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窓を開けてお風呂に入った話

お風呂につかって、外の景色を見るのが好きだ。建物に挟まれて、すこしだけしか見えない空にも、その時間、そのお天気、その季節ならではの、独自の色がある。そして多くの場合、その色にはそのときの気分が混ざり込んでいる。

世界、窓、自分。お風呂に入るときはだいたい裸なので、ぼんやりと外を見ていると、世界と自分が同じぐらいの重さであるような気がする。または、世界の示す圧倒的な景色にやられて、自分のほうが一新されてしまう。

桜と紅葉の谷間の露天風呂。真夏の海水浴場の、海の家で浴びる生ぬるいシャワー。トタン屋根と御簾の間から差し込む甘い光は、季節というものの本質を否応なく見せつけ、こちらの気分を塗り替えてゆく。

浴室から外を見ることは、何かいい。そのことは、前からなんとなく知っていた。でも自宅で窓を開けたまま入浴するには、ちょっとした問題があった。そう、外が見えるということは、中も見えてしまうのだ。

すこし古めの一軒家に住んでいたときのことだ。その家の浴室には小窓があり、曇り硝子のそれを開けば、外が見えるようになっていた。窓の外側には防犯のための格子があり、わずかな裏庭と桜桃の植え込みがある。そしてその先は、人通りの少ない道に面していた。住み始めたときに確認したのだが、窓を開けると、シャワーの位置から木の梢ごしに、道が見える。これは、たいへん危険な状態だ。うっかり窓を開けたままシャワーを浴びてしまって、もし通行人と目があってしまったら、間違いなく通報されてしまう。自宅にいながらにして犯罪者。それはぜったいに嫌だ。

ということで、その家に引っ越して以来、入浴中に窓を開けることはなかった。ところがある年の初夏、ホームセンターで、山積みになって売られているすだれを発見する。日よけとして売られている簡素なものだ。そうだ、これを吊るしてみよう。寸法もちょうどよさそうである。ひとつ手に取り、レジに向かう。

家に帰って、さっそく浴室の窓を開け、買ってきたすだれを格子の外側に吊るしてみた。庭に出て浴室の方を見ると、内側はまったく見えない。成功である。そこでほくほくと家の中に戻り、お風呂に入った。虫が入らないように網戸は閉めてある。しかし昼間の浴室は、意外と明るい。電気は点けなかった。

浴槽の位置からは、隣家の杉の植え込みの上部と、電線の一部、そして空が見え、名前を知らない鳥の声さえもする。こちらからは見えるが、あちらからは見えない。素晴らしい、勝利だ・・・と、ぶくぶくやっていると、すっかりのぼせてしまった。なんとか上がって、お茶でひといき。

そして夜。またお風呂の時間がやってきた。昼入ってから夜までの間に行った数々の行動(家庭菜園を耕すなど)を鑑みて、もう一回シャワーぐらい浴びることにし、電気を点けて、いざ! と浴室に踏み込んだところではっとした。すぐさま浴室から退出し、電気を消す。その速さは、おそらく石を持ち上げられたときのカニぐらいだったろう。とっさの何かが私に危険を告げていた。何だ? 浴室を覗くと、すだれは変わらず窓の外にある。窓は引き続き開いている。この状態で電気を点けるということは・・・?

あわてて服を着て、浴室の電気をもう一度点灯させ、靴を履いて庭に出てみた。ぼんやりとした灯りに浮かび上がるシャワーヘッドの影。かんぜんなる敗北。

昼は勝利だったのに、夜には敗北。世の中ではそういうことが起こる。影とはいえ、あやうく犯罪者に近づくところだった。そっと窓を閉めてから電気を点け、本日二度目のシャワーを浴びる。もし電気を消したままシャワーを浴びれば、中が見えることはない。でもそれじゃあ暗すぎる。昼間は世界が明るかったから、こちらは電気を点ける必要はなかった。夜、世界が暗くなったから、こちらが電気を点けたのだ。明るい方が見えて、暗い方は見えない。それは変わらないのに、昼夜で明るさが逆転したんだ。一方は沈み、一方は浮かぶ。世界照明スイッチのシーソー。いつも夜の方にいれば、昼には知られずに、世界を覗き見ることができる・・・。

その後もたまに昼間、窓を開けてお風呂に入っている。もちろんすだれは吊るされっぱなしである。浴槽につかるときは、楽しく外の音を聞きながら入浴剤をぶくぶくしているが、シャワーの位置に立つと、どうも落ち着かない。電気は点けていないので、こちら側は見えないとわかっているが、人が通るかもと思うと気になって仕方がない。なにしろすだれごしに道が見えるのだ。もしすごく暗さに強い視力を持つ人がいて、じっと見られたら、こちらの姿が見えてしまうんじゃないか。そんなことを思うと、そっと手が窓を閉めている。

もし世の中に、どんな明るいところにいても暗いところも見通せる、特別な虹彩を持つ人がいたら、会ってみたい。友達になって、こういうあだ名をつけるんだ。”点灯夫”。いや、”マジックアワー”。いやまてよ、ほかにもっと何か、ふさわしい名前が、、なんてことを思いながら、湯上りの麦茶をコップに注ぐ。コップに集まる麦茶一杯ぶんの光。そのとき、何だかよくわからないけれど、小さい世界照明スイッチを切り替えたような気がした。そうか、スイッチは、たくさんあるのか。

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