がついてきた。
やなことは、我慢しないで
「そういうのはいや」って言えるし
良いことは、犬をくしゃくしゃになでるかのように
「よしよし!いいぞ!」と言える。

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人の思考は、聞いてインプットして答えを出す
だけなのに、なぜか答えを出す過程で自分や
相手に嘘をついてしまうのだ。

嫌われたくないとか面倒だと思われたくないとかだ。
優秀だと思われたいし、空気の読めない奴だと
思われたくない。
で、その結果なにか失うのが怖いのだ。
仕事→お金
友達、パートナー→愛
世間体→プライド
だったりする。

豊かさを含め安心感を失いたくないのだ。

で、わたしは去年ごっそり津波のような感情に
すべて持って行かれた。

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結局、答えは「まぢなんもねー(-_-;)」と
思った。

しかしだ。
しかしなんだが、不幸ではなかった。

すごい発見だと思う。
なんでだろ。

人ってなんもないとこに放り出させると
あとは受け入れるしかない。

不幸だと感じるのがココロのパルスのような
電気信号だとしたならば・・
ちくっとするのは痛みであって
感情そのものではない。

不幸って総体的なものかもしれない。

だから、幸せってのバイブレーションだとも思える。
不幸はバイブレーションになれない。(私の感情の中ではね。)

うつの時は辛かったけど、不幸では無かった。うん。
仕事が辛くて、イチゴが5粒の夕飯の時でさえも
不幸では無かった。
イチゴは甘くておいしかったから。

母が狂ったように毎日イチゴを食卓に乗せていたから。
これも親心ってやつだって思った

不幸じゃないひとつの理由として
それはやはり私の周りの良心的な人達とのかかわりもある。

病めるも健やかなるときも。
沢山の愛をありがとう(笑

LOVE YOU!



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