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『ある閉ざされた雪の山荘で』感想文〜映画が2時間かけて伝えたかったもの…それは「歩きスマホの恐ろしさ」だった😲

2024年暫定ワースト映画。原作は国民的作家の東野圭吾が1992年に発表した同名のベストセラー小説です。俺はむかしから東野圭吾の映像化作品が打ち出してくる偽善的なヒューマニズムが死ぬほどニガテで、日本映画史上屈指の傑作としてたびたび名前が挙がる『容疑者Xの献身』(2008)やなんかにもまったくノれず、「こんなの全然いい話じゃねえよ」と言い続けてきたわけですけど、ここへきてようやく時代の方が追いついたのかもしれません。というのも、これまたべらぼうな偽善的ヒューマニズムを振りかざして終わる本作『ある閉ざされた雪の山荘で』(2024)は、ありがたいことに評論家からも一般の観客からもボロクソにこき下ろされているからです(笑)。

7人の舞台俳優が人里離れた別荘に集められる。そこは新作舞台の主演を決めるオーディションの会場だった。彼らは「大雪で閉ざされた山荘」という架空のシチュエーションで起こる連続殺人事件のシナリオを演じることになるのだが、あたかもシナリオをなぞるかのように参加者が一人また一人と消えていく…。

この映画には大まかに2つの語りのレイヤーがあります。1つめは俳優たちが生きる現実世界のレイヤー、そして2つめは彼らがオーディションの名目でお芝居をする虚構のレイヤー。物語はこの2つのレイヤーが重ねられた状態で進行します。たとえば、別荘の中で殺人事件が起きるのですが、俳優も観客もそれが現実で実際に起こっていることなのか、あるいはそれもひっくるめてオーディションの範疇なのか、その境目がわからなくなってしまう。事件の存在そのものが宙吊りになった状態で進んでいくわけです。これはなかなか面白い試みで、途中までは普通に楽しみながら見ていたし、随所に入るラース・フォン・トリアーの『ドッグヴィル』(2003)や『マンダレイ』(2005)をオマージュしたような演出にもおおっとなってしまいました。ちなみに、この映画の問題はトリックのネタバラシのしょうもなさとその後に繰り広げられる御涙頂戴展開のクソさにあるわけですが、本稿では致命的なネタバレは控え、ある一点に絞ってツッコミを入れていこうかと思います。

本作のダメさを象徴するのが、物語の途中から参入してくるとある登場人物です。この人物を仮に「X」としておきます。そもそも劇中で起きるすべての出来事は、Xに降りかかった交通事故に端を発するわけですが、この交通事故のくだりがあまりにもお粗末すぎて笑ってしまう。X本人の言い分では俳優3人のしでかしたイタズラが事故の原因だということになっています。ところが実際にその場面を見るわれわれ観客の目には単なる「歩きスマホによる不注意」にしか見えないという(笑)。本人の自業自得でしかない。たしかに3人のやったことは冗談では済まされないのだけれども、スマホで通話しながら車道に飛び出してうっかり車に轢かれてしまった不注意の責任をそこに求めるわけにはいかないのです。

個人的にぶち殺したいぐらい嫌いな刑事ドラマのお約束があります。犯人が復讐の相手をぎりぎりのところまで追い詰める。そこにタイミングよく刑事がやってきて「死んだあの人は復讐なんか望んじゃいないぞ」かなんかほざくやないなや犯人は大人しく凶器を取り落として黙ってしまう、みたいな展開です。当事者の気持ちを勝手に忖度した部外者の発言がなぜだか「絶対的な正しさ」としてまかり通ってしまう居心地の悪さがここにはある。ようするに、この刑事は「いかなる事情があろうと殺人はダメなのだ」というふわっとした一般論や「いやさ、俺の目の前で殺人が起きたらなんか気分悪いし…🙄」といった個人の感情でしかないものを、殺された人間の気持ちにすり替えて語っているわけです。死んだあの人が復讐を望んでいる可能性は本当にないのか?

それと似たような事態が本作のクライマックスでも起こっています。これだけでけっこう胸糞が悪いのですが、さらに許せないのは、目の前のクソ野郎どもを殺したいほど憎んでおり(っていうか実際に殺そうとしていた)、それが叶わないなら自分の命を絶ってやる、というところまで追い詰められた人間に対して「あなたは生きるべきだ」だの「生きてくれ」だのといった言葉を投げつける登場人物たちの無神経さでしょう。これはうつ病の人にむかって「頑張れよ」「元気を出せよ」と言っているのと同じではないのか。死にたくてたまらない人は生きたくないからこそ死にたいのであり、うつ病の人は頑張れないからこそうつ病になっておるわけです。交通事故によって下半身の機能を失い、俳優のキャリアをも断たれてしまった人間の苦しみといっさい向き合うことなくこんな無神経かつ無責任な言葉を浴びせ、あまつさえ一連の悲劇を御涙頂戴展開でもって無理やりハッピーエンドに持っていってしまう。これこそ偽善的ヒューマニズムの最たるものです。恥知らずにもほどがある。

で、結局このクソ映画はいったい何を伝えたかったのか。さいぜんも申したように歩きスマホがすべての元凶だったわけですから、この映画を「歩きスマホ防止キャンペーン」の啓発ビデオかなんかに使ったらいいんじゃあないでしょうか。歩きスマホはダメ。ゼッタイ。知らんけど😘

私はいま、歩きスマホをしながらこの文章を書いています

⭐︎2.3点(5.0点満点)

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