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リスケのちラムネ【掌編】

 ラムネを買ったのは何年ぶりだろう。透き通った青色のラムネ瓶。夕焼けの空にかざせば、何か特別なものが見えるような気がする。そんな期待を抱きながら、私は河川敷のベンチに腰掛け、夕焼けを待っている。
 今月のスケジュールを埋めてやろう。あの人が入り込む隙間がないくらいに埋めてやろう。そう思い立った私は、スケジュールのアプリに予定を入力した。
「ラムネを買って夕焼けを見る」
 これが今日のスケジュール。従うことにする。
 夏休みの子供たちが、無邪気に笑いながら川で遊んでいた。彼らのあげる水しぶきが、傾きかけた太陽の光を弾いている。なんて眩いんだろう。大人になると、子供の頃が特別輝いていたように思える。
 大人になんてなりたくなかったな。
「仕事で疲れたから」
 なんて理由で怒るのは子供。大人はもっと寛容でなければならない。
「わかった。ゆっくり休んで」
 ドタキャンはこれで何度目だ。せっかく約束しても、当日までどうなるかわからない。どんな服着て行こうかとか、メイクやヘアスタイルを考える楽しみは、折り畳んで引き出しの奥にしまう。前日考えることと言えば、もし、ドタキャンされた場合について。部屋の掃除をしようか、それとも、一人でどこかへ出かけようか、そして、最も思いめぐらすのは、どんな対応をするべきかってこと。
 あの人の本命の彼女は短気で感情的な子らしい。ドタキャンなんて絶対許さないだろう。だから、私は、逆の事をしなければならない。許すってこと。大人の対応で許すってこと。
 ドタキャンされたら、私だって怒りたい。本当は。沸いた怒りをぐしゃりと手で握りつぶして、遠く空の果てまで投げ捨てて、余裕のある大人の仮面を被る。面倒なその一連の流れ。そう、面倒だ。面倒。もう、疲れたんだよ。
 こんなに舐められてるのに、怒れないのは、優しいからじゃない。彼女と一緒にされたくなかったからだ。
「別の日に変更しよう」
 なんて言葉を信用したらまた傷つく。だからスケジュールを埋めてやろう。約束なんてしてないのに、もしかしたらあの人に会えるかもしれない、の為に開けていたスケジュール。自分の為に使うのだ。
 美容院へ行く。映画に行く。ずっと気になってたカフェに行く。しばらく会ってなかった友達と会う。ラムネを買いに行く。そして夕焼けを見に行く。
 気づいたら、川が桃色になっていた。空から垂れ流される夕陽。川遊びする子供たちも夕陽に浸される。
 ラムネの栓を開けた。ビー玉がコロンと落ち気泡が浮かぶ。甘く懐かしい香り。瓶を夕焼けにかざすと、青色の光が私の膝小僧で踊った。無邪気な子供のように自由に。
 あの人からまた会おうって連絡来るだろうか。通知音にまた飛びついてしまいそう。
「残念でした。もう予定で一杯だよ」
 そう言えたらいいのに。
 膝小僧で踊る青色の光。それを吸収するように、私はラムネを飲む。

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