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小説『Egg〈神経症一族の物語〉』の連載をスタートします


毎週水曜日に定期連載

先月『抹茶ミルク』の連載が終了したため、現在下記noteで執筆中の小説の連載をこちらで改めてスタートしたいと思います。タイトルは『Egg〈神経症一族の物語〉』です。

上記オカキnoteでは第3部を書いている途中なのですが、ゴールが見えてきたことで1・2部にかなり大きな手直しをすることになりました。オカキnoteに上がっているver1では、その後追加したエピソードや修正した個所は反映されていません。そこで、タイトルをegg→Eggに変更して、主テーマをサブタイトルに出し、ver2として出すことにしました。
毎週水曜日にこの「あまやどり出版」noteで連載しますので、どうぞご期待ください。

お弔い小説として

この作品は私の2作目になります。1作目は『抹茶ミルク』という短めの小説でしたが、56才で他界した私の父親を弔うための小説となっています。
個人的に非常に残念なのですが、我が家も親戚の家も幸せな生活ができている人が少なく、短命で悲惨な死に方をする人が多くいます。直接的な原因は病気や事故なのですが、それ以前に「生きづらさ」を一族全体で抱えており、平凡なはずの毎日をなぜか今にも死にそうな気持ちで生きているという特徴があります。

その中でもどうしても忘れられない家族がいます。
私の母の兄、つまり私のおじさんの家族ですが、夫・妻・息子・娘の四人家族でした。いとこたちとは年齢が近いこともあって、私が小学生まではよく遊びに行っているお宅でした。中学生になって部活が忙しかったり、親戚づきあいが恥ずかしくなって自然と疎遠になりましたが、その後も親戚の結婚式やお葬式におじさん夫婦の顔をちらっと見かけていて、いとこたちは冠婚葬祭にも顔を出さないんだなー、と思っていました。

それから数十年経ちました。
ある日、母から切羽詰まった電話がかかってきました。おじさんが亡くなったという連絡でした。電話をしてきたのはケアマネージャーさん。ケアマネージャーさんが自宅を巡回していたときに、ミイラ化したおじさんが発見されました。足を悪くしてほとんど寝たきりだったようです。おばさんの方はかなり前からボケて寝たきり状態。おじさんは自分の体の不自由さを押しておばさんの介護をしていました。悲しいことに、おばさんも衰弱しきっており、おじさんが亡くなったことにも気がついていませんでした。ゴミだらけの自宅から二人を運び出したときには、布団の足元からドブネズミが飛び出してきたそうです。

両親がこんな状態で、あのいとこたち二人は今何をしているのだろう? そう思って捜索を始めたとき、驚くべきことがわかりました。
お兄さんは20代、妹さんは40代で他界していました。おじさんは二人の死を親戚にすら知らせず、自分たちだけで火葬して、おじさんが自分で戒名をつけて、先祖代々の墓に納骨を済ませていました。
そして、お兄さんの方は中学生で不良になってバイクの事故で片足を失い、新興宗教にはまっている間にガンで亡くなっており、妹さんの方は大学受験に失敗して3浪し、専門学校に入ったもののうつ病になり、20代で自宅に引きこもり体重が100キロ近くまで増加したあと、40歳になった頃ガンにかかって亡くなった、ということもわかりました。

なぜ、こんなことになってしまったのか。
なぜ、こうなるまで私たちは何も知らなかったのか。
一体彼らに何が起きていたのか。

喉に引っかかった小骨のように、この家族への疑問が私の中でくすぶり続けていました。1作目の小説を書き終わったときに、私は自分の中で消化しきれなかった身近な人の死を昇華するために物語を書いたことがはっきり自覚できたこともあり、2作目に彼らの話を書くことを決めました。

神経症という病

我が家では母親が神経症を患っていました。最悪期には森田療法のお世話になったこともあり、神経症という名前は私にとって実になじみのある固有名詞です。

産まれたときから私はずっとずっと社会に対して恐怖して生きることを母親から教えられていました。そして母親は家の中で王様としてふるまいながら、外に対しては激しい緊張感と敵意をもって接していました。父親は家を顧みず、どこで何をやっているか全くわかりません。毎日食べていくだけでやっとの貧乏生活で、家と学校以外にいられる場所もないまま、私は母親から一挙手一投足を監視されるような状況下で、従順に母を崇めることを強要されて生きていました。

