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夏と余白

朝一番にケメックスで珈琲を淹れる。
カフェインが、今日一日というレッドカーペットを、私に広げてくれる。
眠い目をこすりつつ豆に湯を落とし、予定を頭の中で確認する。

いくつかの仕事の合間に、大きな家具類は区の粗大ゴミに申込をして、細かい物は買取業者や寄付の受付業者に連絡すること。
部屋を見渡しながら想像し、床面積がまた少し広くなるな、と思った。

先日、仕事でお世話になっている会社の一つで、新人さん歓迎会に出席した。
自己紹介で、「この夏しようと思っていること」というお題が出たので、私は8割断捨離(全捨離)と話した。
引越し時に持ち物を8割捨てて、残った2割で生活してきたけれど、また更に8割捨てて、もっとスッキリシンプルに暮らすつもり、と。
偶然にも、他の人の自己紹介もスッキリ系の話で花が咲いていた。


3年ほど前に離婚を経験し、地方の戸建ての住まいから、都会の小さな集合住宅へ移った。
物理的な器が小さくなることもあって、数ヶ月かけて物の処分に取り組んだ。
もともと自称ミニマリストだったにも関わらず、物を並べてみれば、処分に苦労するほどの量を持っていたことを知った。

大事にしてきたつもりの物も、いざ、どれを処分するべきかという目線になると、なぜ大事にしなければいけなかったのか分からなくなった。
高価だったから?
贈り物だから?
でもこれ本当に好きなんだろうか?
それほど使ってなくない?

それでも、捨てられない物も多く、必要な人を募集して手渡しでお譲りすることもあった。
喜んでもらえるのは嬉しかったけど、物との思い出が浮かんでチクッと胸が痛くなることも。
でもどれも、今の自分には必要ない物なのは明らかだったし、新しい生活に希望もあったせいで、なんとか笑顔で送り出せた。

今また自分の暮らしを見直そうと思ったのは、もしかすると私に次の転機がやってきてるのかもしれない。


物の手放しに適している季節は、断然、夏。
暑いから、物からくる圧力が強く感じられるから手放しやすいのだ。
物と一つ一つ向き合い、要るのか要らないのか、使うのか使わないのか、自分らしくあるための物なのかどうか、などと考える。
非常に暑苦しい。
もう全部要らないんじゃないかとさえ思えてくる。

考えて考えて、何を持っているかより、素の自分で自分自身を表現できなければダメなんじゃないか、あるいは、自分の在り方にさえ納得していれば、少ない物でもたぶん生きやすいよね、という結論になった。
物を通して、人生を考えることになるようだった。

また、自分に嘘のない生き方をしたいと強く思えば、それに見合う現実は必ず向こうから、嫌でもやってくるものだ、という考え方も出てきた。
半世紀以上生きてきて一番理解できたことは、実は、それだ。
現実を作っているのは自分で、こうなるのを心のどこかで望んだのは自分だったのだ。
軽い衝撃波。
そういえば、という心当たりがだんだん見えてきたりもする。

昔、自由設計で好みの家を建てた時に、どこからか声が聴こえてきたのを思い出した。
「お菓子が入った素敵な箱があっても、中のお菓子が腐っていたら意味ないんじゃない?」
そんなことない!
形から入るってことが大事な場合もあるし!
しかし、自分についている嘘が、ごまかしが、幻想が、現実を通して答えを突きつけてくるものなのだ。
インテリアを考えるのが大好きで、終の住処と思っていた家は結局、あれよあれよという間に私の手から消えていった。


日常には示唆に富む出来事があらゆる方向からやってくるものだから、注意深くいなくてはならない。
でもそれは「大きな竜巻の中にちっぽけな自分がいる」わけではなく、「竜巻を起こしているのが自分」だということを知るだけで、俄然、面白くなる。

だから注意深く生きていくとは、失敗しないように気をつけることではなく、目の前の現実が作られていく様を、自分ごととしてよくよく見ながら生きることなのではないかと思う。

そのために私は、身の回りを余白で埋めるように暮らす。
心にいつも空(くう)を持つ。
ごちゃごちゃしていたら、暑苦しくて目も開けられない。

やってくる現実(もしくは運命?)を受け入れて闘うための武器は、余白であり、その中は意外にも自分のカケラでいっぱいなのだ。


「今日も暑くなりそうだね!珈琲一杯もらってもいい?」
キッチンにやってきた娘に、熱いマグカップを手渡し、一緒にテーブルについた。
「なんかスッキリしてきていいね。過去が、無くなっていくね」
物が減ってきた部屋をぐるりと見回してつぶやいた娘に、だね、と、短く返事をして、私はカップの底の苦い液体に笑顔を映した。



#創作大賞2024
#エッセイ部門

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