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ありふれた教室(2022)

邦題は『ありふれた教室』となっていますが、原題は「職員室」または「(教員以外も含む)職員の控室」というような意味だそうです。
そのことを念頭に置いて観ると、少し違った見え方のしてくる作品です。

舞台は「窃盗事件が頻発している」中学校、「ゼロトレランス」を合言葉に、一部の教師による犯人捜しが行われています。
決定的な証拠も無いまま容疑をかけられた生徒が移民の子で、その保護者が学校に怒鳴り込んで来て披露する主張には、「多文化主義は完全に失敗した(by メルケル前首相)」ドイツ特有の歪みも見られます。
主人公の新任教師カーラもまた、移民というバックグラウンドを持ちます。
正義感に溢れ、一部の教師による犯人捜しや偏見に反発するカーラは、「職員室での小さな罪」を偶然目にしたことから、ある「実験」を試みます。

しかしカーラが「生徒を守るために」したことは想定外の方向に転がり始め、加速度をつけて彼女自身を追いつめて行きます。
保護者会でまさに「ボコられる」シーンは圧巻を通り越して観ているこちらの精神がガリガリと削られるもので、上映前に我々にも紙袋配っておいてくれ頼む、と思いました。
続いて息つく暇もなく学級崩壊に一直線、女性教師には教え子たちによる容赦のない火あぶりが待っています。
子どもたちは大人を実によく見ているものです。
そして、大人たちの権力を後ろ盾にした、しかし制約のある横暴さに対し、「無敵の人」である中学生たちは、大人顔負けの狡猾で残酷な制裁を、制約なく下して行きます。

カーラは、職員室では同僚たちの偏見や横暴さと、放課後は学校をこれっぽっちも信用していない超攻撃的保護者たちと、教室では「不寛容」な支配の下で静かにマグマを煮え滾らせる生徒たちとの対峙を余儀なくされます。
と同時に、たった一人の教え子オスカーと、一対一の対話を試みます。
ルービックキューブは、「教師と教え子」という閉鎖的な関係を超えた、人間同士としての二人だけの共通言語に見えました。
カーラはオスカーを、オスカーはカーラを、信じ切れるか。

かつてのドイツ映画には「余韻」というものがなかったように思います。
事実を積み重ねて行って、ゴールにたどり着くと唐突にスタッフロール、それがドイツ映画特有の様式美でした。
しかしこの作品は全く違います。
非常に象徴的且つ印象的なエンディングがまるでMVのように流れて、我々に「このシーンに名前をつけろ」と迫ります。
若き女性教師が詰められる映画の最後に、詰められるのは我々観客だったという、、、

イルケル・チャタク監督はトルコ系ドイツ人、教育はイスタンブールのドイツ系の学校で受けた方だそうです。
「ドイツを外側から見る視線」を持ち、「移民政策に失敗した(by メルケル前首相)」ドイツ社会の縮図としての学校を、スリリング、という言葉が物足りないほどの圧倒的なストーリー展開で描いています。
ラストシーンが余韻たっぷりだったのも、新しいドイツ人による新しいドイツ映画を象徴しているように思えました。

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