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かすれた声【掌編】

「ごめんね」
 許す許さないの前に、そのハスキーボイスが気になるよ。
「風邪ひいたの?」
「いや、昨日クーラーつけっぱなしで寝たから」
 つけっぱなしのクーラーの生み出した声が、思いがけなく私の琴線に触れてしまう。抱いていた怒りは、彼の寝ぐせをつい指でもて遊んでしまうほどの愛おしさに変わってしまった。
 これじゃあ、また同じ繰り返しだ。我に返って寝ぐせから指を離す。一歩下がる。
「許さない」
「ごめんなさい」
 その声で謝らないで。
「私、怒ってるんだよ」
 また一歩下がろうとした私の手を彼が掴む。
「手、冷たいね」
 クーラーで冷え切ってしまった私の指先を包む彼の手。そのぬくもりにまた決心が鈍りそう。
「だからさ」
 手を振り払う。振り払っても彼の体温は、まだ手中に残ったまま。
「本当にごめん」
 彼は私の腰に手を回す。シャツ一枚越しに伝わるぬくもりに気を取られ、その隙に抱き寄せられてしまった。またいつものパターンだ。そうやって頭を撫でたら、許してくれると思ってる。
「もう会わない」
 頭を撫でられる前に声を振り絞る。今までずっと言いたかった言葉。
「本当に?」
 またその声で訊かないで。彼の口を手で塞いだ。
「もう好きじゃない」
 彼の寂しそうな目がぼやける。ここで泣いたら嘘だってばれてしまう。
「嫌いになったの?」
 塞いだ手の向こうからの問いかけに、そうだよ、と答えてやりたいけど、その拍子に涙がこぼれてきそうだった。だから、彼の身体を押しのける。腰に残る彼の体温が邪魔をしてくる。まだこんなにも愛おしいなら、もう少し続けられるんじゃないかって。
 エアコンから吹き出す冷風が彼の寝ぐせを揺らす。直してあげたい。勝手に動き出そうとする私の右手首を左手で抑えた。
「俺は大事だと思ってるよ」
 彼は一度も「好き」って言葉を使わなかった。代わりに使う「大事」という言葉。本当に私の事が大事なら、もう開放してほしい。
「さようなら」
 涙を我慢しているからかな。私の声の方がかすれてた。

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