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夏の出会いがしら

朝、子どもを園に送って空っぽになった自転車をさっきまでより気だるい感じで漕いでいた。するとヒヨドリだかムクドリだかが不規則な飛びかたをしてこちらに向かってきた。すわぶつかるかとブレーキを握ったが、鳥はそんなにどんくさくない。ひらりとかわしていった。

鳥がいちばん接近したときに見たところによると、くちばしの数センチ先を何かの羽虫が飛んでいた。虫を捕食しようと追いかけるので不規則な飛びかたになっていたようだ。ほえー、と思った。ムクドリだかヒヨドリって飛んでいる虫を追いかけてバクッとやることもあるのか。なんだか地面を這う種類の虫、イモムシとかミミズとかをつんつんやっているイメージだった。

追われる虫は素早くて何の虫かはわからなかったが、なんとなくその運命が気になって鳥の挙動を目で追った。虫が捕獲されたのか、逃げおおせたのか、鳥の習性や挙動についての解像度が低いわたしには結局わからずじまいだったが。

鳥が遠くへ行ってしまうとわたしはふたたび緩慢に自転車を漕ぎはじめた。次の角を曲がったところで今度は何らかの虫がこちらにビーーッと向かってくるのが見えた。虫もわたしも軌道を変えてよけようとしたが、両者ともどんくさかったのか同じ方にずれたので見事にぶつかってしまった。しかし虫のほうがまだ機転がきいていて、衝突の衝撃をやわらげるようにふわりとわたしの肩にとまった。あらあら、何の虫かしら。夏の素敵な出会い? ペダルをこいだままちらと肩に目をやった。

カメムシだった。

わたしはペダルを強く踏み込んだ。マスクの中で「カメムシだ、カメムシだ、」と無意味に小声で連呼していた。そのまま二区画走った。スピードを出して走れば風の中にフワッと飛び立ってくれるのでは、という希望に基づいた行動だった。しかしカメムシはいっこうに飛び立つ気配を見せず、むしろわたしが背負った黒いリュックのナイロンが落ち着くとみえて、まるで釣り針のそれみたいな六本の脚の「返し」を肩紐のナイロンに食い込ませ、無動の構えである。はは、まるでブローチみたあい。

そうだった。カメムシとかコガネムシとかこの手の甲虫ってやたらとナイロンのリュックを好むところがある。昔、ガードマンのバイトをしていたとき、荷物を置いておける場所はたいてい公園のベンチだった。仕事のあと、半日ベンチに放置したリュックを背負って帰り、家で開けると……甲虫が十五匹ほど、ナイロンの内側に入り込んでいたことがあった。そのときはカメムシはいなくて、みんな無害なコガネムシかカナブンあたりだったのだけど、普通に怖くて泣いた。

仕方ない。なるべく刺激は与えず、カメムシ自身の自由意志で飛び去ってほしかったけれど、ナイロンへの食い込みっぷりを見るに、カメムシの自主性にまかせていては埒があかないだろう。いつ炸裂するかわからない臭いに怯えながら過ごすのはいやだ。それにわたしはこれから喫茶店に行くのだ。カメムシのブローチつきでは難がある。
意を決して植え込みの横に自転車を停めた。つつじの葉にカメムシつきの肩を寄せ、葉の上に誘導する。カメムシ、無動。

「頼む、どうか穏便に、穏便にお願いします」、拝みたおすように葉先を触れさせ続けた。カメムシが重い腰(?)をあげてつつじに移るまで一分足らずのことだったと思うが、なかなか長く感じられた。

離れたとたん、葉っぱの上のカメムシならかわいいものだな、と愛でる気持ちにすらなった。互いの尊厳を守ったまま別れることができてよかった。

しかし、自分のカメムシへの丁重な取り扱いを思うと、カメムシの種としての戦略、「臭いをはなつ」というのはすごく機能していることになるのかもしれない。相手がカメムシとなると人はとたんに慎重になる。なんとか丁重にお帰りいただく、という姿勢になる。これが他の虫だったらこうはいかない。実際、わたしもかつてリュックにカナブンらが入り込んでいたときには、もう少し手荒に追い出したような記憶がある。窓から外に向かってリュックをぶんぶん振り回すとかして。

カメムシの放つ臭いが、本来の天敵であるはずの鳥などに対してどれくらい効果てきめんであるのかはわからない。臭いに危険を感じるとかして、食べるのをやめたりするものだろうか?
少なくともあの臭い、もはや最後にいつ嗅いだのか・どんな臭いだったかも思い出せないあれが、ヒトに対してはものすごく効いていることを、身をもって知った。


【 2022年8月5日(金)の日記 】

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