見出し画像

「話せなかった人」として漫画を描いてきた6年間の事4

前の記事の続きになります。

その1はこちら


3,場面緘黙啓発の活動の中で当事者性を搾取されているなと感じる事が結構あった。

について。

これについては、「今後場面緘黙の啓発活動を頑張りたい…!活動をきっかけに自分の世界を広げたい!」と思っている人の夢を壊すかもしれない、なかなかシビアな内容である。
お金の話とかも出てくるので、「モリナガさんは純粋に場面緘黙の啓発活動を頑張ってると思ってたのに、そんながめつい人だと思わなかった…!」なんて思う人もいるかもしれない。
でも最低限生活ができなければ啓発活動もままならないし、生きて行くにはお金もとっても大事なんですよ。

ここではシビアな事を書くけど、私も啓発活動で得たものは沢山あるので、積極的な啓発活動を今後したいと考えている方は、この話も参考に色々と上手く立ち回って貰えたら嬉しい。


私は現在、サイトのメールフォームやpixivのプロフィ―ルなどで、「お仕事のご依頼以外のメールは基本的にお返事できておりません。」といった事を明記している。

それは、現在すでに約700件のコメント・メッセージ・メール等を頂いており、全てにお返事するのは難しい事、
私自身専門家ではないので、無責任なアドバイス等をむやみやたらにする事はできない事、
そして、場面緘黙漫画を無料で投稿する事が、私にできるせいいっぱいの啓発活動で、それ以上に無償の活動を広げるのは、金銭的・精神的・時間的に難しかったからである。


画像1

家族に頼れない私は、チップ君の漫画(↑)にも描いた通り、緘黙漫画制作中の制作費や生活費は、急激に悪化したギリギリ精神状態の中なんとか働きながら自力で稼いだ。
お金がなさ過ぎてどこかでお金を借りようかと本気で考えた時期もある。
(今は少し余裕ができたからチップ君を飼い始めたので、ご安心ください。)

当時ちゃんと病院に行って鬱やパニック障害などの診断を受ければ、何らかの支援を受けられる道もあったのかもしれない。
しかし上手く話せない・事情を説明するのが不可能な上、病院に行くために必要な電車・タクシーなどの密室空間でパニックを起こすようになった私にはその道はないに等しかった。
まああと、今だから病院行くべきだったなんて思えるけど、物心ついた頃から常に精神状態が良くないのが自分の平常だったので、事の深刻さをちゃんとは認識できていなかったというのもあるなあ。

「いやいやアンタ、そうは言っても書籍2冊出してるし印税でウハウハでしょ!?」なんて思われる方がいるかもしれないが、印税を執筆にかけた時間で時給換算すれば、時給300円にも満たないし、大半は実家から離れた所への引っ越し費用に消えてしまった。
そして本当に書籍が出せるかも、漫画をすべて描き終わるまでは確定ではなく、カケのようなものであった。
当時の精神状態も含めれば、マジで場面緘黙漫画を描いて投稿する事が私にできるギリギリの啓発活動だったのである。

そんなギリギリでも描き続けたのは、これまでも話した通り、場面緘黙を知って欲しい!今手を止めたら自分で自分が許せない、何も残さず死んでたまるか…!という私の異様な執念だ。
それと、漫画を沢山の人に読んで貰う事で、何か絵のお仕事を貰ったり新しい道が拓けないか?という気持ちも少なからずあった。
実際にありがたくも、緘黙漫画を通して絵のお仕事を頂いたりもしている。

しかしお仕事に繋がるお話をいただいたり、メールなどで温かい言葉を送ってくださる方がいる半面、漫画が多くの人に読まれるようになるにつれて、

う~ん…私の労力や当事者性を搾取しようとしているとしか思えないなあ…
漫画を無償で描いてるんだから、頼めば他の事も喜んで無償で引き受けてくれるでしょ、とでも思われてるのかなあ…?
私が過去にそういう目に遭って嫌だったというのは漫画にも描いてるんだけどなあ…?
とモヤモヤを感じるような出来事も増えて行った。


画像2

(書籍「話せない私研究」より)


(※ちなみに今まで表立って皆さんにご報告してきた事については、私も納得の上で行っています。
誠意をもって声をかけて下さったり、お世話になった方に頼まれたり、自分がやりたいと思った時は無償の企画などにも参加させていただいたりしています。)


どんな事があったか挙げてみると、(特定を避ける為一部は実際と変えたりしている所もあります。)



ある時、障害のある人への理解を深めるイベントで、登壇しないかと声をかけられた。
参加者からお金を取る、主催側もボランティアではなく仕事の一部としてイベントを行っているようだ。
最初は謝礼ありという事でお声がけいただき、お仕事のつもりで事前に沢山の時間や労力を割いて準備を進めていたのだが、(準備にかけた費用も自腹だが、まあ半分位はボランティアという形になってもいいかと思っていた)後から「本の宣伝になるのだから謝礼はなしです。」と話を替えられた。(会場までの交通費も自腹である。)


最初に依頼メールの内容を間違って私に送ってしまったというのだ。
詳しく聞くと同じ登壇者でも、謝礼がある人とない人と、主催側で区別をしているらしい。
障害者枠の登壇者達は謝礼なし、支援者や専門職サイドの登壇者は謝礼ありと区別して決めている?ようだった。登壇する為の準備・当日話す時間、かかる労力などは資格があってもなくても・障害があっても何も変らないのに。

その後きちんと謝罪と丁寧な対応をして頂いた。
しかしだからこそ、障害者の問題を扱っているような団体が、一般参加者からお金を取り、自分達は仕事の一環として行っている事なのに、登壇者達がかける労力・時間などを無償で使うのを当たり前だと思っていたり、謝礼を渡す人の選別をしている事に驚いた。
障害のある人達にだって、「当事者という専門性」に意味を見いだして声をかけてきたのだろうに。

