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おかわりオンラインライブ【サカナクション】

アルバム2作品に渡るプロジェクション。
オンラインライブ、リアルライブ、そしてアルバムを通して、
コロナ化での音楽業界、そしてサカナクションとしての在り方をこの時代にどのように”適応”してきたのか、それを表現し、体現していくプロジェクション。
その第1章となる【アダプト】は、オンラインライブから幕を開けた。


【アダプト】の幕開けとなった、オンラインライブの1weekオンデマンド配信がある、ということで、再度オンラインライブを視聴してみた。
リアルライブを体験した後、改めて視聴してみると、
もちろん一つの作品として完成されてるが、どこか未完成に感じてしまった。
それほどまでに、サカナクションはライブツアーの中でどんどん進化しているのだ。


今回は、オンラインライブを再度見返し、
初め見たときに気づかなかった部分や、実際に会場では見ることができなかった細かい部分、そして何よりリアルと配信ライブの違いについて、改めて目を凝らして見てみることにした。
私と同じように
改めてオンラインライブを見た人はもちろん、リアルライブを見に行った人・見に行く人、昨日の配信を見た人・今日見る人は、「こういう違いがあるのか…!」という発見の紐解きとなれば何よりである。

※掻い摘んで書いているとはいえ、今回のツアーのネタバレ満載なので、ネタバレは見たくない!!という方は、Uターンでお願いします……。
(ライブ後にまた見ていただけたらと思います。)


▼リアルライブについてはこちらで書いてます。



▼再度オンラインライブを見ての気づき

*ライブセトリ順に挙げていますが、掻い摘んで分析しています。
*女優さんが演技をする場面(舞台の部分)について。
 
 私は[少女=心情描写]として捉えていますのでその前提で話を進めていきます。

ライブでの演出考察については、こちらにも記載していますので良ければこちらもどうぞ。


2:『キャラバン』

この曲から、女優さん(川床 明日香さん)が登場。
狭い部屋に閉じ込められているような状況。(最初電話ボックスに入っているのかと思ったが、それ以上に何もない場所だった。)
部屋から出ようとするも出口がない箱。
そして、少女の焦りと諦めの表情は、箱越しに煙りとともに映し出される。

中身が見える何もない透明の箱。そこに閉じ込められる少女。そして箱の外にたゆたう煙。
→煙は心の中のモヤの表現なのでは…?
 表に出せない本心。だから箱から出ることができない少女。出口のない箱は、本心の出し方がわからない、見つからないことの暗示…?

3〜4:『なんてったって春』〜『スローモーション』

初めてオンラインライブを見たときはなんとなく見ていた曲繋ぎだが、『なんてったって春』の終わりに各メンバーの演奏が映し出され、その映像の上からオイルアートのような水泡表現がなされていた。
安直に考えるならば、水面。もしくは水中。
そして、そのあとに続く曲が『スローモーション』
この曲が始まり、ステージには雪が舞い落ちてくる。
この曲間の演出の流れから、あの水泡表現は、「水」から「雪」に移り変わった、ということを視覚的に写していたのではないだろうか…?という考えが浮かんでくる。
曲としても『なんてったって春』という春の曲から、振り落ちる雪はスローという歌詞から始まる冬の曲『スローモーション』へと繋がっている。
つまり、水から雪。そして春から冬へと季節が移り変わった、ということを演出で視覚的に表現していたのではないだろうか。
突然季節の話になった、と思ったが、逆に考えると、季節を一巡するほど長い年月が経った、ということなのかもしれない。
つまりそれほどまでに少女は長い間浮かない表情で過ごしていた、という風にも考えられる。

5:『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』

少女がアダプトタワーの一室でテレビを見る、という演出。
これは言わずもがな、MV再現だろう。


コンクリートのアダプトタワーは、無機質的でどこか冷たい印象を感じる。
だからこそ、そんな部屋の一室で1人ぼうっとテレビを眺めている少女の表情も余計に虚ろに見えてくる。そして動きのない少女の様子からは、どこか諦めすら感じ取れてしまう。


6:『月の碗』

ランニングマシーンの上で歩きながら歌う一郎さんの姿が、モノクロで映し出される。
「朝をじっと待った」という歌詞があるように、この曲は季節ではなく時間を感じる曲だ。

季節を一巡し、長い夜をただひたすらと繰り返した、ということだろうか。

曲終わり、音の余韻が残る中、画面には暗がりが映し出される。
静寂の中に響く微かな音からは、人の声も聞こえてこない、無機質でどこか不気味な深夜の静けさの印象を受ける。


