見出し画像

いじめられっ子のメタモルフォーゼ【書く習慣】Day.5

すごく他力本願だけど、これ30日目にはすごい自分になれてたりしない?なんて問いかけは快速急行の通過と共に消え去った。

2日も1番について考えたからか、そういや自分が1番人間のわたしってほんと人の話聞かないというか、自分ばっかおしゃべりしちゃうよなって思い出して反省。

今日はとても冷麺が食べたいそんな口。

Day.5、あと1000日は書けそうってくらい気持ちは乗っている。


昔はどんな子どもだったのか

昔は【カースト上位の子の都合のいいモブキャラ】だった。

卑下とかじゃなくて、本当にそうだった。

この子に嫌われないようにしなきゃ、この子を肯定し続けなきゃ、そんな強迫観念はいつからだろうか。

「自分より可愛い子が羨ましい、自分は可愛くないけどせめてこの集団で居たい」

コンプレックスを隠すためだったのかもしれない。

逆らえない、でも辛くないもん。そんな感じでいたので、都合よく扱われても反発できなかった。

シール手帳からシールが盗まれても、筆箱からローラー消しゴムが盗まれても、上靴を隠されても、奇数ではみごにされても、ブランコを代わってもらえなくても、泥棒の犯人がわかっていても、なぜか怒れなかった。可愛い子に泣かれたら負けだから。

それが一変する出来事があった。

いじめの主犯

小学校3年生のころは、駄菓子をわざわざお小遣いで買って2人の友達にあげていた。
これも仲間はずれにされないための必死さゆえだ。

この2人は邪険にしていた子がいた。
手っ取り早く言えばいじめ、柔らかく言えば仲間はずれ。

ある日その仲間はずれにされていた子が、「あの子達の中に入れて貰えない」と泣き出す。

その中で1番しっかりしていたわたしは、さっきまで友達だったはずの2人から「あおちゃんがやれっていった。メインでいじめてた」と言う。

確かにダメなことはダメだと言うタイプだったので、クラスではキツいキャラだった。しかし2人には良くしていたつもりなのに、何もしていないわたしを売った。

なるほど、都合がいいやつはこういう時に理不尽な目にあうのか

この出来事からわたしは「わたしに着いてこれるやつだけが友達でいい、それ以外は知り合いに過ぎないので」という一見厨二病にもとれるスタイルに変更。

可愛いスカートやフリフリしたものは背の高いわたしが着ると、「でかいくせにぶりっ子」というレッテルが貼られるので、着ないようになった。

小学校4年生の時点では校内1背が高かった。
やはりサイズ差というのは圧をかけるようで、怖がる子も一定数いた。

しかし、都合のいい子をやめると先程の2人のようなタイプは一切近寄らなくなった。

自分が変われば付き合う人間も変わる。類は友を呼ぶとはこのことかと身をもって知る。
中途半端でズルい自分にはそんなやつしか寄ってこなかった。

背景には自分がいじめられたり、巨人だなんだと容姿をいじられたりと、強くならざるを得ない理由はたくさんあった。

背が高いというインパクトのおかげで、「ブス」と言われなかっただけマシなのかもしれない。これで顔までいじられてたら、殺るか殺られるかの2択まで迫られていただろう。

危ない思想と持ち前の「優等生キャラ」で先生とクラスメイトをコントロールすれば、もう自分が惨めな思いをしなくて済む。

そうだ、勉強はできるから、運動もできるようにならないと舐められる。

身長が高いわりに足が遅く、ぼてっとした体型だったので動きは鈍かったわたしは中学生で陸上部に入部。

これがすごかった。運動もできると成績も伸びるし周りからも支持率が上がる。

いじめられたから強くなって進化したよ!ってだけならよかったが、危ない思想が止まることを知らなかったのでここで復讐にでる。

復讐は何も生まないというので、何か生んでやろうというつもりで行動に出た。

過去にわたしを陥れた人たちは中学生になっても、似たようなことをしてカーストを保っていた。
なので、裏垢に潜入して悪口の書き込みを学校にチクった。

ちょうどSNSの危険性についての講習があった時だ。

それはそれは顔を真っ青にして、しまいには生徒指導室にぶち込まれて行った。

おかげでそういうタイプの人たちは一気に釣られ、しっかり学年集会で公開処刑にあっていた。

ここで「達成感」を生んでしまえた。

そのチクりがわたしと知っても、みんなわたしに同調するだけだ。
努力で作ってきた支持・信頼がわたしを支える。

自分に良くしてくれる人にだけ、自分も良くしてあげる。
そうでない人は無視、攻撃してきたら返り討ち。

モブキャラから主人公と思えるくらいまで自己肯定感も成長し、望む自分になれた。

中学を卒業する頃には人を動かすことにすっかり慣れていた。
そして責任感が強く、間違いやズルを許さない子どもに変わっていった。

そんな偉そうなスタンスおかげで、今友達と呼べるのは最高なやつしかいない。
復讐も自分が親なら止めていただろうか。

いや、きっと止めてない、コテンパンにしてこいとすら言っていたと思う。

子どもの頃からまだ10年も経っていないが、いじめられっ子を脱却したわたしは強くなった。

けどまぁ、振り返るとよくみんなこんなのと友達になってくれたなとすら思えて笑ってしまった。

わたしならこんなやつ嫌だ。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?