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誰かが背後に立つと、鳥肌が立ってしまう理由

今日、素敵なインタビュー記事に出会った。

インタビュイーは、斉藤ナミさん。彼女のエッセイが好きで以前から読んでいた。すると最近、斎藤さんがわたしのエッセイを読んでくださっていることをTwitter上で知って。うれしい……。愛知県在住で年齢も近いことから親近感をもっていた。

そして、こちらのインタビュー記事を拝見し、ますます素敵な人だなと思った。インタビューで語られた彼女の体験に比べれば、自分の過去など取るに足らないと思ったのだが、思い出してしまったので少しだけ、わたしの経験を話そう。

・・・・・

あれは、小6年の夏休みの夜。地元のお祭りに、叔母と従妹と足を運んだ。りんごあめ、たこ焼き……。様々なお店が並ぶ一角に、質素なお化け屋敷があった。緑色のビニールシートに覆われた掘っ建て小屋で、簡易的に作られたことは明白だった。それでも今日はお祭り。入ってみることにした。楽しいひとときになる、はずだった。

お化け屋敷の順番待ちのさなか、3人の青年が私たちの後ろに並んだ。いけすかない派手な格好をしていた。

いよいよお化け屋敷の入り口だ。ビニールシートをくぐると、ぼんやりとした暗がりが奥まで続いている。

いつの間にか、青年たちはわたしの背後にいた。髪に息がかかる。

「…おい、触っちゃえよ」

「やめとけって、泣くじゃん!」

「胸、揉んでみろよ」

クスクスと笑う彼ら。顔から火を噴きそうだった。後ろを振り向くことができない。馬鹿にされている。軽んじられている。それも、見ず知らずの年上の男性に。

すると、青年の一人がわたしの髪をグシャグシャッと触った。びっくりして、肩をすぼめる。怖い……! 暗闇の中、どこかに連れ去られるのではないかと恐怖で泣きそうになった。

叔母は...たぶん気づいていただろうけれど、間に入ることはなかった。叔母も怖かったはずだ。やり過ごせばいいと思ったのかもしれない。

それからは何もされなかったと思う。とにかく、このお化け屋敷を出たかった。恐怖と悲しみに震えながら歩いたことを覚えている。

・・・・・

以来、わたしは誰かが背後にいることを極端に嫌うようになった。20代に差し掛かっても、それは変わらなかった。女性でも男性でも、嫌なのである。友人に「後ろを歩かないで」なんて言えないから、なるべく人と大勢で歩かなくなった。

30代になっても、やっぱり変わらない。夫とはアヒルの親子みたいに歩く。周りの人から「なんで後ろを歩いてるの? 夫さん、亭主関白なの?」と言われたり。「違うんです。実は後ろに誰かいるのが怖くて…」なんて、説明できない。というか、そんな説明をしたくない。

青年らは、美少女のわたくしとの向き合い方がわからないお年頃だったのでしょう。そう思って自分をなだめるけれど、もし彼らにもう一度会ったら「太陽を拝めなくしてやる」と、実際は思っている。そして、繰り返し自分に問うのだ。「なぜ、あのとき怒らなかったんだ?」と。

10代の頃のある一日、ほんの一瞬の出来事が、ひとりの人間にトラウマを与えてしまう。

それがどれほど罪深いことか、恥ずべきことかを知るべきだ。

…正直言うと、自分も誰かを傷つけているんじゃないかって不安になる。自分の行動、言動のすべてが誰かのトラウマになり得るからだ。

そんなことを言うと、何もできなくなってしまいそうだけど……。相手への尊敬の念をもつこと、誠意を尽くすことを知っていたら、きっと大丈夫。

Twitter上で斎藤さんは、「デザインやエッセイの話をする想定でしたが、気づいたらこんな昔話をしていました」と書かれていた。それはきっと、星谷さんが誠意ある向き合い方をされていたからだろう。

インタビュアーは、相手の心を知ることができる、とても尊い仕事だ。

会ったばかりの相手の内側をのぞくことが、ときに怖いと思う。けれども、心と心で通じ合う関係になれたら、「書く権利」をいただけたのではないかと、インタビューの仕事に向き合いながら思っている。

いつも明るく、クスッと笑えるエッセイを書かれている斎藤ナミさん。人となりを知ることができて、嬉しかった。

今までフタしてきたことを、深呼吸して覗く機会をいただけた。

(記:池田アユリ)

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