7:『ティーンエイジ』

アダプトタワーにネオンの光が走る演出。
そしてこれを皮切りに、今まで虚ろだった少女がカメラに向かって突然感情を露わにし始める。
ここは狂気さえも感じる演出だ。
そして、一郎さんの頭を抱える様子も映し出される。
少女の狂気→一郎さんの頭を抱える様子→少女の狂気、と画面が移り変わる。
つまり、少女は、どこかの誰かの心情描写、ではなく、一郎さんの心情描写(内に秘める感情)を表しているのだろうか…?
もしくは、狂気に侵食されそうになっている様子…?

狂気、と一概に言ってしまうと、悍ましいものに感じてしまうが、
私は人間は誰しも心の中に狂気を潜めて生きていると思っている。
そのため、ここで言う狂気とは、人間らしさであり、表に出せない本当の感情、みたいなものである。

簡単にいうと、心で思っていても、口に出しちゃいけないな、って思う経験があるかと思うが、つまりはそういうことだ。
世間体や一般論的に、心に秘めておくべき言葉がこの世には存在する。
口に出すと誰かが傷つくかもしれない、そう思って口にしない言葉もそれに値する
それらが殻を破って無理やり出てこようとしている。

この曲の演出は、そんな表現なのではないだろうか。


8:『雑踏』

リアルライブでは、『壁』だったセトリ。
演出自体は大きな変更はないけど、1曲変わるだけでストーリー性が増すと言うか、少女の背景を感じられて、リアルライブの方が目の前の光景にのめり込んでしまった。
画面越しか、目の前で体験するか、という違いももちろんありだろうけど、やっぱりこのセトリ変更はかなり大きく印象を変えたなぁ、と思う。
ここのセトリ変更を発案したの誰なんだろうか……。
「狂気→決意」というセトリ上の流れに変化はないが、『雑踏』の方が、決意の中に諦めきれない感情、一縷の望み、みたいなものが垣間見える。
まだ、あの狂気の少女に救いがあるのではないか、と感じる曲となっている。

9:『目が明く藍色』

曲始めから、後ろのスクリーンに少女の清々しい顔が映し出される。
(リアルライブでは、この演出は曲終盤のみだった気もするが、記憶が曖昧になっている……)
「光はライターの光ーー」
の部分では、赤い照明になり、画面に映し出されるのは、真剣な顔、笑顔、そして怒り、といった喜怒哀楽の表情。
これは内にいろんな感情を持っている、という表現なのだろうか。

また、曲終盤では、アダプトタワー全体を写すカメラアングルもある。
コンクリート上の無機質な建物の中で奏でられる曲。合唱も相まって神聖さが増す。まるで教会のような荘厳さを感じた。

そしてリアルライブと同じく、一郎さんが手を高らかに上げ、握っていたピックを落とし、ピックを失ったその手で少女の手をがっしりと掴んで、曲が終わりを告げる。

リアルライブで心を突き動かされたこの曲は、やはり救済で終演の曲だな、と改めて感じた。

10:『DocumentaRy』

先ほどの曲までが一幕、というかのように、場面は暗転する。
雑音と青い液体?が移動する様子が画面に映し出される。
(磁石を砂鉄に近づけた時みたいな動きに見えたけど、これはなんなのだろうか……)
画面が切り替わり、アダプトタワーに映像が映し出される。いわゆるプロジェクションマッピングだ。
そしていつものDJスタイルのサカナクションが写される。
映像とDJスタイルの良さ・強みを前面に出してる演出だろう。
今回のライブの中で、サカナクションがテクノとロックの融合だと謳われている所以をこれでもかと見せつけられた場面でもある。

11:『ルーキー』

ここからメンバー配置は一列になる。
これは完全に私的感想なのだが、
この曲でのバチを投げ捨ててベースを弾き始める姐さんが好きすぎて、この曲の時毎回バチを投げ捨てる瞬間をこの目で収めようと必死に凝視してたりする。
(残念ながら、なぜか毎回座席が上手側のため実際に見れた試しはなし……。)
オンラインライブではしっかりとその様が映し出されていたので、カメラマンわかってるな〜と心の中で拍手を送ったのはここだけの話……笑