言ってしまえば、本の宣伝になるかというのも定かではない。

イベントならピンポイントで興味がある人が集まっているという利点はあるが、昔とは違って今はSNS等を使って個人でも啓発活動ができる時代で、参加者が数十人~数百人のイベントに参加するために数か月前から準備をするのであれば、その間に漫画を描いて個人で投稿して、WEB上で数千人~数万人に見て貰った方がよっぽども宣伝にも啓発にもなる。

こうして後から問題が発生したのはこの時だけだったが、「いい経験になる」「お金にはならないが宣伝になりますよ」といった誘い文句で、声を聞いてあげる・居場所を作ってあげるというていで、実際にはこちらに何の得もない依頼をしてくる人は結構いた。
(もちろんボランティア・無償の依頼でも、誠意をもって連絡をくださる人はここには入っていない。)
いや、そうやって前もって説明してくれるのは良い方で、中には何の説明なしに無償が当たり前なこと大前提で話を進めようとする人もいた。


これは恐らく場面緘黙に限らずだけど、障害であったりマイノリティな何かがある人に対し、善意と見せかけた上から目線なやりがい搾取のような事は色んな所で行われているんだろうな、と実感した。


またある時には、TVの取材依頼が来た。
TVで取り上げて貰えるなら場面緘黙の認知度アップにも繋がるし、私の本も読んで貰える機会が増えるかもしれない。
そう思って詳しく話を聞いてみたところ、相手は私が今現在場面緘黙で困っている事・苦しんでいる事についてばかり質問してくる。
私は『元』場面緘黙経験者であり今は話せているのだが、現在進行形で場面緘黙で話せないと思っているようだ。
どうやら私に取材したいという訳ではなく、場面緘黙で話せなくて今も困っている、ちょっと緘黙界隈で名の知れた人が使いたいだけのようだった。
私の今の状況はネットでもある程度は調べられるし、書籍も出ている。
取材依頼をするなら、取材相手の事を最低限は調べるのが筋ではないだろうか。

その他にも私が無償で手を貸してくれると思って声をかけてきて、断ると急に態度が変わる人、
身バレするような個人情報を教えてくれという人、
個人的な内容に対し、返事を返すまで何度も連絡をしてくる人、
私に漫画を描かせて自分の復讐を遂げたいと言う人など……
本当に色々な人がいた。

ネット上で活動していればこういう驚きな出来事もあるんだ、というのは他の人の経験談などで知ってはいた。
だから最初は「わあ!本当にこんな事が起きるんだ…w」などと興味深く思っていたのだけれど、
自分の時間や労力、場面緘黙を知って欲しいという気持ちをいいように搾取されていると感じられるような出来事が増えるごとに、余裕がなくなっていった。
その都度言葉を選んで相手に説明するのにも時間も気力もいるし、説明しても分かって貰えなかったりする上、自分のプラスにつながる場合はほとんどない。

しかも、それはおかしいのでは?という事を相手に伝える時に「ああ元場面緘黙で不安が強い人だから・コミュニケーションに問題がある人だから、そうやって大げさに騒いでいるんだろうな、なんて思われないだろうか…?」みたいな、場面緘黙経験者として活動しているからこその不安も生じたりした。
以前の私だったら、その不安が勝って相手におかしいのでは?と伝えられなかったかもしれない。
しかし今は現実では職場の責任者として働いていて、皆と意思疎通できているし、自分が理不尽だと感じるラインって人とそうズレてないって実感したからなあ。
友達などにも相談したりもしつつ、うんやっぱりこれは変だよなあ、なんて何度も思い直した。

お金も大事とは言ったが、一番言いたいのは、最低限はこちらの事も知った上で、お互いの事を尊重できるような関わり方をして欲しいという事だ。


私のしてきた場面緘黙啓発について、場面緘黙がアイデンティティになって良かったね、好きな漫画を描く事を生かせてよかったねと言われる事もあるけど、私はそうは思ってはいない。
無償での活動を生きがいにしてしまうと、結局それを都合よく利用しようとする人達が近寄ってきやすいし、搾取される可能性もある。

こうした出来事も、私が今の考えに至った理由の一つだ。


なので、お仕事の依頼や自分の為になる事以外についてのご依頼はお断りさせていただいております。というのをここに改めて明言させていただく。

場面緘黙関連の何か・その他エッセイの作画・もふもふ動物関連など、お仕事としてお声がけいただるのであれば、都合が合えば喜んで受けさせていただきます…!!!!!


この先啓発活動をしていきたいという人にするアドバイスとしては、

・あらかじめ色んな事のラインを決めておく。
(頼まれごとを引き受ける&断るライン、活動を続けられる自分の精神状態・金銭的なライン・どれくらい活動したら目標達成とするのか、活動を辞めるラインなど…)

・話せなくても何とかなる環境は頑張れば作れるかもしれない。でも何が何でも、伝え方は言葉で話す以外の方法だったとしても、「いざという時に自己主張する」という事だけはできるようになった方が良い。

という事だ。
特に二つ目は私自身にもまだ足りていない事で、でも絶対に必要な事だと思う。

あとは資格を取って、場面緘黙に関係する専門的な仕事に就いて、啓発活動が結果的には自分の仕事に繋がるような形にしてしまうのも良いのではないのかなあ?と思う。
(怪しい民間の資格ではなく国家資格などです。)

続く

サポートいただけた場合、ありがたく場面緘黙についての資料の購入費・漫画を描くにあたっての画材費等に使わせていただきます。個人で制作している為、少しでもサポートいただけたら幸いです。