何年越しかのラブレター

昨日、バレンタインデーだったので昔好きだった人のことを思い出していた。
今から10年近く前に、私は地元のド田舎に住んでいて、東京に住んでいる7歳年上の人に片思いしていた。
ネットで彼の書く文章にとても惹かれて、彼もまた私の文章を気に入ってくれて声をかけられたことがきっかけで連絡を取り合うようになった。東京に遊びに行ったついでなどに何度か会って、私はすっかりその人を好きになってしまった。
今思えば私はその出会いから、恋愛対象として本当の本当に彼を諦めるまで8年かかった。
違う人を好きになって付き合ったりもしたけれど、最終的にはやっぱり彼のことが好きだった。
今思えば、彼は私が一番最初に触れた「東京の人」だったんじゃないかと思う。
彼は私の知らないことをたくさん知っていた。
私が読んだことのない作家の小説や漫画など、とにかくよく本を読む人で
私は彼と話す度に知らない世界に触れた。
東京で彼と会うと、連れて行かれる場所全てが私のお気に入りになった。
私はそれまで病的に細い体型の人ばかり好きになっていたけれど、彼はお腹まわりがもっちりしていて、抱きつくと吸い込まれそうな感じがした。
目も私が好きな切れ長じゃないし、伸ばしている髪ももじゃもじゃで、私の嫌いな煙草をすぱすぱ吸っていたけど、彼のことが好きだった。
「人間らしい人間」最初に会った時にそう思ったことを覚えている。

20代後半、私が留学先の中国から帰国して就職のために上京する時、私は真っ先に彼を思った。
けれど、彼は思いがけず一足先に転勤で中国に行ってしまった。上海に。
それから私たちは東京と上海で毎日のように連絡を取り合った。
帰宅時間を合わせてSkypeやfacetimeで文字通り“夜通し”話した。
今思えば何をそんなに話すことがあったのかわからないけど、話は尽きず、私はその時間が心の支えだった。
彼は友人知人のいない上海で、私は友人知人のいない東京で、二つの都市で、私たちはとにかく孤独だったのだと思う。
彼は一時帰国する度に、私の部屋にやってきた。私の部屋のベッドは彼がプレゼントしてくれたもので、上京した年のクリスマスに我が家に運び込まれてきた。私が東京を離れる日までずっと、そのベッドは私の部屋の一番大きな家具だった。
酒臭い彼が「狭い」とか「暑い」とか言いながらトドのようにそのベッドに寝転がっている姿を見て私は幸せだった。
外して机の上に無造作に置かれている彼の黒縁眼鏡ですら信じられないほど愛おしかった。
いつも変な柄のド派手な靴下を履いていて、一体どこに売ってるんだろうと真剣に思ったりもした。私も欲しかったから。

彼は東京タワーが好きだった。
上京する前の私は、東京タワーに行ったことは一度しかなく、彼が東京タワーが好きなこともぼんやりとしか理解できなかった。
上京してから、私は東京タワーに何回行ったことかわからない。職場が神谷町にあったこともあり、仕事で嫌なことがあったり、寂しくなったり、彼を想う日には東京タワーに行った。
オレンジ色にぼんやり光る東京タワーは、見上げるだけで心をがっしり包んでくれた。
私にとっても東京タワーは特別な場所になった。
彼とも一度だけ東京タワーに行ったけれど、東京タワーの下で「キスして」と言ったら「俺そういうの苦手なんだよ」とはぐらかされた。
予想通りの反応だったけれど、悔しかったから彼の背中をグーで軽く殴った。
お揃いにしようと買ってあった東京タワーのキーホルダーは最後まで渡せなかった。

私たちはある冬に一緒に旅行に行った。
たくさん歩き、美味しいものを食べ、一緒のベッドで眠った。
快晴のその国は、このまま移住したいと思わせるほど魅力的だった。できるならば二人でこのまま移住してしまいたい、と心から思った。
彼は写真を撮らせてくれなかった。だから二人で写っている写真はない。
唯一あるのは、その旅の最中、彼が喫煙所で煙草を吸っている時にこっそり撮った、窓ガラスに映った二人の影の写真だけ。
しばらくはずっと携帯の待受画面にしていた。
冬なのに暑いその国で、私たちは美術館に行った。ミュージアムショップで選んだものが二人とも偶然同じで、レジでそれに気付いて胸がぎゅっとなった。

