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あるいは、パンツを脱ぐことについて。

パンツを脱いだ作品じゃなければ、嘘だ。

まことしやかに囁かれる創作論だ。
ようするに、「創作者の1番恥ずかしい部分を、欲求を、気持ち悪いところを作品に昇華できたものが勝つ」という話だ。

このことについて深掘りするつもりも、長々と書くつもりもないけれど、多くの成功者がそう言うのだから、そりゃそうなのだと思う。

とりわけ、物書きにはどうしたって、何を置いてもやらずにはいられない「悪癖の芯」みたいなものがあるのだと思う。「悪癖の芯」は自覚的にカマせば「作家性」なんて呼ばれるなんかカッチョイイものになるけれど、無自覚のままだと「なんかくっせぇアク」になってしまうのだが、それは今は置いておこう。

パンツの話だ。
パンツを脱げ、パンツを脱げ、パンツを脱げ。

ちょっとした創作論ではよくそう言われるのだけれど、個人的にはパンツそのものに興味津々だったりする。(なお、ここから先は与太話であって「お創作論」などではない)

というのも、パンツの中がどうなっているのかは開けてみないとわからないけれど、その人が恥ずかしい部分をどんなパンツで隠しているのかは「その人」が選んだものだ。

その人は、どんな色の、どんな素材の、どんな大きさのパンツで恥ずかしいところを隠して「人間」をやっているのかしら。「悪癖の芯」にどんな言い訳と自己正当化を用意しているのかしら。

意外とそのパンツにはバリエーションがなかったりするのだけれど、それでも人のパンツには興味を示さずには居られない。

ねえ、今日のパンツ何色ですか?