見出し画像

ドライブアウェイ・ドールズ(2023)

Filmarks様のご招待をいただき、試写会にて鑑賞いたしました。

ずばり、私はコーエン兄弟の映画が苦手です。
どれくらい苦手かというと、なぜそんなにも評価が高いのかがどうしても解らず、解りたくて、鑑賞可能な作品を片っ端から全部観た、それくらい苦手です。
批判をするにしても、観ていないものはできませんので。

『ドライブアウェイ・ドールズ』のオープニングは、私が恐れていた通りの「ローアングルの」「迫りくる」映像から始まりました。
こうやって人の神経を逆撫でして、人間の最も汚い部分をこれでもかと誇張してエログロ映像にして彼らは、私を人間不信にしてきたのです。

やーめーてーーーーーっ。

安心してください、予想通りエログロ映像満載ですし、人はモノのように殴られますし蹴られますし死んでいきます。
しかし、この作品はこれまでのコーエン兄弟作品とは一味も二味もなんなら「全く」違います。
コーエン兄弟作品の全てに呪いのように貼りついて私の精神を削ってきたあの「不条理」が、ない。
まるでタランティーノ作品を観ているような錯覚を覚えるほど、爽快なのです。
兄が抜けると毒も抜けるのか。

「日々の生活に行き詰まりを感じた女性二人がドライブの旅に出る」と聞いて誰もが脳裏に浮かんだのは女性版アメリカン・ニューシネマの金字塔、『テルマ&ルイーズ』でしょう。
『テルマ&ルイーズ』を超える「女性二人のロードムービー」など作れるはずがないのに、なぜこのハードル高い題材を選んだのかを確かめるのも、もう一つの私の目的でした。

私なりの結論はこうです。
この映画は『テルマ&ルイーズ』へのアンサーです。
舞台が『テルマ&ルイーズ』の9年後のY2Kに設定されているのも、それでいてファッションや音楽が90年代風味なのも、テルマとルイーズの「もうすぐそこまで来ていた明日」を描きたかったからではないかと思いました。
虐げられ、犯され、奪われ続けた女たちが反逆し、南へ南へと逃走した先にあったものが決して「自由」ではなかった結末への、かなり乱暴+お下劣ではあるけれども「救済」あるいは「祈り」だったのではないでしょうか。
逃げるテルマとルイーズを理解し、どうにかして救いたいと追いかけたハル刑事にも、代わって登場したスーキーが「答え」を示しています。
逃げているつもりは毛頭ないジェイミーとマリアンを「力(=権力と暴力)を手にした女性」の象徴である彼女が如何にして追いつめ、制裁を下すのか、注目です。

そして「スーツケースの中身」とは。
女性たちの生を奪い、性を奪って来たものは、かくもちっぽけなものだったのかと、ゲラゲラ笑いながら爽快な気分で劇場を出てください。

#映画感想文 #映画レビュー #映画が好き

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?