そして私たちは次の夏に一緒に旅行に行った。
その日は台風がやってきて、傘も持たない私たちは右往左往しながら観光した。
私の運転するレンタカーはワイパーをいくら動かしても無意味なほどで、雨の中にたたずむアート作品を見て回っているのは私たちくらいなものだった。
その間、彼は終始画面の向こうの誰かとやり取りをしていて、私はとても切なく、腹立たしく、焦っていた。
東京に帰ってきた私たちは初めて喧嘩をした。
私は彼の一挙手一投足の些細なことすら許せないほど余裕がなかった。
部屋の鍵を彼に渡して先に帰らせ、頭を冷やそうと友人に電話してから帰宅すると、彼の荷物が一切なくなっていた。
いつも彼の黒縁眼鏡が置かれていた机には、部屋の鍵が放り投げられていた。

それから彼とは一切連絡がつかなくなった。
私の片想いは終わった。

それまで私の思考の中心にいた彼がいなくなって、私の生活は静かになった。
最初は自分の言動に激しく後悔し、どうにか連絡がつかないかと必死だったけれど、彼にとって私はもう「繋がっていたくない人」になったのだと受け入れてからは、離れていることが最善のような気がした。
私の生活は淡々としていて、黒く、白かった。何もなかった。
できるなら何も終わりたくなかった。

私は彼に何度も「好きだ」と言った。
もはや三文字でしか表せないほど私の気持ちはどうしようもないものになっていた。
どんな言葉を並べても、どんなに抱き締めても、最終的に私の気持ちはこの三文字に回帰した。
彼は私の言葉を一度も信じてくれなかった。もちろん恋人になったことも一度もなかった。
でも、私はこの気持ちはいつか通じると信じていたから「好きだ」と言い続けたし、その想いを持ち続けることが自分にとって最良だった。裏を返せばそうする以外の方法が思いつかなかった。
私は、投げても投げても跳ね返ってこないボールを投げ続け、投げつけられても投げつけられても打ち返すことのできないボールを彼は躱し続けていた。
私の片想いが終わった時、私は彼が一貫して態度を変えなかったことに感謝した。
ずっとボールを躱し続けることだって、それはきっと体力のいることだったはずだ。
彼は私に嘘をつかなかった。もうそれだけでよかった。

次の夏、30歳の誕生日を迎えた日、私は一人で生きていく人生を思った。
誕生日を祝ってくれる友人はいるけれど、きっとこの先彼以上に想える人は私には現れない。
私はその一週間前に腰まであった髪を切った。
彼は長い髪が好きだと言っていたけれど、もうそんなことは関係ない。
そしてその日、私は夫となる人と出逢った。
しばらくして東京タワーの下でプロポーズされ、結婚した。
私は今、人生で一番幸せだ。

昨日、バレンタインデーだったので彼のことを思い出していた。
出逢ってから2か月くらいの間、彼は私に毎日のように「小説を書きなよ」「何か書きなよ」と言い続けた。
理由は単純で、「才能がある気がするから」。
私は一切真に受けず、笑って彼の言葉を躱していた。
そして2月14日、バレンタイン。
当時地方に居た私は、彼にチョコレートを渡せないことを残念に思った。
そしてふと思い立って、書いたのだ、彼の言う「何か」を。
確か一時間くらいでそれは書き終わったと思う。
ワードの画面2ページにもならないくらいの文章を、メールで送った。
私なりのチョコレートの代わりというか、告白、ラブレターそのものだった。
彼の喜びようは意外なほどだった。
出来がどうだということより、私は彼が褒めて喜んでくれたことが嬉しく、
そのことを誇りに思った。これからもずっとそれは変わらない。
そしてその私のラブレターはのちに、文学賞の大賞を獲り、出版された。
発売された時、彼も買いに行ってくれた。青山ブックセンターだったと思う。
本を手に取り、印字された文字を見て「これで私のこの気持ちはずっと消えない」そう思った。

毎年バレンタインデーになると彼のことを思い出す。
そして私は今日、彼が結婚したことを知った。
私の知らない誰かと一生寄り添って生きていく彼のことを想像したことは何度もある。
それが現実になっていたのだと思うと、何も感じないと言ったら嘘になる。いつか感じたことのある、あの、心が静かになる心地がした。
私の片想いはとうに終わって、三文字はついぞ伝わらなかった。
でも、私たちは「お互いに幸せになろうね」と言い合って、
やっと一生終わらない「友達」になった。

私は今、東京ではない雪の降る街で、
彼のもっちりしたお腹の感触を思い出しながら、幸せな家に帰る。

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