実の親がこうなのですから、他の人たちも私を思い通りにコントロールして利用することが目的で近づいてくるのだと、いつしか考えるようになっていました。幼いころから、他人と接することは心から恐ろしかったです。私ではないことを要求されて、ちょっとでも自分を出そうものなら徹底的に叩かれる。使い物にならないと罵倒されて頭を押さえつけられて言いなりにさせられる。
困ったことに、そう信じ込んでいるときにできあがる人間関係は、まさにその通りのものしか残らないのです。
一応友達と呼べる人はいたものの、私は常に空っぽでした。いかに自分を殺すかが最重要課題で、他人の顔色だけを見ていました。それでも時々そんな自分がコントロールしきれなくて爆発的に怒りだしたり、万引きがやめられなくなったり、自分より弱い人をいじめたりなどなどしていました。もうぐちゃぐちゃです。

あの頃、私は母親が抱えていた「生きづらさ」を見事に引き継いでしまっていたのだと思います。そしてそのことにあまりに無自覚で無防備だったために、神経症を克服するのに何十年もかかってしまいました。
しかし、冷静になった今、思い起こしてみると、どうやらあの母親の神経症もまた、その前の世代、私の祖父から伝わってきたものだ、ということが理解できるようになってきました。神経症は引き継がれるのです。家族愛という綿菓子に包まれて、それは気がつかないうちに食べさせられるものなのです。

この仕組みを自覚するようになって、今回の小説のテーマが決まりました。世代を超えてつながる神経症という病がどうやって引き継がれていくか、その鎖を断ち切るために引き継がされた者ができることは何かを、かわいそうな人生を送った二人のいとこを主人公にして作り直すことです。いわばタイムリープ小説。巷の意味とは一味違ってますけどね笑。

いざ、参らん

1・2部を書きながら、この二人の絶望的な状況で何度も立ち止まりそうになりました。どうしたら二人を救うことができるのか、途方に暮れたこともありました。しかし3部に入るところでついにゴールがはっきり見えてきました。
時代考証をしないといけなかったり、登場人物の周りの人たちの生きざまも書いたりで、ここまで2年かかってしまいました。予定より随分長くかかりましたが、いよいよ最後まで書ききれそうです。
全体のあらすじは以下のようになっています。

第1部 1964年
 東京オリンピックの最中、高藤恵美は長男の哲治を出産する。しかし自分のことが一番可愛い恵美は我が子を愛することができない。夫の隆治は頭脳明晰な雑誌の編集者だが、父親の誉に精神的に征服されていることで神経症傾向が強い。義理の妹の弘子と不倫関係になるが清算後、金融業界の専門雑誌をつくる出版社を起業する。

第2部 1978年
 中学2年生になった高藤哲治は学習障碍児で勉強が大の苦手。父親の命令で、毎日通塾していた繁華街でスペースインベーダーにはまる。父の隆治は自分を征服していた父の誉が他界してから性格が激変。怒りっぽくなり、息子の哲治を征服したい欲求に忠実になる。母の恵美は哲治に触れることすらおぞましく感じているが、自分に似た容姿で夫のように頭脳明晰な下の子の由美は溺愛。

第3部 1992年 (オカキnoteでver1を連載中)
 大学受験に失敗し四浪して偏差値の低い大学に入った高藤由美は、4年後の就職活動で大苦戦をしていた。おりしもバブル崩壊の年で父親の会社の業績も急速に悪化。家族全体が揺らぐ中、由美の人生はますます追い詰められたものになっていく…。


最後は神経症を乗り越える子供たち二人の姿にしたいと願いながら、毎日少しずつ小説を書き進めています。22日(水)から、『Egg〈神経症一族の物語〉』の第1部を連載スタートしますので、「あまやどり出版」noteをフォローしてもらえたら嬉しいです!

ちなみにR18と念のためお伝えしておきます。ホントに時々ですが性描写と暴力描写があります(露骨にならないように注意はしています。そこが目的じゃないので)。あと時代的な差別発言もやむなく少しだけのせています。
読みたくない人には不快な表現もあると思いますし、大人という存在そのものにがっかりされても困るので、特にお子さまには読まないでいただきたい、と言う意味でのR18です。

そうそう、「小説家になろう」にも今週か来週から同じ連載をスタートします。そちらもR18カテゴリーに入れる予定です。また別途ご報告します。

ではまた水曜日にお会いしましょう!

#小説 #小説家になろう   #神経症 #Egg・神経症一族の物語


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