見出し画像

【エッセイ】屋根を歩いた生物


ある夜、音が聞こえた。
上からだった。
長い間、この集合住宅に住んでいるので、ときどき隣家の生活音は聞こえる。けれど、最上階の3階に住んでいるので上から聞こえてくる音は初めてだった。不思議な気持ちで天井を見上げた。

音は乾いていて、カシャカシャ、チャカチャカ…とする。泥棒の足音を聴いたことはないけれども、重々しい雰囲気はなかった。
人間以外の何かが屋根にいると予感がした。天井を見上げながら音の発生を追いかけると、その何者かは、屋根の下の人間のことを知らずに、動き回っていた。目的地などなく、フラフラと歩いていた。曲線を歩いているかと思うと、ジグザクと歩く、しばらく音が止まっていると思うと、また、歩いたりした。

ちなみに私は幽霊を信じていない。屋根にいるのは、なにかの生き物に違いない。近所で見たことのある生き物のうち、次の4種類に疑惑が湧いた。

  1. のらネコ

  2. タヌキ

  3. ハクビシン

  4. アオサギ(野鳥)

どの生き物も愛らしい。
けれど首をひねって、この4種類を整理することにした。

まず、のらネコ。近所で何匹も見かけるのだが、道路や公園にいるけれども、壁の上とか、屋根の上で見たことがない。
たぶんこの辺りののらネコは高所恐怖症か、運動神経の問題で、上らずに生きることにしている。3階建ての屋根にはいないだろう。

次、タヌキ。彼はもともと、木登りを苦手としている。近所で見かけたタヌキは錆びかけた物置と壁の隙間を歩いたり、畑を歩いていた。屋根に上る想像ができない。

そして、ハクビシン。急斜面の茂みからから出てきたハクビシンと出会い頭にあったことがある。調べてみたら、木登りも得意だし、屋根裏も余裕で行ける。電線さえ歩くという。でも、ハクビシンは夜間に人間の睡眠を妨害するほど大きな声を出すのだという。鳴き声は聞こえない。

さいごに、一番怪しいと睨んでいるアオサギ。この野鳥は川で狩猟をするのだが、屋根で休んでいることが多い。2階建ての住宅の屋根にいるところを何度も見ている。カラスの倍もある大きさだから、人の大きさに近く、逆光の屋根にいる時は、小柄な泥棒に見間違えるくらいだ。

この住宅街ではツルもハクチョウもいない。アオサギがこの街で最大の野鳥である。
野鳥図鑑に書いてないけれど、アオサギには面白い習性がある。屋根で糞をするのだ。彼が好んでとまる住宅の屋根には白い線が何本もできている。ペンキをこぼしたかのようなはっきりした線ができる。近所を散歩した時に屋根をチェックすれば、アオサギが来ている家を見分けられる。

翌朝、屋根の音は収まっていた。ベランダに立ったけれど、屋根は下からしか見えなかった。屋根の上に痕跡が残っているのではないか。例えば、アオサギの糞が残されていないか。

アオサギ以外でも、痕跡があるかもしれない。どうにかして見てみたい。そこで、カメラを固定した三脚をつかみ、腕を伸ばして撮影することにした。数年前に流行していた自撮り棒みたいなスタイルである。

屋根の上にぎりぎり届いた。でも、カメラの角度がピタリと決まらず、屋根の状態がなかなか写せない。

気持ちは焦っていた。近所の人に見られたら覗きの罪を犯していると誤解されてしまう。私は変態ではありません! 心のなかで叫びながら録画のトライを繰り返した。

ようやく屋根が写った。隅から隅までではないけれど、自分の寝室の真上はバッチリ写せた。

でも、何もなかった。屋根しか写っていなかった。アオサギの糞も、他の生き物の痕跡もなかった。綺麗なだけの屋根の動画を何度も見直した…

あの夜以来、屋根の音は2,3回聞いている。でもまだ、音のもとが分からないままだ。

アオサギは静けさの塊だ。スズメやカラスのように鳴いたりしない。川で採餌をするときには小魚に気配を与えないように、空気に姿を溶かしている。静寂に包まれているアオサギの音を、いつか聞きたい。

(お わ り)


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?