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海の友達

 もう何年海を見ていないだろう。僕が生まれ育った街には、当たり前のように海があった。
 こんなにも海が恋しいと感じるのは、海が好きだというわけでもなく、今暮らしているこの街で息苦しさを感じているからかもしれない。
 あの人がそっけないのも、あの人の心が狭いと感じるのも、あの人の言葉に棘があるのも、この街に海がないせいだと思ってしまっている。雄大な海がないから、この街の人々は心が狭いだなんて、根拠もないことを考えてしまっている。心が狭くなってしまったのは、そんな人達を許せない自分自身だというのに。
 僕が故郷の海を思い出すと、決まって隣には親友がいた。小学生から仲の良かった幼馴染でもある。彼は、まさに海の子供という印象で、日焼けした肌に眩しい笑顔が似合う奴だった。彼にももう何年も会っていない。
 これからすぐに海へ行くのは難しいので、彼に電話をすることにした。スマートフォンで彼の電話番号を探し、タップする。呼び出し音がしばらく鳴る。久しぶりの連絡なので、どういう反応をするのか、急に不安になり、電話をやめようかと思った瞬間である。
「おう、久しぶりだな」
 友人の声が響いた。
「お、おう。久しぶり」
 彼とは、どういうトーンで話していただろう。急に戸惑ってしまう。
「元気か?」
「なんとか元気だよ。そっちは?」
「俺も何とか元気だよ」
 そんな感じで、僕達はたわいもない会話をした。どんなトーンで話していたのかなんて、すぐに思い出した。たちまちあの頃に戻り笑いあう。
 背後から、潮騒が聞こえた気がした。優しく額を撫でる母の手のような音だった。
「お前、今、海にいる?」
「いや、家にいるけど」
「そっか」
「たまには、こっち、帰って来いよ」
「ああ、今度の休みにでも行こうかな」
「待ってる」
「ありがとう」
 電話を切った。
 僕の額をあたたかい滴が伝う。海の味がした。

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