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雪の結晶かもしれない【掌編】

 年齢も同じ、血液型も同じ、好きな音楽も好きな食べ物も出身地も同じ。
 僕と長谷川さんの夫は共通点が多い。一番の共通点は長谷川さんの事が好きってことだ。
 長谷川さんの夫に会ったことは一度もない。けれど、長谷川さんの口から彼の話をきくたびに、僕と共通点が多いことを知らされた。
 僕と彼の違いってなんだ。
 長谷川さんに出会った時間が、早かったか遅かったか、その違いだけだと言うのなら。僕が長谷川さんの手に触れることも、髪の香りを嗅ぐことも、耳元で囁くことも許されたのに。
「それじゃあね」
 雪の降る音よりも小さな長谷川さんの声。首元に巻いた白百合色のマフラーの上で、きらりと光る粒は、雪の結晶なのかもしれない。一瞬でも長谷川さんの涙に見えたのは、きっと僕の思い上がりだ。
「気を付けてね」
 僕はその一言を振り絞った。本当は、言いたくない。本当は、本当は、本当は
「帰らないで」
 そう言って長谷川さんを抱きしめてしまいたい。でも、そんなことをしてしまったら、僕らの関係は終わる。
「おはよう」
「お疲れ様」
 それだけの会話でも心躍っていた日々は、きっと違うものになる。
 それが、なんだってんだ。
 誰かが悲しむとか、苦しむとか、傷つくとか、そんなのどうだっていい。関係ない。もう、どうなったっていい。
 波のように押し寄せて来る思いに、僕は耐える。ブーツの踵をアスファルトに押し付ける。空から落ちた雪の結晶が僕の踵の下で破壊される。金平糖がつぶれたような間抜けな音。
 長谷川さんは、優しく微笑んで僕に背を向けた。
 彼女の髪に雪が舞い落ちる。街灯の光を受けた雪の結晶は、何よりもきれいに輝いていて、僕は思わず手を伸ばす。あと少しで届きそうな時、長谷川さんが一歩踏み出した。また離れてしまう。
 触れられそうで触れられない。いつだって。
 呼び止めることだって出来る。振り向いた長谷川さんの腕を引くことだって出来る。そして、ずっと抱えていた思いを伝えることだって出来る。
 だけどそうしないのは、僕が臆病だからじゃないって、誰か言ってくれ。

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