母殺しという言葉の衝撃
物騒なタイトルで申し訳なく思う。けれど、私が受けた衝撃を感じていただけるかな、と思いこのタイトルにしてみた。
私がこれから話す母殺しは「心理的な母殺し=母からの心理的な自立」についてである。
ユング心理学を学んでいる方には、馴染みの表現なのかなと思う。あいにく、私はきちんと学んだ訳ではないので、自分の事しか書けない。
結論を言うと、私は母殺しが出来ていない。
そして、母殺しをする為にこのnoteを作ったのかもしれない。
母は、下記の言葉をよく使う。
『こんなに好き勝手させてあげてるのに、よく私の育て方が悪いみたいに言えるね?』
『何が不満なの?もうこれ以上出来ない!』
『本当に性格が合わない。家族じゃなかったら、あんたとは絶対にはなさない』
『そんなことしてると嫌われるよ?』
『そんな態度で友達に嫌われない?』
『そんなことばっかしてて、会社でクビにならない?』
『すぐ人のせいにして、あんたがそんな性格だから悪いんでしょ?』
『そんなだから嫌われるんでしょ?』
正直、売り言葉に買い言葉のものもある。
しかし、羅列して私が気付くのは、母から「ありのままのあなたでいい」というメッセージを受け取った事がない。という事実だ。
とりあえず不満のないときは黙っているし、私の人生において、圧倒的な味方であると感じた事がないのだ。
頑張っても、頑張らなくても、どことなく不安を煽るような表現をしてくる。
母の言葉の言外には、
「あなたは未熟者で、ありのままのあなたは嫌われる」
という感情がどうしても滲んでいるのだ。
母はこういった「忠告」を、子を心配し導く母親の正常な態度と信じて疑わない。
この母の幻影から逃れ、歪んだ自己認識を正す事で、この生きづらさから開放されると信じている。
さて偉そうに分析をしたが、母だけを悪く言えたものでもない。
私の今の状況といえば。
金銭的、健康的な側面から実家に暮らしているし、端から見れば恵まれている。言ってしまえば、衣食住に関して甘やかされている。
「母殺し」は母に責任を問うものではなく、ただ私が私の中で「個人」を自覚し、自立するためのプロセスとこれまでの怠惰への反省の側面もあるのだ。
少しでも、あなたの心に残れば幸いです。文章を書き続ける勇気をもらえます。