1964年、ひとさじの砂糖、”アップデート”、西の風。
恥ずかしながら、ちゃんと腰を据えて鑑賞したのは初めてのことだ。
『メリー・ポピンズ』。
ディズニー・ミュージカル映画の金字塔である。
すばらしい作品であることはもちろん、商業的成功という点においても信じられないくらいの成功作だ。
小さい頃から、よく喋る子供だった。
両親はお喋りな長女をどうにかあやすのに苦心して、あるいは、その長女の浮世離れした、夢見がちな性格を最大限に尊重して、様々なアニメーションのビデオテープをどこからともなく手に入れてきてくれた。多くは、レンタルビデオをダビングしたものだったけれど、お誕生日にはディズニー映画の正規品のビデオテープを贈ってくれた。我が家は当時、ちょっと裕福だったのである。
そういう状況だったのだけれど、実写とアニメーションが同じ画面の中に同居していることが、なんだか恐ろしかった。
38度7分の高熱に浮かされて見る悪夢のような、現実が非現実に侵食されてしまうような感覚。背筋のぞくぞくするあの感じがどうにも居心地が悪くて、アニメーションと物語に夢中になっていた幼少期には、『メリー・ポピンズ』を鑑賞することはなかった。思えばもったいない話である。
1910年、エドワード朝時代。日本で言えば明治期が舞台だ。
バンクス家の父親は厳格な銀行員。母親は婦人参政権運動にのめりこむアクティビスト。子供たちを愛してはいるけれど、我が子とどう接してよいのかわからない。両親は両親の「優先事項」があって(時代背景としては、それが『きちんとした中産階級の家庭の当たり前』なのだけれど)、子供たちの教育は乳母(ナニー)にまかせきりだ。
東の風にのってやってきた、魔法使いのスーパーナニー、メリー・ポピンズ……「風が変わるまで」という約束でバンクス家に住み込みで働いてくれる──ということは、筋書きとしては知っていた。
今改めて本作を鑑賞してみて驚いたことは、この劇中で救われるのは「子供」ではないのだということだ。当然、子供たちはメリー・ポピンズというチャーミングな女性と彼女の魔法の力によって素晴らしい日々を送り、素晴らしい経験をし、彼らの家庭は物語の始まりよりも、ずっとよくなる。
けれど、この映画の中でかなりの尺を割き、セリフを尽くし、「メリー・ポピンズ」という物語によって救われるのはバンクス氏──子供たちの父親だ。
「銀行という形をした、絨毯敷きの牢獄」で働くバンクス氏について、メリー・ポピンズの親友であり(そう、決して恋人ではない!)子供たちの良き理解者である、大道芸人で絵描きで煙突掃除人のバートは子供たちに言い聞かせる。
よく考えてごらん。
君たちが困ったときには、母親やメリーや親切な巡査やバートがいる。
でも、お父さんは?
困ったときはどうしたらいい?
『メリー・ポピンズ』は1964年の映画である。
これは奇しくも、アメリカでは公民権法が成立した年で、黒人差別を禁ずる法律として名高いが、これには性差別を禁ずる文言も盛り込まれており、アメリカにおける男女共同参画の核はこの公民権法であると言われているらしい。その年に、もっとも商業的な成功を収め、かのウォルト・ディズニーの代表作となった作品で救われるのは、「厳格な父親」なのだ。
迷えるバンクス氏が弱音を吐き出すことができたのは、煙突掃除人のバートという男にだけだった。馬車馬のように働く男、社会規範に捕らわれた男、弱音を吐くことができない、ただ黙って働き続ける事しかできない男。明るい家庭を望んでいるけれど、がんじがらめの凧糸に縛られて周囲と上手くコミュニケーションが取れない男。それがジョージ・バンクスの姿だ。
バンクス氏は無言で、夜のロンドンを歩く。
息子から渡された、大切な2ペンスを握りしめて。
老婆からひとふくろの鳩のエサを買える2ペンス、銀行の口座を開設して壮大で現実的でつまらない投資ができる2ペンス。騒動を引き起こしてバンクス氏を解雇処分に追いやった2ペンス。そう、2ペンスの銅貨だ。
ひっきりなしに音楽とダンスが押し寄せてくる『メリー・ポピンズ』という映画において、なんの音楽もなく、歌もなく、ダンスもなく、ストレートプレイで長尺のセリフ劇でたたみかけてくるシーン。
それが、ジョージ・バンクスが彼の人生を蝕む銀行での労働と地位と名誉に対して、スーパーカリフラジリスティックエクスペリドーシャスを突きつけるシーンなのだ。これ、バンクス氏を演じるデヴィット・トムリンソンの名演技中の名演技だと思う。あっぱれ。