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【試写】『ディナー・イン・アメリカ』オンライン試写レポ

ごきげんよう。雨宮はなです。
Filmarksさんのオンライン試写会に当選し、なかなか上映館数の少ない作品を先取りして観させていただけました!同じタイミングでいくらか応募したのですが、なかなか飾らぬコメントを書いたこれが当選したことに驚きを隠せません…。

「細けぇこたぁいいんだよ!」精神で、早速レポしていきます!
※ここから先はネタバレを含みますので、ご了承いただける方のみ読み進めてください。

あえて言おう、“底辺ヒロイン”であると

ルッキズムがどうとか、俳優に対して失礼だとか、そんなことはなく彼女はかわいいだとか、そういう意見もあるのはわかったうえで。私ははっきりと“底辺ヒロイン”だと感じました。むしろ、よく演出しきったなぁという賞賛の言葉であると主張します。

予告編を観て最初に「なんて現実的な“モテない女”なんだろう!」と思いました。しまりのない小太りな体系、服のセンスは小学生並みだし、髪と肌の基本的な手入れすらおろそかなのはパッと見でわかります。表情にも可愛げがなく、言動も拗らせに拗らせた「ヤバい」奴そのもの。いくらファンだからってオナニーして昇天したときの自分のパンツショットをポエムとともに送り付けるのは「ヤバい」としか言いようがないし、そう形容するのが簡潔で理にかなっていると言えるでしょう。外見はハッキリ言ってしまえば不細工そのもの、内面は「トロい」と馬鹿にされる頭の悪さと世間知らずの掛け合わせ。
たしかに、無邪気さはかわいらしいと感じることもできるでしょうし、くしゃっと笑ったときに可愛く見えなくもない。でもそれは、彼女と感覚が合う人が彼女に対して愛着を持って初めて感じられるものだと思うのです。作品中に彼女をかわいらしく感じ、可愛く見えたら、それはその人がこの作品に浸れている証拠だといえるでしょう。

母と親友とセックスをヒロインに求める男

相手役は底辺ヒロインのセックスアピールにまさかの当たり反応を示した、なかなかにロマンチックを屈折させたような性癖をもつ男です。ダサいパンツに手を突っ込んだ構図のポラロイドで興奮していた、これはこれでなかなか「ヤバい」奴です。音楽へのこだわりがとても強く、「人気者になりたい」気持ちの強いメンバーと仲間割れをし、庇われなかった結果、しっかり自分のやったことの償いをすることになります。

そこからやり取りをしている手紙を読んだ演出のモノローグでエンディングに向かいますが、個人的にこのカップルは3年以内に破局するんだろうなと思いました。それというのも、ヒロインはおそらく歌手として地味に成功するか、もっと良い仕事について生活や人間を含めた環境がレベルアップすると予想できるからです。校内のイケメン(風)とセックスをする自分にしか価値を見出せないビッチたちに暴力とはいえ「No」を示せるようになり、服装もただの被服からファッションになった彼女が今までと同じような生き方をするとは思えません。

どんどんいろいろなものを吸収して自分の世界を広げる彼女と、拗らせた状態で刑務所に膠着されていた彼では物の見え方や感じ方に大きな齟齬が生まれていることでしょう。
そもそも、彼が彼女に求めていたのは一人の女性としての愛情ではなく見えたのです。自分を認め愛してくれる「母親」、音楽のセンスと価値観の合う「親友」を求めているように見えました。そこに「セックス」がオマケでついただけ、彼女からの憧れが恋愛のように感じられるけど、あくまで憧れなのであって恋愛とは違う気がしました。

どこまでも「笑い」を詰め込んだ作品

個人的には全然笑えないんです。何が面白いのかわからないし、ヒロインは不細工だし。「トロい」って言ってるけど、それではすまないというか、障害があることの揶揄なのでは?というくらい頓珍漢でズレている。でも、これがアメリカでは「コメディ」なんだなと思うシーンの連続でした。私には「笑い」がほとんど提供されなかったけど、好きな人は好きなんだろうなぁ。

バスの中でイケメン(風)男子とビッチがベロチューしまくってるのは「おもしろい」のでしょう、私には気持ち悪いだけだったけど。
他人の家の窓を割って脱出して追われないように生垣を燃やすのは「おもしろい」のでしょう、私には犯罪者にしか見えなかったけど。

そういう「笑い」です。

と思いきや、毒親も描く手の広さ

展開にうんざりしながら、この作品の良いところを見つけられるか不安を抱き始めた頃に登場したのが彼と彼女のそれぞれの家族でした。片や馬鹿による過保護、片や固定観念(偏見)の塊による放置。そう、毒親の登場です。

「これを毒親と言っちゃう?」「子供が心配なだけ」「こだわりがある人はどうしてもいるから…」
そんな声が聞こえてきそうですが、立派な毒親です。毒親の一番の毒は「自分が子供にとて毒であると認識していないこと」にあります。過保護や放置が子供の成長を著しく阻害し、ひとりの人間として生きるのに苦労を抱き込ませていることに気づけない。それどころか、自分は子供思いでよいことをしていると思い込んでたり、自分たちの思うとおりにならない子供のほうこそ悪いと処理している。これのどこが「毒じゃない」といえるでしょう。

おちこぼれ2人の変化と「お笑い」を描きつつ、裏テーマは「毒親」なのではないでしょうか。

さいごに

この文化圏の恋人や友人でもない限り、またその文化圏の「お笑い」が理解できる&好みでない限り、観ることをお勧めしません。ただ、敢えて観るのであればいっそのこと小さめの映画館で平日夜に観るのがおすすめかなと思いました。家で観るときはピザやポテトチップスなどの油ものとソフトドリンク(それも炭酸入りの)やアルコールを用意したうえで、首元の伸びたTシャツにスウェットパンツ…なんなら下着姿で観るのがちょうどよいでしょう。

最後まで読んでくれてありがとうございます。
ではまた次の記事で。ごきげんよう。

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