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さらわれた帽子

 風が僕の帽子をさらっていった。空高く昇り、やがて姿を消してしまう。辺りを探したけれど、見つけることは出来なかった。
 帽子は、以前妻から誕生日にもらったものだ。それから数年、散歩に出かける時は必ず身に着けていた。かなり愛着があったので、残念で仕方がない。
 家に戻った僕は、妻に帽子が風で飛ばされたしまったことを打ち明ける。
「せっかく君からプレゼントしてもらったのに、ごめんね」
 すると妻は、怒るでもなく
「今頃、その帽子はどこで何をしてるんだろうね」
 のんびりとした口調で答え、窓の向こうの青空を、目を細めて眺めた。
「うーん。周辺を探してもなかったから、かなり遠くまで行ってしまったと思う」
「隣町とか?もしかして、海を越えて外国とか?」
 面白がるように妻は質問してくる。
「外国にまでは行かないんじゃないかな」
「わからないよ。川に落ちて、海まで行って、外国まで流れ着く可能性もあるじゃない」
「まぁ、確かに……」
「もしかしたら、大きな樹の枝に落ちて、鳥の巣になるかも。あの帽子に卵を生んで、温めてる鳥の姿、想像してみて。かわいいよね」
 確かにかわいい。なんだか、僕も想像するのが楽しくなってきてしまった。
「卵から雛がかえって、餌をくれって、大きな口開けて」
「大きくなったら、あの帽子から巣立っていくの」
「感動的だな」
「他には、どんな可能性あるかな」
「誰かが拾う」
「誰?」
「怪盗。お宝を盗んで逃走中に、帽子を拾って、変装するために被る」
「だけど、刑事に見つかって」
「逃げている途中で、帽子が脱げて」
「そして、あなたが容疑者になる」
「それは困るよ」
 僕達は、風にさらわれた帽子がどこで何をしているかについて、面白おかしく話し続ける。
 帽子を失った僕の寂しさや、妻に対する申し訳ない気持ちは、いつの間にか消えていた。

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