12:『プラトー』

曲始まりのノイズ音(みたいなやつ)で場面転換のような印象を受けた。
実際にカメラアングルや照明も先ほどの明るいものと打って変わって、暗闇の中、サーチライトみたいに照らされるメンバー。
完全に、先ほどまでと明らかに違う、と言う印象だ。
そしてこの場面は、MVでもそのまま使われている。
【舞台×MV×ライブ】と謳われるMVの部分がここに表れているのだろう。

13:『アルクアラウンド』

ここからまさにライブでのサカナクションのターン!という感じだ。
演出考察云々なんていらない、音楽だけで私たちをサカナクションの世界に引き連れてくれる、そんな自信と確信に満ちた演奏が繰り広げられる。

14:『アイデンティティ』

一郎さんの掛け声(画面前の私たち宛に、「みなさん画面の前で一緒に踊りましょう~~!」という明るい声が響いた。)
ここから一気にボルテージが上がる。
もっと前から上がってはいるけど。より明確に上がった感じがした。
(といってもオンラインライブなので、観客は私1人なのだが、きっと他のみんなもここで上がったことでしょう。)

映像などの特別な演出をあえてせずに、ライブの様子を見せている感じ。
特別な演出がなくてもちゃんと音楽だけで伝えてくれる力、そして何より、楽しそうに演奏する一郎さんの表情がしっかりと映し出されていて、こちらまで笑顔になる。
「あ~本当に音楽好きの兄ちゃん姉ちゃんなんだな~」という感じがして、なんだかとっても嬉しくなる。
本当にどんどん進化していって、知らない世界まで連れて行ってくれるすごい存在になったけど、根っこの部分は変わってなくって、音楽に対して紳士で真面目に向き合ってて、やっぱり彼らが好きだな、と思った。
本当に同じ時代に生きててよかったよ。


15:『ショック』

新宝島のMVで一躍ヒットしたこともあってか、一見真面目でお堅い印象を持つ彼らが見せるコメディな部分がいい違和感というか、スパイス効いてて本当に合ってるな~と思う。
今のリスナーが何を求めているか。っていうのを探求してるんだろうなぁ、というのと、彼らの効果的な魅せ方を監督がよくわかってるなぁ、という印象。
サカナクションと長らくタッグを組んできていた田中監督なので、流石。という感じだ。




▼オンラインライブならでは

一昨年行われた配信ライブ、【SAKANAQUARIUM光ONLINE】でも、配信ライブの弱みは、視点の固定である、という話をしたが、


今回もサカナクションは、視点の固定を効果的に使っていた。
画面(画角)内に、どの場面を写すのか。
視聴者にどの場面を見せるのか。細部にまで計算されている、まさに視点の誘導をするカメラワーク。
動きを最大限写すのではなく、画角が限られているからこそ、視聴者に見て欲しい部分を強調する画面構成。
演者の移動やスタッフさんが写り込まないよう画面構成。
見て欲しくないところは見せない、そして、そう言った見て欲しくない部分、というのはいわゆる舞台裏の動きになるからだ。

例えば、人形劇を見るときに動かす人の様子が見えると一気にその人形劇の世界が崩壊してしまう。

今回のオンラインライブも、作品としてみてもらうことを前提として作られているため、オンラインライブの弱みである"視点の固定"は、その場その場で体験できる生きている”ライブ”を映すのではなく、完成が求められる"作品"を映す、という点では優位点となった。
だからこそ、このライブは、
【舞台×MV×ライブ】というコンセプトをまさに体現しているものであり、オンラインライブだからこそ輝いたライブとも言えるのではないかと感じた。
(もちろんこれを踏まえてのリアルライブも素晴らしいものだった。)



感情を無にして目の前の音を享受する、リアルライブ。
普段は間近に見れない、細かい動きや表情の変化までもこの目に捉えようとする、オンラインライブ。

そして、目の前の現象に意味や答えを探る、舞台・MV。


同じライブでもいろんな視点でこのライブを読み解くことができる。
オンラインライブだけでなく、リアルライブも同様のプログラムで行われており、唯一無二にして革命的なライブとなった第1章の【アダプト】。


サカナクションの快進撃は、まだ始まったばかりだ。




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オンラインライブとリアルライブの【アダプト】は現在も配信チケット発売中です。
しかもありがたいことに、どちらも2/6までのアーカイブ配信ありで、何度でも見返し可能というお得すぎるチケット。
気になる方は、是非チェックしてみて下さい。

▼オンラインライブ配信チケットURL
(今回のレポはこちらの内容。)

▼武道館公演配信チケットURL




きいろ。

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