優越と劣等の分布図

 人生の気づきを得たので記しておきます。

 いわゆるブラック企業に新卒で入社し、そこからは長続きしない社会人生活が始まりました。学生時代は自律神経失調症だったのに、4社目くらいでどうしても布団から出られなくなり、双極性障害の診断を受けました。だからといって実家を出ていたわたしは働かないわけにはいかなくて、でもうつ状態だったせいかありったけの処方薬を飲んでOD、ホワイトアウト。結局、半年ほどでニートになりました。それからも実家に戻ったりまた上京したり、1年半無理やり働いたもののクビになって実家に戻ってニート。
 一昨年は、ほとんど1年間まるまる通院とカウンセリングだけをこなす、それだけで精一杯でした。実家は田舎なので何もない日々が心底苦痛で、親に当たり散らしたり、過食したり、毎日泣き暮らしました。
 ところでわたしは中学生のころからオタクというか腐女子です。二次創作をたしなむ女です。高校生のころにはじめて本をつくって東京のイベントに参加しました。何かつくりたい、それは文章であるほうがたのしい、という理由で大学も決めました。大学時代は本当に楽しかったです。アルバイト代をぜんぶ注ぎ込んでコミケで買い物したり、完徹して新刊の入稿したり。
 それは社会人になってからも変わらず、仕事か忙しく日々の時間がなくなればなくなるほど創作意欲が湧いてきて、何とか時間をやりくりしてでも本を出したい!おはなしを書きたい!という強い気持ちに変わりました。仕事をこなせる、というのはメンタルが正常であることとイコールなんだなと、ニート中に文章がちっとも書けなかったことを振り返るに思います。時間がどれだけあっても、うつ状態のときにはファッション雑誌の見出しの文字すら読めませんでした。
 ここでタイトルの優越と劣等の話をします。わたしはいま、28歳です。恋人のいないひとり暮らしの派遣社員です。
 見下されている、と感じる。
 先に自分の流れを述べたのは、わたしは一応自分ではこの現状を納得、というか受け入れているということを伝えるためです。いま、ひとりで生活して働いているだけで、信じられないくらいすごいことだと感じています。本当に苦しかった日々がありました。いまも、友人たちが普通にやってることが普通にできないことが苦しくで妬ましくてたまらなくなります。でも、ちゃんと自分にとっての最低限、やることをやって生きています。
 でも見下されているのを感じる。
 28歳って、わりと焦る時期だなと思います。人間の寿命が100程度であるかぎり、結婚とか、キャリアとか。わたしはもう生きているだけですごい!状態なので、まあ焦るには焦るし時にさみしくて泣くこともありますが、なるようにしかならない、と思っています。こう言えるようになるまでに、さまざまな、非常にさまざまな葛藤があったのですが、ひとまず「食い扶持稼いで生きてるだけえらい」わたしです。
 友人はいわゆる「勝ち」というカテゴライズのなかにいる子が多いです。結婚してたりキャリアがあったり、たぶん本人たちも自覚があると思います。そして、そういう子たちから見ると、わたしは「負け」らしいです。将来性も給料も少なくて、貯蓄もなくて、恋人もいなくて、十代の学生みたいにオタク活動でキャッキャしてる頭お花畑女。いやその通りなんだけど。
 笑われるんですよね。苦笑というか。まったく悪意はなくても、あ、こいつよりマシって思われてるのはさすがに伝わってきます。その苦笑に、これが優越感か、と驚きました。そしていま自分が感じているのが劣等感か、と。学生のときって、みんなぽやぽやしてたからそういうのはなかったわけです。優秀な成績の子をいいなと思ったこともなければ、留年した子に対してわたしは進級できたけど?なんて思うこともなかったです。ひとはひと、という感じで、ただ自分がやっていることがすべてでした。でももう違うんだなと感じました。みんなどこかに不安を抱いていて、「でもこれをもってるかぎりわたしは負けじゃない」って思って踏ん張っているんだなって。
 同じ会社で働いて普通の人間関係を築いてたまに自炊して部屋がきれいで出かけるときは化粧して、笑っていることが、どれだけすごいことか、どれだけうれしいことか、わたしは日々感じています。全部できなかったから。何日も布団から出られず、顔すら洗えない日がありました。


 でもさ〜〜〜〜!そんなんみんなが知ってるわけないじゃん!だから馬鹿にされんだよ!べっっっっっつに独り身でええやろが!ほっとけや!彼氏いないの◯◯ちゃんだけじゃん、じゃねーーーーーわ!それとなく給料自慢すんな!わたしの仕事は派遣と違って責任がつきまとうから、みたいな風ふかすな!いきなり妙な気ィ遣うな!多めに出してくれんのは素直にありがてえけどな!有給使い切ったことについて何でそんな休むの?って、そんなん薬増やしてもどうしても涙が止まらない日があるからだわ!


 自分で納得してて、受け止められていて、でもやっぱり社会の目ってのはある。世間体は存在する。見下すなとは言わない。わたしも下を見て生きることはあるから。でも優越感・劣等感にだけは支配されたくない。人生の分布図にあって自分を真ん中に置いたら上も下もできる、当たり前に。これはもうどうしようもないことだと思う。
 じゃあわたしは図内に自分しか置かないことにする。あるいは、自分を除いた分布図をつくる。わたししか存在しない図ではすべてわたし次第で、やるもやらざるも、たのしみも喜びもすべてわたしのもの。わたしの存在しない図では、憧れがここにあってやりたくないことがそこにあるだけ。
 最後に。気づかせてくれた友人たち、ありがとうね。好きだ。てめえらが何をもってしあわせなのかは知らんが妬んじゃいない。わたしのしんどさを知らんように、あんたたちの苦しみをわたしは結局わかりきれない。だから自分の尺度でしあわせになれ、絶対に。いつでも見下してもいいけどわたしはそこにいねえぞ。これからもよろしくね。

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