あまやどり

生きるしかないじゃん。

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最近の記事

いつかのっとかむ 不確かな輪郭をなぞる

この作品は「いつか」の不在から始まる。 ここ、元映画館で、新作映画の試写会が開かれるのだが、肝心の監督がいないのである。 無理矢理に始まった試写会は、黒澤なぎさの持つPCの不具合により映像が止まり発煙。 PCを奥に持っていき水を流す音。 消火はしたが、下水に流れていった記録、記憶。 それをきっかけにして、転換。 それぞれの過去が明らかになっていく。 元映画館のパワハラ炎上事件や、そこに至るまでの経緯、大学時代の映画サークル、小学校、中学校や家庭のなぎさの所在なさ

    • 犠牲と補正 『お守り』のもらえない日本で、

      日野さんの舞台は今までも感情をぐらぐらと揺らし、深く人生について考えさせられるものだった。 最初は湯木慧さんというアーティストの作った曲が使われるからという理由だけで観に行ったに等しいのだが、彼の抉るような社会の描写に引き込まれていった。 今回、更に舞台へ僕自身を深く沈ませたのは、ALS嘱託殺人というショッキングな事件を、リアルタイムで知っていたことや心身の不自由さを抱えるひとの近くに僕がいることが理由なのだろう。 自死という選択が海の向こうで合法になったニュースも記憶

      • 忘却と記憶の狭間で-深居優治東京2days-

        深居優治 11月5日 レテの救済  11月6日 ムネモシュネに溺れて 東京での2夜を観て遅ればせながら。 11月5日 レテの救済 レテは黄泉の国にある川の名で川の水を飲んだ者は完璧な忘却を体験する。 この日を通して感じた印象は、密度の濃い重い鉛のようなそれでいて静謐な物体が心の底の方に溜まっていく感覚。 それはとても秘密にしておきたい感情だった。 最後の船の何語ともつかない言葉の羅列の後、「理解した順に物事は死んでそれぞれの容れ物事に合うように変わってしまう」

        • マリンスノー -ヒュプノスの子供たちに寄せて-

          あなたはマリンスノーがなにか知っているだろうか。 まあ、それはいいんだ。 要するに深居さんの音楽はそういうものなんだ。 知らなくても生活はできる。 でも、知っていると生活が豊かになる。ずっと深くまで潜っていける。 最初に聴いてから文字に起こすまでなんでこんなに時間を要したかって聴くまでの心のありように最近ならなかったんだ。 でも、いまふっとウォークマンに電源を入れて聴きはじめたらすっと耳に心に入り込んでくる。 彼がどれだけこの音源にかけているか、それは聴けばわか

        いつかのっとかむ 不確かな輪郭をなぞる

          愛も苦しみをも含む選択を。

          湯木慧 『選択』横浜1000CLUB 心の防護服である音楽を湯木さんは届けたいとそう言っていた。 Vo.Gt湯木慧 Cho. 楠美月 Pf.ベントラーカオル Perc.ヒロシ という編成で行われた今ライブ。 アレンジはもちろん随所に音楽的に魅力的な要素が散りばめられた演奏だった。 会場はコロナウイルス感染防止のため1000人というキャパシティを200人かつ着席にしての公演。 開演前には鈴虫の声が鳴り響き、彼女の故郷とする阿蘇野の景色を想起させる。 ステージに

          愛も苦しみをも含む選択を。

          わかりあえないまま暗闇を分かち合っていたい-シノエフヒ 光の機械 に寄せて-

          この世界の、認知の最小単位はなんだろう。 ひとりで抱えたその悩みは誰のものだろう。 ノクターンから改名し、シノエフヒがリリースした光の機械。 この楽曲は共に墜ちていく物語だと感じた。 『僕たちは光の機械の外側の存在だってこと。』 僕にとって、あなたにとっての光の機械とはなんだろうか。 月が太陽に照らされ光るように照らしてくれる存在、概念、、、 その意味を問いかける楽曲なのではないだろうか。 そんな思いをじょぶずさんの弾き語りを聴き改めて思った。 あなたにとっ

          わかりあえないまま暗闇を分かち合っていたい-シノエフヒ 光の機械 に寄せて-

          超えていくのさ残酷な世界を

          小さい頃、押し入れに隠れたことがあるだろうか あの時、襖の隙間から漏れる淡い色の けれど、確かな光 その先にほのかに優しい匂いがする。 そんなライブでした。 入場SE流れ始めてから前半ずっと泣いてた。 フェイスガードがあってめちゃめちゃに曇って ほとんど照明しか見えてなかったけど たしかにそこにひとがいて。 そして、空気を伝って音が聴こえるってことが こんなにも嬉しいことだなんて。 『ライブっていいな。』 コヤマさんのこの一言を本当に実感する。 まだ

          超えていくのさ残酷な世界を

          人生に主題歌など無い。

          点描の一点にも満たない人生に主題歌など無い。 なら、歌を愛する意味とは? そんな話何百回、何千、何億回も繰り返しても、 誰も答えてくれないさ。 だって答えなんてないもの、元から。 空っぽの僕に少しでも意味を注いでくれる、それが音楽なんだ。 それだけだよ。

          人生に主題歌など無い。

          僕らの季節を耕し続ける

          ブレもぼやけも後でわかればいい そうやって僕らは何度も日常を繰り返していく。 あぁ、間違ったなぁってあとでこっぴどく打ちのめされて。 言葉を間違えて、新しい言葉を覚えて。 耕して、耕して。 それがさ、あとになって宝石みたいな花になってくれたらどれだけ救われるだろうね。 さユりさんの言葉は日常に沿ってでも、言葉の組み合わせが絶妙なんだって改めて感じた。 僕ら”は“季節を耕し続ける 僕ら”の”季節を耕し続ける そうやって生きていきたいなぁ

          僕らの季節を耕し続ける

          生きる、それは影響するということ。-電飾越しの郷愁に寄せて。-

          ノクターン、電飾越しの郷愁リリース企画『白色の記憶vol.2』を観てきました。 端的に言えば、ノクターンという2人がここにいることの何よりもの証明だったのだろうと。 今回のリリースに特に大きな意味を持っているのがジェネバ機構という楽曲。 これは僕の解釈が間違っていなければこの世界に於けるひととひととの関わり合いをジェネバ機構という、円運動を断続運動に変換する仕組みで例えているのである。 それは、円運動が円運動のまま伝わらない。 思いは、影響は意のままに伝わらない。

          生きる、それは影響するということ。-電飾越しの郷愁に寄せて。-

          世界は歪に、それでいて美しく繋がりたがっている-ノクターン ジェネバ機構-

          ジェネバ機構(ジェネバきこう、Geneva drive、Maltese cross)は、連続回転運動を断続回転に変換する機構である。Wikipedia より 誰しも生まれながらに、誰かに影響を与えている。 その良し悪しはともかくとして誰にも影響を与えずに死んでいく命はない。 ノクターン ジェネバ機構はそんなひとりのひとの想いを綴った曲だと感じた。 恋ではない。それは”音楽”に対する嫉妬であり”君”に対する純粋な想いだ。 “僕”は音楽を通じて”君”に影響を与えたかった

          世界は歪に、それでいて美しく繋がりたがっている-ノクターン ジェネバ機構-