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GRAPEVINE 田中和将さんの「群れず集まる」に感じた違和感

すごく絶賛されていたし、とあるアラ子さんが色々ツイッターでお話しされていたのを読んで、どんなことが書いてあるのだろう?と気になったので読んでみた。
……けれど、わたしはあまり共感することができなかった。
(とあるアラ子さんの意見もまたわたしと微妙に違うのだけど、よかったら発想のきっかけにもなっているので、そちらも読んでみてほしい)

わたしはGRAPEVINEというバンドをその名前くらいしか知らなかった。だから、文面に隠された裏の意図なんかは知らないまま、ここに表されたものをそのまま鵜呑みにして読むしかなかったから、もしかしたら田中さんのことをもっと深く知っていたら、感じることも変わっていたのかもしれない。

そんな状態のわたしが読んでみて、どういうことだろう?といくつか湧いた疑問や違和感について書いてみたい。


「弱者」とは……?

彼は、同じくこの蚊帳の内側に入れていない自分のことを冒頭で幼い頃社会的弱者だったと書いていたし、この構図は宛ら社会の縮図だとも書いていたから、社会的弱者のこととも取れるし、大きな輪から排斥されたという意味での弱者(マイノリティ)とも取れる。
輪が大きく感じるのは、おそらくジャニーズやbankbandのような、そういう規模が大きなアーティストが声を上げることが多いからなのかなと想像した。

ただ、田中さんはその言葉選びから察するに、この蚊帳の内側である、勇気や元気を与え合う世界のことを下に見ているように思える。そうやって音楽を作ることを、烏滸がましく傲慢だと語るくらいだから、きっとそうなんだろう。
自分の音楽には特別な価値がない、と語る(考える)ことに価値がある。
もっと言うと、そうであることこそが高尚なもののように感じているのではないだろうか。

わたしは、音楽なんて自分の信念こそ素晴らしいものだと信じて作らないと、いつだって不安でいっぱいになるから、根拠があろうがなかろうが自分の音楽には自信を持つべきだろうと元々思っているので、それについてどうこう言うつもりはない。

これはおそらくそういう音楽を受け入れ好んでいる受け手側、要するに田中さんのファンも、この言葉に共感しているのではないだろうか。
では、彼らは本当に「弱者」なのか?
わからない。もしかしたら、自分たちを弱者と呼ぶこと自体に、何らかの演出や意図があるのかもしれない。
でも、わたしにはすごく違和感が残った。


エンタメは誰のものなんだろう?

これは、今回のことがなくてもいつか書きたいと思っていたわたしの持論。

わたしは、そのエンタメを発信する側(アーティストや運営サイド)と受信する側(ファン)のため  "だけ"  のものだと思っている。

よく、ファンでもない、またはファンを自称しながら妨害行為をする人たちから、「運営はクソ」、「あのファンは痛い」という叩きが行われることがある。
わたしは、それを見るたびいつも、何の事情も知らずに運営を叩いてるんだなぁと、その頓珍漢な指摘を眺めたり、どんなジャンルであれど推し活なんて痛いもの、わかっててそれを楽しんでいるのに何言ってるんだと思う。

彼らはあくまで外野だ。文中の言葉を用いれば、蚊帳の外。
それの何がいけないのだろう。
音楽業界だけでも星の数ほどアーティストがいるのだから、合わないのなら他に行けばいいだけの話だ。
アーティストだって、ミュージシャンがたったひとりで創っているわけではない。それはあくまでプロジェクトで、そのミュージシャンを創作部門の長に置き、いろんな人が関わって、それぞれの信念のもとそれぞれの役割を全うして、そのプロジェクトを創り上げている。そこにはいろんな人の思いも事情もある。(思い過ごしかもしれないけれど、事務所なりレコード会社なりに「勇気」を強要されて嫌だったのかなと)
それに、目の前にいるファンらしき人々の全員を網羅するのではなくて、似た好みながらまだ出会っていない人を取り込むことこそが新規開拓というものだとも思う。考え方が合わない人に関心を向けるより、今共感し愛してくれるファンを見て、予備軍に積極的に出会いに行けばいいのではないだろうか。
それに関してはゴールデンボンバーの鬼龍院さんのインタビューが素晴らしいのでよかったら読んでみてほしい。


勇気や元気を“わかっていて”送り合うことは悪か?

わたしは、エンタメはアーティスト側もファン側もどこかでわざと酔っている節があると考えている。自分的感覚としてもそうだ。
心のどこかにいる冷静な自分が出てきて、あーだこーだと口を挟んでしまったら解けてしまう魔法のようなもので、それが解けないように大事に大事に守りながら、日常とはどこか違う無邪気に愛し愛されることを許される特別な世界が楽しくて、そこにいる。
お互いにそれがいい、安心するし、心揺さぶられるというのだから、蚊帳の外から石なんてぶつけてほしくない。
付き合いたてのバカップルに割って入るようなもんだ。
それは、なんというか、センスがない。

逆だって同じだ。
もし勇気を与えたいと言うアーティストを傲慢だと、与えられたと喜ぶファンを思考停止していると言うのなら、同じくらい、そういう音楽はちょっと……と言ったり、それを肯定するファンの方もまた、自分たちの魔法の世界にちゃんと浸かっていると思う。
いわゆる「音楽はお金じゃない」的思考と近い。それは確かに尊いけれど、冷静な自分がどこかで、でもお金ないと活動できないけどね、と言ってしまったら解けてしまう魔法の中にいる。

でも、それでこそアーティストとファンらしい関係で、わたしはそれはそれで好きだし、実際に好きなアーティストの中には、そういうことを言う人が何人もいる。
それでいて、勇気を与えたい!と言って活動するアーティストのことも、わたしはもちろん好きだ。
ベクトルが違うだけで、どっちも自分たちの魔法にかかっていることに違いはない。


蚊帳の外じゃなくて、別の蚊帳の中にいるだけ

今回田中さんの「群れず集まる」を読んで、彼の考え方自体は素晴らしいものだと思ったけれど、それと同時に他者の喜びを否定していることがとても残念だった。
向こうは向こうの蚊帳、こっちはこっちの蚊帳でいいじゃないか。

音楽業界、エンタメ業界には星の数ほど蚊帳があって、それぞれがそこで楽しく暮らして、時に涙したり、笑ったりすることができれば、それで十分だと思う。
そこに大きさや楽しみ方の違いはあれど、価値の違いや優劣なんて存在しない。
わたしはそう思う。


最後に。

なんだか否定する面が多くなってしまったので、GRAPEVINEの音楽を聴いてみた(笑)
けっこう好きだったので、これから聴こうかな。ちゃんと聴いたらもっと好きな曲がたくさん出てくる気配がする……よかったらおすすめ教えてください!


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